【南十字星、かき氷】美しき波照間島の日々【ウミガメ、珊瑚の浜】

 

波照間の光は美しい。

美しき波照間島の日々

・”ハテルマ、ハテルマと言うて”
・美しき光の波照間
・民宿の人々
・南十字星、再び
・ウミガメとの日々
・ハテルマブルーのかき氷
・珊瑚の浜
・絆を持たないということ

・”ハテルマ、ハテルマと言うて”

波照間の光は美しい。

これはぼくが波照間島に抱いた率直な感想である。間違いなく、確かに、この琉球諸島をめぐる旅の中で、最も美しい光を注がれたのは、この波照間島だったのだ。その光は肉体にも、心にも、降り注がれた。

波照間島は遠い。

石垣島からフェリーでいける離島の中でも、最も時間のかかる島である。大型船で1時間半、小型船で1時間かかるという。ぼくは往復とも、深い眠りについていたので、その時間を感じなかった。

波照間島はこの世の島ではないという気配がする。

司馬遼太郎の「街道をゆく 6 沖縄・先島への道 」では、波照間島出身の娘に、波照間島へは果たしてどのようにして行くのか問う場面がある。普通ならば、船で行くんですとか、何時間かかるんですなどの回答をよこすだろうが、しかし彼女の答えは違っていた。

「ハテルマ、ハテルマと言うてゆくのよう」

何度尋ねても、彼女はそのような不思議な答えしか言わなかったという。
言えば、行くことができる。船でもない、飛行機でもない、ただ言うことで、言霊の力で、人は波照間に、達することができるというのだ。その様子はまるで、古代の呪術を見ているようだったと、司馬遼太郎は結んでいる。

乗り物の力ではなく、人間の力ではなく、言葉の力によって、波照間島へと、いざ行かん。

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・美しき光の波照間

自分がなぜそれを好きなのかを、人間はわからない。なぜその色が好きなのか、なぜその国が好きなのか、なぜその人が好きなのか。どれほどに言葉を並べてみても、どのように論理を立ててみても、何か違っているような、説明しきれていないような気がして虚しい。

自分自身のこともわからないのに、よそのことがわかるはずもなく、人間というものは、結局は何もわからない生き物なのだなあというのが、ぼくが今まで人間として生きてきた感想である。

好きというのは、直感であり、熱なのだ。それは言葉や、理由や、論理を飛び越えて起こる。そしてそのように超越性を以て生命に迫ってくるものほど、真理であり、ぼくには尊いと感じる。

ぼくは波照間島が好きだった。

ただ一瞬でそう感じ、確信した。何がそう思わせるのか、それは誰にもわからない。ぼくにもわからなかった。それが、ひどく嬉しかった。

 

太陽の光が照りつける中を、自転車で一周した。

なんて美しい空の色だろう、なんて美しくなびく草原だろう、なんて美しい光が注がれるのだろう。心は感動であふれ、満たされ、そして波照間へと開かれた。

 

 

地形としては、なだらかな平野が続いており、宮古島に似ていた。

日本のようにどこを見ても、すぐそばに山が貫かれているわけでもなく、どこかヨーロッパの田舎を鉄道で走っているときに車窓から見えるような、自分がどこにいるのかわからなくなるような、不思議な風景。

 

不思議な場所に迷い込むと、人は時を忘れる。

腕時計は取り外され、統一され強制された時間は解除され、ぼくの中にぼく自身の時間が流れ、そしてそれは永遠へとつながる。

永遠と自分自身を重ねるために、ぼくは旅を続けていくのだ。

 

・民宿の人々

沖縄離島の民宿は不思議なシステムで成り立っている。(同じようなシステムをぼくは日本国内ですら体験したことがないのだが、これは沖縄離島独自のものなのだろうか。それともこれは古き良き日本のシステムで、どこかまた別の辺境の場所ではこの風習が残っているのだろうか。)

その中でも面白いのは「ゆんたく」のシステムである。ゆんたくとは沖縄語でおしゃべりをするという意味であり、その民宿に宿泊している人全員で、楽しくおしゃべりしながら食事をとるのだ。

知らない人と話さなければならないなんて、苦痛を被ると思われる方もいるかもしれないが、喋りたければ喋ればいいし、喋りたくなければ喋っている人の話を笑いながら聞いていればいいという気楽なものなので、旅らしい思い出として一度体験してみるのもまた一興である。

沖縄の離島の民宿というのは、わざわざこのような遠い辺境まで来ているというだけあって変わった人、面白い人が多く、打ち解けて話してみると非常に楽しく、ぼくはいい思い出しかない。

ぼくが思うに、このようなゆんたくの場で楽しい思い出を作ろうとするためには、自分の中の「変わっている部分」「変な部分」をきちんと保ちながら日々を生きていくことがポイントであるような気がする。そのような「変わっている部分」「変な部分」が、このゆんたくの場では共鳴しあうように思う。“変な部分”を“きちんと”保つというのも、おかしな話ではあるが…。

 

 

・南十字星、再び

ゆんたくが済むと、よくあるパターンとしては、星を見に行こうとか、夕日を見に行こうとか、明日海へ一緒に行こうなどという流れになる。特に夕食を食べた後なので、そのまま星を見に行こうというパターンになる確率は非常に高く、この時点でスマホに星座を教えてくれるアプリなどをあらかじめ登録しておくと、非常に便利である。

旅に出ると不思議と人は、空を見上げるようになる。星空を見たりとか、夕日を見たりとか、そんなことはきっと普段からだってできるはずなのに、旅に出ると、不思議とそうなる。ぼくはそれを、とても素敵な旅の風景だと感じる。

旅は人の瞳を、天へ向けることを助けるのだ。

 

黒島でも毎日暗がりの中で星を眺めていたが、波照間でも毎日民宿の人たちと、星を見に出かけていた。その民宿の人々は、波照間にはまっている人の率が非常に多く、去年は1年に3回来たという人や、連続10年来ているグループなど、それだけでキャラクターの濃さがうかがえよう。

波照間にいた日々も、毎日南十字星を見ることができた。こんなに毎日見えるのだから、南十字星を見ることはさぞかし容易いことなのだろうと思っていたが、波照間のリピータによると、10年通って初めて見た人や、3回目にしてやっと見られたと歓喜している人もおり、このように毎日見られるのは、ただ単純に幸運であるということがわかった。

次の日、西の浜に行くと、波照間のガイドを勤めているらしい地元のおじいが言っていた。

「昨日で10日連続南十字星が見えていた。この島にずっと住んで仕事をしているけれど、このようなことは初めてだ」とのことであった。琉球諸島の夜空は、稀有な幸運として、南十字星を惜しみなく、毎日見せてくれていたのだ。

 

深夜にひとり天の川を見に出かけたりもした。

ところで、ネットで瞬くように煌めくたくさんの星々の、夜空の写真がアップされているのを見るが、あのような写真はどのように撮るのだろうか。あれはフルサイズのなせる技なのだろうか。もっと星空を美しく撮りたいものだと、オリンパスのE-PL7を持ちながら、佇んでいる。

 

・ウミガメとの日々

西の浜では、毎日ウミガメを見ることができた。

人に慣れているらしく、全然逃げない。というよりも、人間にまったく興味がないというような風格で、海底の藻をぱくぱくとひたすら食べ続けていた。ぼくは、買ったばかりのGoProで、ゆっくりとウミガメの姿をカメラに収めることができた。

 

聞けば、西の浜の珊瑚が熱の影響で死滅してしまったらしく、その跡にたくさんの藻が生え、それを求めてウミガメが浜の近くに寄ってくるようになり、見られる確率が格段に上がったのだそうだ。

シュノーケリングができない小さ子供たちでも、浜からウミガメの泳いでいる姿を確認することができ、非常に嬉しそうに眺めていたのが印象的だった。

 

 

民宿の10年波照間に通っているグループの人々は、なんと10年通っていてもウミガメを見たことがないらしく、みんな見ているのに自分たちだけ見られない、なんとか今回見て帰りたいと嘆いていた。その人たちも、今回なんとか後ろ姿だけは見ることができたようで、感動し満足していた。この出来事から察するに、現在は非常にウミガメを見やすい時期にあるといえよう。

 

しかし、今回初めて波照間へ来、毎日ウミガメを見ることができ、何時間も一緒に泳いだり写真を撮っていた身からすると、もしかしたらウミガメに会える種類の人間と、会えない種類の人間がいるのかもしれないなあと、ぼんやり感じていた。その2種類のを隔てているものは果たして何なのか、知る由もない。

 

・ハテルマブルーのかき氷

ぼくは波照間にいる4日間で、お気に入りのかき氷やさんができた。「みんぴか」というかき氷やさんで、特に好きだったのは「ハテルマブルー」というかき氷だった。その名の通り、波照間の海の色をなんとかき氷で再現しているのだ!

 

色彩も綺麗なのだが、この味もよかった。緑の部分はメロン、青の部分はソーダの味で清涼感があり、照りつけるような波照間の日の光を浴びた後でのこの清涼感は、心がすーっとさらに洗われるような心地がした。

 

 

・珊瑚の浜

波照間の海といえば西の浜であり、その他の海では基本的に泳いではいけないことになっているらしい。けれども自転車で一周すると、波照間にはそれ以外にも美しい浜がたくさんあった。

珊瑚の浜は、あまり人の寄り付かない静かな浜である。しかし、ぼくはこの神秘的な浜に魅了され、連日通っていた。

この浜は砂ではなく、真っ白な珊瑚によって形成されているのだ。歩くと、聞いたこともない音がする。シャラシャラシャラシャラという、透き通るような、清らかな音が、歩く度に鳴る。

夢の中にいるようで、この浜の上を歩くだけで楽しかった。嬉しかった。

 

・絆を持たないということ

これは波照間に密接する出来事だったが、後日の話になるので、別の記事として独立で書きました。

絆を持たないということ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.日本最南端の場所にも行ってきたよ!

 

 

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