アルベルゲから閉め出された!朝から1日分疲れたスペイン巡礼2日目

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まじで死ぬかと思いました…。

アルベルゲから閉め出された!朝から1日分疲れたスペイン巡礼2日目

・アルベルゲから締め出された人生で最悪の朝
・巡礼2日目はロンセスバーリェス(Roncesvalles)からズビリ(Zubiri)へ
・2日目のアルベルゲはAlbergue Suseia
・スペイン巡礼2日目記録

・アルベルゲから締め出された人生で最悪の朝

スペイン巡礼の2日目の朝は最悪の形で始まった。ぼくはロンセスバーリェス(Roncesvalles)でこの巡礼の旅初めてのアルベルゲALBERGUE DE PEREGRINOS DE RONCESVALLESへ宿泊していた。巡礼者の朝は早い。誰もが皆巡礼のために朝早くから起きるのは当然の慣習となっており、アルベルゲ全体で朝6時から朝8時まで聖歌が果てしなく流れ続け、早く起きるように促される。そして朝6時には、ドミトリーの部屋の電気はすべてつけられる。しかしぼくはその朝6時よりももっと前から目覚めていたのだった。

ぼくが自分の充電器たちが床に墜落して期せずして目覚めてしまったのは朝の4時半。当然のようにもう一度眠ろうと思ったが、なんだか屋根からポツポツと雨の音がする。ぼくは巡礼1日目に泥のぬかるみにはまってしまい靴を汚していたので、アルベルゲで靴を丁寧に洗い、外に吊るして干していたことを思い出した。このままでは干してある靴が濡れてしまう!と思ったぼくは、即座に寝間着のまま起き上がり、メインのドアから外へ出た。自分の靴があまり濡れていないことを確認し、安心した。風が強かったので夜までにはきちんと乾いていたようだ。靴を持ったまま宿に入ろうとすると、なんとアルベルゲのメインドアはオートロックだった!

これほどまでの絶望感をぼくは他に知らない。外は小雨の降る6月初旬。ロンセスバーリェス は標高も高く、気温も低い上に暴風が吹き荒れている。ぼくは上下薄いヒートテックの寝間着1枚ずつ。履いているのは裸足にサンダル、外は真っ暗、人はもちろん誰もいない!こんな絶望的な状況で、外に締め出されるなんて信じられない!

何度も扉の横にあるインターホンのようなボタンを押してみたものの、当然のように返答はなし。やばい、風邪引くかも。ていうか死ぬかも!即座に寒い雨の中を走りまくって、アルベルゲの扉という扉をすべて調べたが、最悪なことにすべてがきっちりと閉ざされていた。時間は朝の5時になろうとしていた。それにしても風が寒い雨が冷たい。なんとか雨だけでもしのごうと、屋根のある石造りの通路へ避難したが、雨は避けられるものの直線の通路であり通り抜ける風が冷たすぎる。

また真っ暗な雨風の中を走り出して、なんとか屋根があって直線でなく風の通りも悪い石造りの通路を発見した。時刻は朝の5時になろうかとしている。朝6時になれば人々も起きて外へ出てくるだろう。それまでなんとかこの寒さと心細さの中を生き抜かなければならない。

ぼくは寝間着のままで小学生のように体育座りをし、なんとか自分の生み出した体温が外気に逃げ出さずに自分自身へと還元されるような姿勢を試行錯誤していた。裸足のサンダルも乾いていた靴へと履き替え、体温を保とうと努力した。

ぼくはこの絶望的な心細い状況の中で、今まで自分はいったいどれほどぬるま湯のような人生を送って来たのだろうと反省した。真冬の中で温かい毛布にくるまって眠るのがとても幸福だったことを思い出し、そんな贅沢な時間を過ごして来た自分はなんて幸せ者だったのだろうとぼんやり感じた。今は毛布一枚どころか、暗くて寒く冷たい風と雨の中、それをしのげるたったひとつのコートすらありはしない。

そのまま上下1枚の薄いヒートテックのままで自分自身では永遠のように感じる時間を過ごしたが、おそらく世界では40分くらい経過していたと思う。急に黒い人影がアルベルゲの扉の前で何かしているのを見かけた。助かった!!!そう思いまた雨風の中を走り抜けその人影の方へ向かうと、それは韓国人のおじさんだった。ありがとうおじさん、この人がきっとアルベルゲの扉の開け方を知っているだろうとかなり期待した結果、なんとおじさんもぼくと同じように締め出されて入れなくなっていただけだった。

絶望の中のさらに深い絶望!おじさんはタバコを吸いに来て締め出されてしまったという。寒いねーなどと雨風の中を話し込んでいたが、明らかにおじさんは寒さ対策をした重装備で外出して来ており、こんな薄着のままで外に締め出されたぼくとは似ても似つかない状況だった。ぼくは雨風に耐えかねて体育座りして待っていた通路へと戻り、またそのまま体育座りして再度永遠のような時を経験した。

その10分後、韓国人のおじさんが叫んでいるのが聞こえて来た!なんと扉が開いたのだった!ぼくはそれはもう暴走列車のように走り出し、なんとか中へと入ることができた。アルベルゲに入れることがこんなに幸せなことだったなんて!

ぼくはもうそのまま1日間でも寝ていたいほど疲弊していたが、あいにくアルベルゲは1泊しかできず、しかも朝6時には誰もが起きてしまうように、聖歌が部屋中に鳴り響くのだった。今まで生きてきた中で最悪の朝を経験して、心も体も休めたいのに、今日もまた巡礼の道を20kmほど歩くという予定がぼくを待っていた。

 

 

・巡礼2日目はロンセスバーリェス(Roncesvalles)からズビリ(Zubiri)へ

1日目のピレネー山脈越えがスペイン巡礼で最も過酷な道であると言われていたように、2日目のロンセスバーリェス(Roncesvalles)からズビリ(Zubiri)への道は、1日目と比較してみればなんとも楽なものであることだろうと感じた。しかしそのような道も、10kgほどの荷物を負いながら進むとなると、普通に身軽に歩くのとはまったく訳が違う。しかも1日目も25kmほど、最も過酷な道を歩いた後なので体にも変調を来していた。

まず最も顕著なのは、足の筋肉が痛い。大腿や下腿の筋肉でなはなく、足の筋肉そのものが痛んでいたので、歩くたびに足に痛みが響くのだった。また足の裏にマメもできた。これが水泡を保っていると痛みがひどいので、裁縫の針を刺して水泡液を抜き、なるべく痛まないように努力した。水泡の膜はもはや痛覚を失っており、針で刺してもいたくない。また10kgのバックパックを支えていたことにより、肩にも痛みが生じているが、これは歩き続けている途中で時々出てくるものであり、とてもひどいというわけではなかった。

人生でこんなに長距離を、こんなに長時間、しかも何日も連続で歩いたことなんてなかったので、自分でも自分自身の体がどうなるかわからなくて不安だったが、なるほどこのような変化が生じるのかと直に感じ取ることができた。まるで自分自身の体について、巡礼の道から教えられているような感じだ。

2日目の道は、1日目のひどいピレネー山脈越えの影響がそんなに響いてこなければ、1日目と比べて楽だなぁと楽しく歩くことができるだろう。木漏れ日も多く、清流に多く当たる道であり、晴れていても涼しさを伴って爽やかに歩くことができる。スペイン北部の大自然との対話を楽しむこともできるだろう。

 

 

・2日目のアルベルゲはAlbergue Suseia

 

ズビリへは2日目は14時45分ほどに到着したが、既に満員のアルベルゲが数多くあり、町の最も奥にあるAlbergue Suseiaのベッドをなんとかおさえることができた。しかしその町外れの宿もぼくたちで満員になっており、この時期で巡礼の宿アルベルゲのベッドを取得するためには、14時45分では遅いのではないかと推量された。

 

 

Albergue Suseiaは本当にこじんまりとした可愛らしい快適な宿で、部屋も清潔、中庭も気持ちよく、自分で選択して干すためのスペースも用意されている。働いている女性スタッフも愛想がよくて可愛らしく、日本の漫画やアニメが大好きだと語っていた。

 

この宿のご飯がとても美味しかった!サラダに、トマトの冷製スープに、この地方の郷土料理など、バラエティに富んでおり、様々な種類の食物を摂取できるので心地よく感じた。日本人のぼくたちは何これ美味しい、美味しいと言いながら食べていたが、韓国人のおばちゃんたちはあまり口に合わなかったらしく、日本人はよその国の不思議な食事に対しても、寛容になんでも食べてしまう適応力があるのかと感じられた。

 

 

・スペイン巡礼2日目記録

出発8時 到着14時45分
消費カロリー872kcal 歩数45179歩
移動距離28.2km

健康状態:足の筋肉痛、左足の小指にマメ、肩とバックパックの摩擦痛

 

 

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