今オーストリア・ザルツブルグでは記録的な大雪らしい。
まるで絵葉書の風景!世界一美しい湖畔の街・白銀のハルシュタットへ行ってきた
・ザルツブルグは「記録的な大雪」
・よく晴れた美しい日
・ハルシュタットへのバスの車窓
・ハルシュタットへの電車の車窓
・湖をわたれば
・“世界一美しい湖畔の街”
・ハルシュタットの絵葉書の風景
・ハルシュタットの祈りの細胞分裂
・ハルシュタット写真集
目次
・ザルツブルグは「記録的な大雪」
今ヨーロッパは記録的な寒波に見舞われて、ぼくのいるここザルツブルグでも大雪により除雪のために軍が出動する事態にまでなっているという。
しかしぼくがこれが記録的な大雪だとは全然気づかなかった。たしかにザルツブルグにたどり着いた時には雪がたくさん積もっていたのだが、例年これくらい積もるのだろう冬だしなぁと呑気に構えていたのだ。しかもこれくらいの雪ならばこの旅の中で幾度も見てきた。
ロシアの北極圏の街・ムルマンスク、フィランドの北極圏の街・ロヴァニエミやその他にも第2の都市・タンペレや首都・ヘルシンキでもたくさん雪が積もっていた。それからバルト三国でも雪を欠かさず見ていたものだ。リトアニアのクリスマスなんてこれでもかと言わんばかりに雪が積もったホワイトクリスマスだったし、ぼくの中で雪に対する耐性ができてしまい、雪にあまり驚かなくなってしまった。バルト三国を過ぎると雪は消え、プラハ、クラクフ、ブダペストでは雪が積もっているどころか降る景色もまったくも見なくなったが、ウィーン、ザルツブルグとアルプスに近づくにしたがってまた雪景色が復活してきた。
今のザルツブルグの雪は、おそらくクリスマスのリトアニアくらいの積雪量だろう。そんなに大したことはないと思っていたが、この地域でこんなにも雪が積もるのは稀なのだそうだ。ということは、貴重なザルツブルグの景色を見ているということもできる。ザルツブルグ2日目は旧市街へと繰り出したが、降る雪で景色が霞んで綺麗で鮮明な写真が撮れなかったことが思い出される。可能ならば雪の降らない日に再度美しい旧市街を撮影したいと企んでいた。
・よく晴れた美しい日
しかしその次の日は、美しい青空の日だった。青空が出て日の光が差すと、雪景色も曇りの日とは違い美しく輝いて見えるものだ。ぼくは急遽、世界一美しい湖畔の街と言われるハルシュタットを訪れることを思いついた。珍しい記録的な大雪の際のハルシュタットの景色なんて是非見てみたいと思ったのだ。しかもそれが雪が降っていたり曇りの日ではなく、よく晴れた青空の日ならばきっと美しさもはるか増すに違いない。
ぼくがホテルを出たのは12時でその時に初めてこんなに綺麗に晴れていると知ったので、そこからハルシュタットに出発したことになる。ハルシュタットまではバスを乗り継いで片道3時間弱の道のり。あまり時間がないしどうしよう、本当は次の日に訪れる予定だったが、次の日も雪の予報らしい。時間がなくても美しい景色を望むなら今日しかないと思い立ち、ぼくは思い切ってバスに乗り込んだ。果たしてこんな時間から行って無事に日帰りできるのだろうか。
ぼくは同じ部屋にいた台湾人からの情報を思い出していた。彼はまさに記録的大雪の降り積もった日にハルシュタットへの日帰り旅を結構し、電車が止まるわバスは遅れるわでものすごく時間がかかって大変だったというのだ。それも2日くらい前のことだが、そのような状況も改善されているのだろうか。もしかしたら田舎だしそのまま通行止めになっていたら行きようがない。
ぼくはバスのおっちゃんにハルシュタットまで行きたいんだけどと言うと、オッケーという感じで普通にチケットを発券してくれた。どうやら通行止めにはなっていないようだ。ハルシュタットまでの道のりは往復で29ユーロ。こんなに支払って行けなかったら悲しすぎるのでどうにかたどり着いてほしい。インターネットの情報を見ていると、どうやら2回バスを乗り継がないといけないらしい。バスから電車に乗り継ぐという方法もあるものの、それだとさらにフェリーに乗り継がないといけないようだ。世界一美しい湖畔の街までフェリーで行くのもなんだか楽しそうだなぁでもめんどくさそうだなぁという思いが混在していたぼくは、バスだけを乗り継いで行くことに決めていた。
・ハルシュタットへのバスの車窓
ザルツブルグからのバスの車窓からの眺めはこれはこれでとても美しかった。オーストリアの山奥を突っ切って走っていくような道で、急に目の前に大きな白い山々や美しい湖が出てきたり、そのほとりに名もない小さな村々が点在していたりして風情がある。街にはオーストリア〜スイス〜ドイツ周辺の山奥独特の、お洒落なデザインの家々が立ち並んでおり見ていても楽しい気分になる。どんなに山奥にも小さくて細長い教会たちが建てられている。ああこんな山奥にも人が住んでいるんだなぁどうやって生活しているんだろうとぼくは不思議に思いながらバスに乗っていた。
・ハルシュタットへの電車の車窓
ザルツブルグからのバスの終点Bad Ischlまで1時間半で到着すると、予想外のことが起きた。なんとそこから乗り継ぎのバスは出ていないというのだ。あまり英語を喋らないバスの運転手のおじちゃんによると、ハルシュタットまでは道が全部閉ざされているからバスでは行けないよ電車で行きなさいと言っているような感じだ。やっぱり記録的な大雪の影響はまだまだ続いているようだ。
ぼくはハルシュタットまでの往復券をバスの中で買ったのだが、これは電車の料金も含まれるのだろうか。チケットを買ったバスの運転手のおじちゃんも、もちろんハルシュタットまでのバスは通行止めになっていることを知っているはずだから、きっとこれには電車料金も含まれるのだろうなぁと不確かな憶測を立てていた。もしこれがバス料金だけで電車代まで払うことになったら大きな出費だ。しかしこれは「ハルシュタット行きの往復切符」なのだから絶対に大丈夫だと自分に言い聞かせ、追加で電車の切符を買わずにハルシュタット行きの電車に乗り込んだ。
もしもこれで万が一、電車の切符がいることになったら困りものだ。ヨーロッパの電車は厳しいから知らなかったでは済まされず大量の罰金を支払うことになる。緊張しながら電車に乗っていたが、結局電車の切符の見回りは一切来くことがなかった。電車の車窓からの眺めも一段と美しくなっており、もうすぐ山奥の美しい村・ハルシュタットへたどり着くという予感が嫌が応にも高まってくる。
・湖をわたれば
電車を降りると目の前には美しい湖が広がっていた。この湖がまさにハルシュタット湖だ。湖のはるか向こうに、小さく家々が立ち並ぶのが見えるが、まだ明確に見えるわけではない。電車を降りてフェリーに乗り継ぐ。このフェリーに乗り継ぐのがめんどくさいからバスで行くことに決めたのに、結局乗る羽目になるとはなんてこった!しかも往復6ユーロ取られる。金銭的にもバスの方がよかっただろう。
しかし向こうにハルシュタットの街並みが見える期待の高まる中でフェリーに乗ってだんだんと近づいて行くというのはわくわくして粋なものだ。フェリーは5〜10分くらいで極めて短い船の上の旅である。
ハルシュタットの街へと近づくにつれてその美しさが鮮明に見渡せるようになってきた。よく晴れた青空と冬の白銀の世界も手伝ってより一層美しさを際立たせている。無理をしてでも晴れている今日に来てよかったなぁと心から思った。
・“世界一美しい湖畔の街”
フェリーを降りるとそこにはもう360度どの方向を向いても美しい湖畔の街・ハルシュタットの世界である。“世界一美しい湖畔の街”の文言に一切の間違いはなかった。それほどに美しい街並みが広がる。さっさと街の中へと入ってしまいたいのに、美しすぎて写真をたくさん撮るあまりに時間が遅くなってしまった。
ハルシュタット自体は本当に小さな街だ。なんとなく一周するだけならば1時間もあれば十分だろう。冬だからか、記録的な大雪のせいなのかほとんどの店が閉まっており静かだ。街中の文字には一般的なドイツ語や英語に並んで日本語もある。きっと景気のよかったときにたくさんの日本人が訪れた歴史があるのだろう。今訪れているのは韓国人と中国人だ。彼らは日本人の20年前を歩いているのだろうか。
バスから見たような、アルプスの山奥の村独特のデザインの家々が美しい配置で立ち並んでいる。アルプスの山奥の教会は細く高い。雪に押しつぶされないための工夫だろうか。ハルシュタットの街の奥へと進んで行くと、なんと崖から滝が流れ落ちている様子が見える。美しい湖とそこに浮かぶ美しいハルシュタットの街並みに加えて、さらに滝まで見られるだんて、風光明媚とはまさにこのことである。滝の水はやがてハルシュタットの街まで流れてきて人々の生活を潤した後で湖へと流れ込んでいる。ここは豊かで清らかな水に恵まれた水の街なのだ。街並みだけではなく、生活の色彩まで美しい。
この美しい街並みだって不思議だ。街なんてもともとは観光のためではなく、そこに住む人々のために作り上げられたものなのだから、このような人里離れたオーストリアの山奥に美しい街並みができあがっているということは、そこで過ごしそこに街を築いた人々の感性が豊かで美しかったのだったのだろう。このような山奥において誰かに見られるためではなく、ただただ自分たちが美しく生活したいがために作り上げた生活の場所・空間が、いずれ人々の評判になり世界的な観光地になるほどの力を持つなんて、ぼくはそのような人里離れた素朴で力強い美にいたく感動する。人間というものは本来、自然と美しいものを求め作り上げるようにできているのだ。
・ハルシュタットの絵葉書の風景
街をあちこち歩きながら美しい風景をさがす。といってもすべてが美しいのだが、その中でもさらに美しいポイントをさがして回る。よく「ハルシュタット」と検索すれば出てくるおきまりのあの写真はどこからのものなのだろう。事前に調べようもなかったぼくは自分の足で歩き回って探し出した。
それはフェリーの港から左ではなく右へと進んだところにあった。街の中心が左っぽいのでみんなにつられて左に行ってしまいそうになるが、まずおきまりの絶景ポイントを撮影したければフェリーを降りて右である。もちろん左の端まで行ってから右の撮影ポイントまで目一杯街を回っても、2時間もかからないほどの小さな街だ。
・ハルシュタットの祈りの細胞分裂
フェリーの時間と電車の時間はきちんと港に明記されている。どうやらフェリーの時間は電車の時間とリンクされているようだ。ぼくは16時45分に乗れるように街を巡り、それでも少し時間があまったので、丘の上の教会へ向かった。やはりここも細長い高い教会だ。この中でぼくは不思議な光景を目撃した。
たくさんの人々が訪れているハルシュタットの街なのに、丘の上の教会には誰一人いない。神聖な静寂が漂い、これこそが真のハルシュタットの街の姿なのではないかと思った。自分の足音しかしない教会の中、ふと祭壇を見てみると今まで見たこともない不思議な様子だった。なんと祭壇が左右ふたつに分けられており、それぞれに祀られているものも異なっていた。どちらも聖書の物語を映し出しているが、祭壇がふたつにわかれているなんて見たことがなかったのでしばらく眺めてしまった。なんでふたつにわかれているのだろう。アルプスの教会はこんな感じなんだろうか。謎。
祭壇に伴い天井もふたつに分けられている。まるで細胞が分裂している途中で時が止まって閉まったような光景だ。アルプスの山の中での祈りの細胞分裂。この不思議な光景がまだ頭に残ったままぼくはハルシュタットの街を去った。滞在したのは2時間ほどだが、店も閉まっていたし街を巡るだけなら十分だった。店が閉まっていたからこそより一層の神聖な静寂の中へと沈み込めたのかもしれない。
帰りも行きと同じ要領でフェリーと電車とバスを乗り継いでいく。帰りの電車の中でもチケットのチェックはなく安心しながら帰路に着いた。
・ハルシュタット写真集