山奥の秘境神社!奈良県十津川村の玉置神社その後 〜呼ばれた者だけがたどり着く〜

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「こんなにも神秘的で不思議な場所があったのか…」

玉置神社から帰ってきて、ぼくはまるで異界から帰ってきたかのような心地よい脱力感に包まれていた。こんなにもものすごい神社が辺境十津川の山奥に隠されていたなんて…!果たしてこの神社は人々の間で有名なのだろうか。それともこれほどまでに幽玄なる神秘の秘境神社は、まだ人々の目にあまり触れられていないのだろうか。

山奥の秘境神社!奈良県十津川村の玉置神社その後 〜呼ばれた者だけがたどり着く〜

・呼ばれればたどり着けるということ
・真空の心
・眠りの国

・呼ばれればたどり着けるということ

インターネットで調べてみると、興味深い記事が散見された。やはり玉置神社は日本の秘境神社として、知る人ぞ知る神社であるようだった。いくつかの記事を見ていると、共通して頻繁に書かれていることは「神社の神様に呼ばれた人がたどり着く神社」であり「呼ばれていない者はどう頑張ってもたどり着けない神社」であるという面白いものだった。それはまるで、三島由紀夫が「インドは呼ばれた者が行く国である」と語ったことによく似ている。

「呼ばれればたどり着ける」「呼ばれなければたどり着けない」

それは人知を超えた次元におはします神様が決定するという。どれほどに強く願っても、どれほど巧みに方法を考えても、人間にはどうすることもできない。すべては神様が決めることである。このような発想は実に面白いものがある。普段日常生活を営むにおいて、ぼくたちはこのようなものの考え方をあまりしなくなっているのではないか。

現代の人の世には、万能感が渦巻いている。人間はなんでもできるという、思い上がりの発想である。科学の発達が人間にそう思い込ませているのか、自分より偉大なものと対面し打ちひしがれる機会の減少がそれを招いているのか、原因は定かではない。しかし、人もいつか、その万能感を打ち砕かれる時が来る。老いること、病むこと、死ぬことがそれである。いくら科学技術が発達していても、どんなに富を蓄えても、それらの生きることに伴う苦しみを、取り除くことはできない。人間は、必ず老い、必ず病み、必ず死ぬ。それは太古の昔から変わらない、変えようのない人間の運命(さだめ)である。そのような運命の壁にぶつかった時に初めて、人は「無力感」を感じ、自分より大いなるものの存在(あるいはそれを神と名付ける人もいるであろう)の影に気がつくのではないだろうか。ぼくたちは進化して、進歩して、発達して、発展して、富み栄えて、無敵になっているような気分になっていても、結局は昔とほんの露ほども変わらない、ただただ運命に身を任せるしかない無力な動物なのだ。

そのような無力さを反射させるように出現する、大いなる存在(あるいは神)の影が、神秘的な玉置神社にも、数多の神々が暮らすインドという国にも、伝承としてまとわりついていることは至極必然であるような気がする。もしくは日本最南端の沖縄の離島・波照間の記事でも紹介した、司馬遼太郎の本に出て来る、波照間に行く方法を尋ねれば「ハテルマ、ハテルマと呼ぶのよう」とだけ答える女の言葉にも、太古から人々の感じ続けてきた、大いなる存在の影の片鱗を見ることができるだろう。

それらは人間の「自力」を打ち砕き、「無力」にさせた上で、それを超えたところにある「他力」の存在を、密やかにしかし確かに示唆している。

 

 

・真空の心

ぼくたちは、呼ばれたからたどり着いたのだ。たどり着きたいという欲望など、はなからなかった。なにせその当日まで玉置神社の存在すら知らなかったのだ。インターネット上の記事を見ていると、何度行こうと試みても天候や工事に阻まれて、なかなかたどり着けない方々も散見される。

願えば願うほどに、その思いに妨げられて、たどり着けないこともある。まったく願わない真空の透明な心だからこそ、導かれることもあるのだ。

 

・眠りの国

ぼくはぼんやりと、夢の中の青い森林のことを考えていた。ぼくはよく、夢の中で同じ場所を訪れることがある。夢の中で、美しい泉に浮かぶ青い森林へと幾度か赴いた。ぼくはその聖域の風景を忘れないように、絵を描いてその姿をとどめた。

 

この世界の大抵の場所は、今となってはどこへだって行くことができる。富を蓄えお金を出せば、何かしらの交通機関が連れていってくれるだろう。

けれど夢の中の国へは、誰も連れて行ってはくれない。どんなにお金を注ぎ込んでも、誰かに頼み込んでも、眠りの国までの乗車券は買えない。願うというより、忘れかけた心の片隅で消えそうに祈るだけだ。

もういちど訪れられたならば、と。

 

 

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山奥の秘境神社!奈良県十津川村の玉置神社が神秘的すぎて震えた

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