絆を持たないということ

 

琉球諸島をめぐる旅を終えて、石垣空港から宮古空港に帰る便を待っていると、知っているような人影が現れた。それはなんと、波照間の民宿で一緒になった人たちだった!彼らはぼくがこの日に石垣から宮古島に帰るということを覚えていてくれて、もしかしたらいるんじゃないかと思って空港のゲートまで来てくれたらしいのだ!ぼくは思いがけない再会に感動していた。もう二度と一生で会うことができないだろうと思う人々と、もう一度合えるということは非常に心揺さぶられるものがある。

彼らは10年間波照間島に通っているという筋金入りの波照間好きで、最初の方はもっと多くの友達と来ていたようだが、結婚したり忙しくなったりで、今そのグループは2人だけになってしまったと語っていた。彼らは10年間通っているのに、まだ波照間でウミガメを見たことがないといい、どうしても見たいのに自分たちだけ見られない、他の人たちは簡単に見られているのにと非常に嘆いていた。たしかにぼくも、今日が波照間の第一日目で、その日にウミガメを見ることができたのだ。他の人々も簡単に見られると言っていることから、ウミガメに出会えるその容易さは想像がつくのだが、それにしても10年間通っていて見られないなんて珍しい。逆にその記録を延ばした方が、ウミガメを見られることよりもずっとすごいことなんじゃないかと思ったが、言わなかった。10年もウミガメと出会えないなんて、ふたりとも、もはやウミガメが寄り付かないようななにか特別な気でも放っているのではないだろうか…。今回こそ見られたらいいですね!と、心の底からぼくはふたりを応援していた。

ふたりのうちのひとりは、星座に詳しいらしく、星空を見に行く際に皆から「先生」と呼ばれていた。ぼくは夜空にかざせば星座の名前を教えてくれるアプリを携えていたが、先生が星座のことを教えてくれるときにはアプリを出さないように決めていた。自分で努力して記憶して、それを教えてくださる方がいるのに、星座のアプリで星空を眺めるということは、非常に野暮なことのように思われた。機械の方が情報が正確であろう、機械の方が多くを記憶しているであろう、機械の方が位置を示されやすいであろう。それでも人間が、人間に、肉体を使って教えてくださることを、ぼくは尊重した。

彼らはこの滞在中に、なんとついにウミガメを見られたらしく、ぼくも心の底から共に喜んだ。しかし詳しく話を聞いてみると、遠くの方にウミガメのお尻が見えただけだったということであった。それでも見られたことはめでたい。けれど、ウミガメのお尻だけだったという事実に、やっぱりウミガメを寄り付かせないなんらかの気が…と疑いはますます深まっていった。

ぼくたちは、Facebookを交換しなかった。LINEも電話番号も交換しなかった。波照間で、ただ出会い、波照間で、ただ別れたのだ。そのような事実が、ぼくの心の中に大切なものとして今もなお残っている。今では誰もが、繋がり合いやすくなってしまった。一度軽く出会っただけでも、繋がりをどこかで設定でき、どこにいても、連絡を取り合える。とても、便利で、合理的だが、それゆえに、複雑な糸のように、絆が絡まりあってはいないだろうか。

ぼくたちは、連絡先を知らなかった。それなのに、石垣空港で再会したのだ。もしもこれが、繋がりを持っていて、連絡を取り合っていて、そのようにして会えたのならば、それはある種の「必然」であり、感動する要素なんかなかったに違いない。ぼくらは、記憶だけで出会ったのだ。この日のこの時間に、飛行機に乗ると覚えていてくれたから、また顔を見ることができたのだ。綿密に繋がりあうことが当然の日々だったから、繋がっていなかったのに、また繋がったこと、その感覚に心は打ちのめされた。

そしてぼくらは、別れる際、また何も交換しなかった。繋がりあうことをしなかった。とても古典的な風が心を通り抜けた。古えの旅人は、まさにこのようだったに違いない。出会う時にだけ出会い、別れる時には別れ、過剰な絆なんか持たなかった。現代へのなんらかの示唆を含んでいるような気がした。
ぼくたちはまた、どこかで出会えるだろうか。機械の絆ではない、運命の絆だがそれを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またどこかで会おうと誰もが言った

本当はもう、会えない事を知っているかのように

けれどもしかしたら、もしかしたらと

どこかで信じる心には意味がある

繋がり合う事に必死になる浮世を退いて

旅人は繋がらない事、絆を持たない事の

純粋な美しさを知っている

その先にこそ、救いがあることも

 

 

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