手嶌葵「さよならの夏」〜静かで美しいヨーロッパの海辺の街で聞きたい歌がある

 

美しい旅は、美しい音楽と共にある。

手嶌葵「さよならの夏」〜静かで美しいヨーロッパの海辺の街で聞きたい歌がある

・ぼくのはじめてのひとり旅
・手嶌葵「さよならの夏」
・リスボンのアルファマにて
・マルセイユの丘の上で
・アマルフィへの階段をくだって

・ぼくのはじめてのひとり旅

23歳のときに、はじめてのひとり旅をした。行き先は、ポルトガル。なぜひとり旅をしようとしたのかといえば、しなければならないと直感で思ったからだった。なぜポルトガルの旅にしようと思ったかといえば、あるひとつの歌がきっかけだった。

“散歩道に揺れる木々は
さよならの影を落とします
古いチャペル、風見の鶏
夏色の街は見えるかしら”

映画館で見たジブリの映画「コクリコ坂から」の主題歌、手嶌葵の「さよならの夏」のこの歌詞に出てきた「古いチャペル」「風見の鶏」「夏色の街」。はじめてのひとり旅をどこにしようかと決めかねていた夏休み、この歌を何度も聞いていて、そうだ、ポルトガルにしようと決めたのだった。

 

 

・手嶌葵「さよならの夏」

ジブリの映画「コクリコ坂から」は、昭和時代の海辺の横浜の街を舞台にした映画の内容自体も素晴らしいと思ったが、時が経つにつれてぼくの胸に残るのは、手嶌葵の消えそうで消えない、存在感と透明感のある歌声だった。そしてこの歌「さよならの夏」自体の懐かしくレトロな音楽も、シンプルで美しい歌詞も、歌声に似つかわしく胸に迫ってくるものがある。

“誰かが弾くピアノの音
海鳴りみたいに聞こえます
遅い午後を行き交う人
夏色の夢を運ぶかしら”

という歌詞がとても好きだ。「遅い午後」という言葉が生み出す、日差しが照りつけて世界が白く消えそうな感じ、穏やかで静寂が世界を包み込み、それでもこれから世界が動きだすことを予感させるような、だからこそより一層深く感じられる午後の光の時間を思い浮かべてしまう。

 

・リスボンのアルファマにて

はじめてのひとり旅、ポルトガルのリスボンでもこの曲を聞きながら美しいヨーロッパの街並みを歩いた。リスボンにはアルファマ地区という、歴史ある古い街並みが残されており、光と陰が明るく揺れる夏の白い家々の間を、「さよならの夏」を聞きながら歩き続けた。屋根の上には、本当に風見鶏が置かれている。屋根の上でなくても、壁の絵やお土産やさんにも、たくさんの南欧らしいカラフルで芸術的な風見鶏の風景。それぞれの家には、真っ白い布が揺れており、真っ白の街をさらに眩しく光らせる。

この夏の光の中にいる時間が、まるで夢の中にいるように感じた。照りつける日差しから逃れて、木漏れ日の中で風を感じると、異国の澄んだ夏のにおいがした。

 

 

・マルセイユの丘の上で

友人と一緒に南仏を訪れたのは、もう少し先になってからだった。南仏プロヴァンスのあまりに素朴であまりに美しい村々を、自動車を借りて回った。公共交通機関も届かないような、プロヴァンスの小さな村の数々。そのひとつひとつが信じられないほどに素朴という名のもとに洗練され、その静寂が愛おしく、そしてもっと長い時間いたいと思わせられるような場所だった。

春の南仏の旅の終わり、ぼくたちはマルセイユの港町に宿をとった。ヨーロッパの港町が纏う、海洋の世界感を洗練されたデザインへと落とし込む雰囲気は、夢のように青く麗しい世界へとぼくたちをいざなって行った。海と空を写し取ったような、水色の教会の淡い色彩。そして青と金の壮麗な装飾模様の施された、教会の内部の装飾。まるで洗練されたファッションの布の上にでもありそうな教会の装飾模様を目の前にし、ぼくは生まれてはじめて教会の装飾が荘厳ではなく、お洒落だと思った。

丘の上のマリン的な雰囲気漂う教会を抜け出し、丘から海にかけて歩いていた。エクサンプロバンスからマルセイユに向かう列車の中でも、手嶌葵の「さよならの夏」を聞いていたので、ぼくの脳内ではまだそれが流れていた。海の上を、小舟のように見える白い船が滑りゆくのが見える。ふと足元を見ると、艶やかな赤い花が咲いていた。その赤色は、マルセイユの海の青と、マルセイユの空の青を、ハッと目覚めさせるように上品で華やかだった。

ぼくはこのとき、不思議と、ああこれがコクリコという花なのかと感じた。コクリコという花なんて知らなかったのに、「コクリコ坂から」の主題歌を聞いていたせいなのか何なのか、自然とそのように感ぜられた。そして実際に、マルセイユの丘の上に咲くその赤い花はコクリコだったようだ。

 

 

・アマルフィへの階段をくだって

 

海辺の静かで美しい街に来ると、ぼくは「さよならの夏」を聞きたくなる。そしてその情緒あふれる歌声や、深く感動的な歌詞、趣きのある音楽に触れたくなる。ポルトガルのリスボンでも、フランスのマルセイユでも、ぼくは「さよならの夏」を聞いていた。そして今日、ぼくはイタリアのアマルフィ海岸へと、丘の上からの急峻な階段をくだりながら、この「さよならの夏」を聞いていた。

 

 

丘の上の街アジェローラから海辺の街アマルフィへの階段は、あまりに勾配が大きく、行き交う人もほとんどいなかった。目の前に壮大に、アマルフィの青い海と光があふれるその静かな階段で、ぼくはひとりぽっちだった。ぼくの他には、階段と、海と、光と、そして白い家が点在していた。こんな不思議な光景が世界の別の場所にあるだろうか。もはや断崖絶壁と言ってもいい地形と、色とりどりの美しい家並み、そしてエメラルドの海原の光が、この景色を世界で唯一のものたらしめていることだろう。

 

その断崖絶壁に設けられた階段は、のぼるのももちろんだが、くだるのも一苦労だった。今日はひとりぽっちだったので、世界には自分自身と、階段と、海と、光と、白い家しかない。ぼくは自分自身の肉体と階段の関係を気にしながら、本当に自分の思うままに、ゆっくりゆっくりと、何度も休みながらアマルフィへの階段を駆け下りた。何度も休みたくなる理由は疲労だけではなかった。目の前の景色が、もう一生に一度さえ見られないのではないかと思ってしまうほどに、壮大で目を見張るものだったからだ。

行き交う人のほとんどいないアマルフィへの旅路を「さよならの夏」を聞きながら駆け下りる。ぼくと、階段と、海と、光と、白い家と、そして「さよならの夏」。それだけしかない世界というものが、この音楽を聞いていると、なんだかとても尊いもののように思えた。自分だけ特別に、ひどく美しい世界へと連れてこられたのではないだろうか。南イタリアにいるのに、ギリシャにいるみたいだった。

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