熊野の秘境にたどり着いたのは深い霧の夜だった…。
死ぬほどの絶景!三重県熊野の大丹倉は紀伊山脈の雄大さを見せつけてくれる秘境
・熊野の秘境、大丹倉を目指して
・大変だった夜の深い霧の中の大丹倉までの道のり
・大丹倉とは
・これぞ紀伊山脈と言わしめる絶景は油断しているとマジで死ぬ
・安全に紀伊山脈絶景を見ることも可能
・熊野の秘境、大丹倉を目指して
和歌山県の飛び地、北山村を訪れたのは、小雨の降る日のことだった。おくとろ温泉のレストランの前に、北山村の周囲の案内集があったので、パラパラとページをめくりながら眺めていると、いくつか気になるスポットがある。その中に厳格な岩壁の姿をした大丹倉もあった。
ぼくは三重県熊野の秘境神社、丹倉神社をぜひ訪れたいと思っていたが、この大丹倉というスポットは、丹倉神社のすぐ近くにあるようだ。ついでだから両方見た方がお得ではないかという軽い気持ちで、大丹倉を訪れる計画を立てた。しかしこの軽い気持ちが、後にこの旅で最も心に残る感動を呼び起こすことになる。
・大変だった夜の深い霧の中の大丹倉までの道のり
その日の夜は、まだどこで車中泊するか決めていなかった。どうせならその大丹倉の入り口で車中泊して、朝一で大丹倉を訪れようという計画とした。おくとろ温泉を出た時にはもうすでにあたりは真っ暗だった。それに昼間にはなかった濃霧にも見舞われている。
ぼくは濃霧に閉ざされた紀伊山脈の山奥を慎重に運転しながら、大丹倉へと続く狭く険しい道を自動車で上り続けた。山道の中で次第にガソリンも底をついてきて、それを補給するガソリンスタンドも見当たらず、心細さこの上なしという状況だった。携帯電話の電波も届かないような山奥で、グーグルマップもうまく作動しない。
狭い道の中を、深い霧に閉ざされながら、グーグルマップに全然ん違う道を教えられ、ガソリンも本当にもうなくなってしまうのではないかというような状況で、本当に身も心もクタクタになりながら、なんとか夜中22時くらいに大丹倉のふもとへたどり着くことができた。
大丹倉までの道は、紀伊山脈の中の狭い山道の中でも、特に入り組んだ曲がり道が多くどんどんその幅も狭窄し、霧の深さも増し、本当に無事にたどり着けるのか何度も不安になりながらも、なんとかたどり着いたその場所で、ぼくは車中泊をした。
当然ながら周囲に人っ子ひとり見当たらず、紀伊山脈の大自然と一緒に眠っているというような感覚だった。なんという奥深い秘境に来てしまったことだろう。
・大丹倉とは
翌朝、いつものように朝の光が注がれる早朝に目が覚めたぼくは、早速大丹倉へと続く獣道を歩き始めた。歩くのはそう長い時間ではなく、ほんの10分ほどの軽いウォーキングだ。
大丹倉とは、高さ200メートル幅500メートルにも及ぶ大絶壁で、昔から山岳宗教の修験者たちの聖地だったところである。「丹」という字は「赤い色」という意味があり岩肌が赤く見えていたこと、「倉」という字は断崖絶壁を表し、ここから大丹倉と名付けられたという。
しかし言葉でそのように伝えられてもいまいちどのような場所なのかピンとこない部分がある。果たして大丹倉とはどのようなところなのだろうか。
・これぞ紀伊山脈と言わしめる絶景は油断しているとマジで死ぬ
10分ほど歩いて大丹倉らしく目的地にたどり着く。しかし普通に石により神様が祀られているささやかな聖域のような空間が広がっているのみである。一体大丹倉の真髄はどこにあるのだろうか。
ぼくは直感を頼りに、獣道があるようなないような道を進んでいった。するとそこには思いもよらない大絶景が広がっていた!なんと青々とした雄大で美しい、これぞ紀伊山脈だと胸を張って紹介できるような山々の連なる風景が、目の前に広がっていたのだ。しかし信じられない状況はそれだけではない。その大絶景を眺められる場所の足元が、鋭角45度とも思われるほどの岸壁の急峻な斜面であり、しかもそこには柵ひとつさえ設けられていなかった!
しかもその岸壁の下はまったく見えないものの、おそらく崖のようになっており、誤って転がり落ちてしまえばひとたまりもなくお陀仏になってしまうだろう。本当に一瞬も気を抜くことをゆるされない。もしも目の前の紀伊山脈の絶景に気を取られて油断し、足を踏み外してしまったときには人生の終わりが崖の下で待ち構えているのだ。なんというスリリングな絶景スポットだろう!そしてかなり危険だ!本気で死と隣り合わせの絶景である。こんなにも死が近いと思った瞬間を、ぼくは他に知らない。
目の前に広がっているのは、これでもかと言わんばかりの、間違いなくこの紀伊山脈車中泊の旅の中で最も雄大で最も美しい、紀伊山脈の秘境の死ぬほどすごい絶景だが、それは本当に死んでしまうかもしれないことを意味している、かなり危険な絶景だった。ぼくは本当に本当に滑り落ちないように足元に最新の注意を払いながら写真撮影を行なった。命の保証のない存在として、ぼくは大丹倉の上に佇み、ここが修験者の修行場であるという理由が痛いほどによくわかるような気がした。
・安全に紀伊山脈絶景を見ることも可能
この急峻な死にかける斜面とは逆方向には、また別の巨大な岩があり、その岩を上っても同じように紀伊山脈の絶景を見ることができる。しかもこちらは斜面でもなく、落下の危険性も極めて低いので、安全重視の絶景を眺めたい方はこちらをおすすめする。
その岩石の水たまりの部分は確かに赤色のようにも見え、大丹倉と呼ばれる由縁さえ噛み締めていた。