ぼくたちはかつて石を信仰していた。
前世がゆるされる!熊野速玉大社は険しい山上の巨大な岩の権化
・新宮市の町中にある熊野速玉大社
・熊野速玉大社の特徴
・熊野速玉大社の境内を参拝
・渡御前社と宮崎駿も訪れた神倉小学校の木造体育館
・神倉神社の階段は崖のように急峻
・神倉神社の古代信仰を忍ばせる巨大なゴトビキ岩
・新宮の素敵なかき氷屋さん「仲氷店」
・古民家うなぎ屋さんの「鹿六」
・何度でも食べたい「紅梅堂」の鈴カステラ
目次
・新宮市の町中にある熊野速玉大社
実家から十津川の山の中を通って、熊野本宮大社にたどり着き、そこから和歌山県の南西白浜へと移動し、ずっと海沿いにドライブしながら串本、那智勝浦まで回り、感動的に美しく壮麗だった熊野那智大社をお参りし、熊野三山の最後、熊野速玉大社を参拝するために、また海伝いに運転していた。
紀南の海沿いは、なかなか小さな町が多いという印象で、これからも小さな町がずっと続いていくのだろうと思われたが、突如として大きな繁栄した町が出現したので驚愕した。それが、熊野速玉大社のある新宮市であった。
新宮市はかつて木材で栄えた町であり、和歌山県では和歌山市についで2番目に繁栄していたこともあったという。次第に木材は需要が国内のものから安価な外国製へと移り、その経済的な成長は終わったとはいえども、それでも紀南では一番大きな都会としてぼくの胸に刻まれている。そんな栄えた新宮市の町の真ん中に、熊野速玉大社はそびえ立っている。
ぼくは神聖な神社や寺院という聖域は、なるべく静かな大自然の中にあってほしいというなんとなしの希望がある。神社やお寺の境内から出てきたときに、そこには浮世の欲望渦巻く人間の大きな街並みが存在し、神聖な気分が即座に損なわれるのが残念でならないのだ。それゆえ、伊勢神宮もそんなに好みではなかったし、京都の中心にあるお寺などもそうだ。熊野速玉大社も町のど真ん中にあるので、若干不安だったもののとうとう訪れてみた。
・熊野速玉大社の特徴
熊野三山のうち、熊野速玉大社は前世を司る。メインで祀られているのはイザナギ。紀南では最も栄えている新宮市の街中にあり、アクセスしやすい。駐車場は無料。もともとは神倉神社というところに安置されているゴトビキ岩が自然崇拝としての御神体であったものの、神倉神社を上っていくい階段があまりに険しく急峻でお参りしにくかったために、町中に移動させられたものが熊野速玉神社になったようだ。熊野速玉大社から神倉神社の入り口までは、歩いて15〜20分くらい。街中にあるので周辺に歴史の古い飲食店やお土産やさんも多数あり、それらをみて回るのもまた楽しい。
・熊野速玉大社の境内を参拝
熊野速玉神社も熊野那智大社と同様に、朱色の神殿の美しさが印象的だった。境内には推定樹齢1000年を超えているというナギの木が祀られており、ここにも自然崇拝の風が流れている。このナギの木は平清盛の嫡男である平重盛の手植えだと伝えられ、ナギの木としては日本最大であるという。
熊野速玉神社を一通り参拝した後、その前身であると言われる神倉神社へと歩いた。
・渡御前社と宮崎駿も訪れた神倉小学校の木造体育館
熊野速玉神社から神倉神社までの平坦な通り道にも、興味深いものであふれている。いくつかの神社や寺院も点在しており、見かけるとふらっと立ち寄ることもできる。最も印象的だったのは、神武天皇が滞在したと言われる渡御前社も存在していた。やはり第一代天皇であらせられる神武天皇の九州の宮崎県から奈良の橿原までの、東征の旅路の途上に紀伊山脈はあったようだ。日本が日本であるところの独自の歴史の風を肌で感じながら神倉神社までの道を歩いた。
さらに神倉神社の入り口の前には神倉小学校があり、その敷地内にある木造の体育館は驚異的な迫力だった。さすがは木材で栄えた新宮市という威厳が感じられる。なんとこの体育館、2016年にジブリの宮崎駿さんも社員旅行でここを訪れた際に、この独特な体育館に魅せられて見学までさせてもらったらしい。そして帰宅後に神倉小学校に手紙まで届いたらしい。ジブリの宮崎駿さんをなんだか身近に感じられた瞬間だった。
・神倉神社の階段は崖のように急峻
神倉神社はさすが参拝しにくいから街中の熊野速玉神社へとお参りの場所を移した歴史があるというだけあって、ものすごく急な上り坂の階段だった。ぼくは人生でこれほどまでに急峻で険しい登り坂の階段を上ったことがない。本当にとてつもない、まるで崖を上っているような感覚のする階段であり、足の悪い方は注意していただきたい。
ぼくにはにわかには信じられないことだったのだが、この崖のような階段を散歩コースにしている地元のご老人も多くいらっしゃるようで、軽装で気持ちよく挨拶をしてくださる地元の方の笑顔が印象的だった。そのおかげで険しい道のりも、少しは爽やかに上れるようになった気がすると言えるだろう。それにしても本当に、日常の散歩の途中で階段から転がり落ちてしまわないように気をつけていただきたいものだ。
本当にすごい人は、短時間でこのものすごい階段を2周もしているおばちゃんがいて驚愕した!さっきもすれ違いましたよねーと声をかけると、なんと1日2周すると決めているとのことだった。驚異的な体力のおばちゃんであるものの、毎日参拝しているから健康そのものであるという。ぼくは感心するとともに、この驚異的な日常の行動は何か神様に取り憑かれたような印象も受けた。「神様に守られている」と言い放っていたおばちゃんの笑顔が印象的だ。自分が健康であり体力もあることを、自分のすごさではなく神様のおかげであると見なすところに、険しく厳かな紀伊山脈の麓で生まれ育ったことによる謙虚さがみて取れて感動的だった。
・神倉神社の古代信仰を忍ばせる巨大なゴトビキ岩
神倉神社のあまりにも険しい階段を上りきったところにある、御神体のゴトビキ岩のたたずまいの美しさには感動せずにはいられなかった。頂上からは新宮市の町が一望でき、自然と達成感も味わうことができる。ここがぼくの熊野三山の巡礼の最終地点である。
ゴトビキ岩の岩と岩の間に入り込めるスペースがあるのだが、そのときに感じた圧力というか注ぎ込まれる何かの感覚を忘れることができない。この場所、何かに似ていると思ったら沖縄の南城市にある神聖な場所、斎場御嶽に似ていることに気がついた。沖縄と紀伊山脈の南は、何かしらそこはかとなくつばがっているような感じがする。もしかしたら昔々、沖縄などの南の島から、海を渡ってこの紀南の地にたどり着いたのかもしれなかった。石や木や水を崇拝する古代日本の自然崇拝の信仰の形は、海さえ超越して大和と沖縄をひっくるめた大きな文化圏として確立されていたということだろうか。
沖縄県南城市にある斎場御嶽が重要な聖地であるのは、海の向こうに沖縄で最も格の高い聖地である、久高島が見えるからだった。この神倉神社の頂上からも果てし無い太平洋が望まれる。古代の人々は海の向こうに何を思っていたのだろうか。ここからは久高島のような島は見えないものの、もしかしたら海の向こうにある故郷「根の国」を思っていたのかもしれない。
熊野本宮大社では大斎原の森の木々、熊野那智大社では那智の滝の清流、そしてこの熊野速玉大社では巨大な岩が、心に強く残った。
・新宮の素敵なかき氷屋さん「仲氷店」
帰り道に「氷」の文字が見えたので、かき氷好きのぼくは早速立ち寄ってみた。この「仲氷店」のかき氷が、安くてとても美味しくて大好きだった。特に大きな都会のかき氷に見られるような、何かとくだらない工夫を凝らして高額な値段を請求する訳でもなく、和歌山産のゆずや梅を使ったシンプルで素朴で美味しい味わいに非常に満足できた。
おばちゃんやおじちゃんともとても楽しくおしゃべりでき、これが国内旅行のよさだなぁと改めて感じた。たどたどしい英語同士で会話しなくても、地元の安心できる関西弁で通じ合う喜びが、これほどまでに大きいことをぼくは知らなかった。ぼくが紀伊半島一周していることや、車中泊をしていることなども話、おじちゃんはええなぁと笑ってくれ、おばちゃんはちょっと心配そうにしていた。他人のことをきちんと心配してくれるところも、素朴な土地柄ならではだと思い感動した。
・古民家うなぎ屋さんの「鹿六」
昼食は鹿六という、雰囲気のある古民家で営まれている老舗の鰻屋産にお邪魔した。老舗だけあって値段もちょっと高めだが、こんなところで気にせず食べようと思えるのも、車中泊をしているおかげで宿代をかなり浮かせることができているからだ。本当に車中泊楽しい!
・何度でも食べたい「紅梅堂」の鈴カステラ
新宮のお土産として有名なのは、熊野速玉大社から歩いていけるところにあるのは老舗のお菓子屋さん「香梅堂」の鈴カステラ!これもとっても美味しかった!しかもそんなに高くない!最初2袋買ったけど、美味しかったし車中泊の朝食にちょうどよかったのでさらに2袋買ってしまった。柔らかくて、甘くて、食べやすくて、しかも量もいっぱい入っている。また新宮に行った時に買いたい。