幻想的な白銀の世界!オーストリア・ウィーンで真冬のシェーンブルン宮殿を訪れた

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

氷点下のウィーンの街は白銀に染まっている。

幻想的な白銀の世界!オーストリア・ウィーンで真冬のシェーンブルン宮殿を訪れた

・思い出のシェーンブルン宮殿
・氷の中のシェーンブルン宮殿
・能動と受容の精神

・思い出のシェーンブルン宮殿

前回のウィーンは夏に訪れた。その際シェーンブルン宮殿を見学したが、その庭園の風景が面白く非常に印象に残っている。夏なので木々が青々と茂っており、しかもそれが規則正しい幾何学模様に剪定されていたり、木で作られた迷路があったり、そして最もインパクトのあるのはそのだだっ広さである。こんなにも広大な庭園があるものなのかと当時は驚愕し、ハプスブルク家の栄華がしのばれた。

もちろん大学から行ったドイツ語研修だったので学びのために宮殿自体へも入場し、その豪華絢爛さと混雑具合が思い出される。しかしそれにも増してぼくはシェーンブルン宮殿の庭園の方が記憶に深く刻み込まれていた。そしてなんと庭園に入るだけならば無料なのだ。いわば市民の憩いの場としての公園の役割も果たしていると言えよう。宮殿の中身をもう一度見たいとは思わないが、また庭園を訪れたいという思いは強くあったので、本日シェーンブルン宮殿の庭園に赴いた。

 

 

・氷の中のシェーンブルン宮殿

 

庭園へは本当にさながら公園に入るように気軽に入場することができる。しかしこんなに広大な公園もなかなかないだろうと思えるほどの面積だ。そして今回は氷点下の冬に訪れているので、夏の前回とまったく趣が異なる。

 

 

夏の盛りには木々が青々と茂り艶やかな花々も咲き乱れていたが、今回は葉も落ち果て枝がさみしく白い空に浮かんでいるような風景である。しかし雪の降った後で庭園は白銀に染まり、また庭園の泉が凍りついてその上を鳥たちが歩いているなど、冬ならではの味わい深い風景を見ることができる。花の咲いてあったところには白い雪に冷たく覆われている。

 

 

地面が凍っているので何度も滑りそうになりから注意が必要だ。滑って転んで頭など打たないように注意深く歩いていく。氷に閉ざされたシェーンブルン宮殿はなんとも幻想的だ。なにせ面積が大きいので人の密度も極端に小さく落ちついて散策できる。

 

静寂に包まれた氷の世界。その中に浮かび上がるあまりに豪華な宮殿と、庭園を挟んで出現する美しいグロリエッテ。ぼくはこのグロリエッテが印象的でよく覚えていた。まるで漫画の世界に出てきそうな、現実の世界にはありそうもない記念碑である。宮殿からはるかここまでたどり着けば、あとは横道を歩いていくと庭園を出て街へと帰ることができる。

 

 

・能動と受容の精神

冬でさみしい風景となっても、植物の剪定はきちんと行われていた。植物たちに直線や半円の図形が象られ美しい幾何学模様を作っていく。このように完璧に庭園の植物たちが人間の手により支配されていることは、やはりその中に西洋的な感性を感じざるを得ない。

和辻哲郎の「風土」という本に記されていたことだが、西洋は牧場型の風土の中に人々が生活しており、そこではほとんど雑草が生えないため自然を支配しようとする能動的な考えが発生しそれが自然科学の発達へと繋がったのではないかと推測されている。一方我々アジアの地域はモンスーン型の風土に属し、高温多湿な気候により雑草は生え放題で、どんなに取り除いても取り除いても次から次へと生えてくるので、仕方ないと諦め精神が自然に対し受容的になっていくというのだ。自然の脅威や恩恵を受け入れつつ自然と共存していく受容器。そこには自然を能動的に支配してやろうとする意思などが芽生えるはずもない。

このように完璧に図解のように描かれた植物の庭園や、ニューヨークの街中に佇む綺麗な長方形のセントラルパークなどを見ていると、西洋の自然に対する能動的な空気、その結果として発達した自然科学やそこから発展した人間社会について考えずにはいられなかった。やがてはその発展の流れが世界中に波及するのだから、もはや風土が違うから自分たちとは無関係とは言えないだろう。

今や世の中は自然科学の風潮に傾いている。学校でもとかく重要視され西洋科学を教え込まれる。教科書から来る自然に能動的な精神、風土に与えられる自然に受容的な精神。そのどちらもを担いながら生きて行かざるを得ない今の時代のアジアの人間として、どのように自分自身の中で折り合いをつけ、この時代を生き抜いていくかを考察することは価値あることとなるだろう。

 

 

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

 

関連記事