朝早く歩くと気持ちいいなー!
スペイン巡礼16日目!巡礼は早朝がいい理由と歩くことは人を救済する
・巡礼者の朝は早い方がいい理由
・見慣れた風景の中にも楽しい発見を
・歩くことは人を救済する
・スペイン巡礼16日目記録
・巡礼者の朝は早い方がいい理由
巡礼者の朝は早い。ぼくたちは慣習的に早朝6時半に歩き始めるが、これが早いのかといえばそういうわけではない。最近となってはぼくたちの出発は遅い方であり、周囲のベッドの人々は5時台には起きだして、6時には出発していることが普通のように感じられる。
早朝に出発した方がいい理由は数多くあるが、まず目的地の希望の宿(アルベルゲ)を取ることが容易になることが挙げられるだろう。しかしメセタの大地に入った最近となっては、もはや村々が至近距離で散らばっており、巡礼者の宿泊する町やアルベルゲも分散しているので、早くたどり着こうが遅くたどり着こうが希望のアルベルゲに宿泊できることがほとんどである。
また、6月だと日中の日差しは強く、特に快晴の日は歩いているだけで日光に体力を奪われそうになるものの、早朝に出かけると外はまだ日の出の時間で涼しく、快適に歩くことができる。さわやかな気持ちで巡礼の道を歩きたければ、可能な限り早朝に出発することが望ましい。まだ涼しく、人通りも少なく、快適な朝の巡礼は巡礼の1日の中で最も気持ちのよい時間である。しかし快晴ではなく、曇りがちな日はどのような時間帯であっても快適に過ごすことができる。
さらには朝早いと巡礼の道があまり人で混雑していないのもいい。もちろん東京や大阪の駅ほどに混んでいることは全くないものの、前後に多くの人がいると抜いたり抜かされたりするのに結構気を使って快適に歩くことができない。カミーノの道から見る広大な景色のように、できれば人との距離を適度に保ちながら広々とした感覚で巡礼を楽しみたいものである。
・見慣れた風景の中にも楽しい発見を
この日もCarrión de los CondesからTerradillios de los Templariosまでの27kmにの道のりを、6時半に出発して歩き始めた。メセタの大地は、麦畑以外は荒れ果てた荒野というイメージだったが、そのイメージもブルゴスを出発してからの最初の3日間くらいで、結構木陰があったり、涼しい川沿いの道を通ったり、割と大きな街もあったりと飽きずに楽しませてくれる。
見慣れてくるメセタの大地の風景の中にも、面白くて楽しい景色を探し出すことは可能だ。鮮やかな黄色い花々の間に黒猫が巡礼者を待ち構えていて巡礼者が訪れると近寄って甘えて来たり、いつもは金色に映る麦畑が金色を通り越して美しくて幻想的な白銀色のように見えたり、畑の中に何に使うのか分からないような飛行機みたいな機械が横たわっていたり、日常の中に起こる何気ないちょっとした驚きが、可愛くて魅力に満ちている。
27km歩いてたどり着いたTerradillios de los Templariosには、民家と大きくて綺麗で清潔なアルベルゲがある以外は、特に何も見つからない静かな町だった。メセタの大地に入ってからの北スペインには、特にこのように巡礼者以外は静寂に満ちた町が多い。スーパーマーケットも少なく、よろず屋のような商店しかない場合も多々ある。
レストランもなさそうなので、アルベルゲで巡礼者用の10ユーロの夕食を食べた。これが前菜に大量のサラダ、メインにお肉とポテト、デザートにアイスクリームやヨーグルト、飲み物に水(agua)かワイン(vino)かを選ぶような値段の割にはかなり贅沢なメニューだった。
Terradillios de los TemplariosのアルベルゲArbergue Los Templariosの値段は8ユーロ。Wi-Fiはフロント付近しかないものの、速度は良好な方だった。
・歩くことは人を救済する
歩くことは人を救済する。それはぼくが高校生のときに感じた真実だった。どうしようもない、変えがたい、解決しようもない難問に取り憑かれた人の心を、歩くことは救済する。最も困難に見えるべき運命を、最も簡単な肉体の運動である歩行が解きほぐすという矛盾するように聞こえる真実が、ぼくの心には美しく響いた。
この世は矛盾に満ちている。人は矛盾の海を渡ってゆく。矛盾することを指摘して命題の逆が真実だと指摘する背理法は、神聖不可侵な数学の世界だからこそ成り立つ手法である。矛盾や混沌によって閉ざされた世界の中では、矛盾を指摘して喜ぶ輩ほど野暮でつまらない存在だ。人の心は、そして人の世界は、矛盾に満ちているからこそ美しい。
どのような科学も解決できない悲しみさえ、どのような偉人も解き明かせない謎さえ、歩行はいつもぼくの心にまとわりついた不条理を、消し去るわけではなく、ぼく自身の精神へと同化させた。ぼくの精神はいつしか、不条理となり、混沌となり、矛盾となり、苦海となり、その暗黒を深めると共に、光への感受性をひどく押し上げた。
高校からの帰り道、本来はバスと電車で乗り継いで変えるべき下校の道を、ぼくは100分間毎日歩いて帰っていた。歩くことがこの精神を救済することを、確信はなくとも密かに感じ取っていた。ひどく美しいわけではない町の風景や、川から訪れるせせらぎの気配、ありふれた住宅地の建物に、何か特別な世界の解答があることを望みながら、その実この世界には解答がないことに安心していた。世界はぼくを理解しないし、ぼくも世界を理解しなかった。
“そばにいて 愛する人”
そんなありふれた歌詞を白い天に向かって投げかけるとき、この歌の中でだけは、この歌詞の持つ気配は意味深で特別だと感じていた。ありふれたものの中にこそ、真実があるのだとしたら、ぼくたちはなんてそれを見落としやすいことだろう。歩くということは、人の心を解きほぐす。どうしようもない海の色を、どうしようもない川へと帰す。
歩くということを、決して速めてはならない。歩くということを、ただひたすらに深めながら。この世を歩くとき、ぼくは常に巡礼している。神聖な伝説を取り払い、ありがたい祀られを取り払い、ただ最後に残るのは、”あらゆる道はぼくの巡礼の道”。
・スペイン巡礼16日目記録
出発6時半 到着14時00分
消費カロリー831kcal 歩数41885歩
移動距25.9km