ベトナムは日本と同じ漢字文化圏だった!知れば知るほど親しみを覚えるベトナム語と漢字を捨て去るということ

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ベトナムがぐっと身近に!!!

ベトナムは日本と同じ漢字文化圏だった!知れば知るほど親しみを覚えるベトナム語と漢字を捨て去るということ

・中島みゆきとめぐるベトナムの旅
・ぼくの中のベトナムのイメージ
・ベトナムはかつて日本と同じ漢字文化圏だった
・ベトナム語の7割は漢字で表現可能
・漢字を捨て去ることは根を捨て去ること
・中島みゆき「明日なき我ら」

・中島みゆきとめぐるベトナムの旅

ベトナムには一度だけ旅行に行ったことがあった。その際のベトナム旅行の目的は、中島みゆきの夜会「2/2」の歌を見つけながら、ベトナムを巡ってみようというもの。

中島みゆきの夜会「2/2」の物語の舞台は、ベトナムのホーチミンだった。主人公の莉花は、とうに忘れてしまった遠い昔のある夏の日に言われたたった一言が原因で、「自分は幸せになってはいけない」と思い込み、いつも幸せを掴もうとすると自分自身によってそれを引き裂き、自ら幸せから遠ざかって生きてきた。

そしてついに自分の幸せを破壊しようとする自分自身の衝動が、愛する人にも危害を与えてしまうのではないかと危惧した莉花は、仕事もすべて放り出して日本から単身でベトナムホーチミンへ渡る。最初は観光気分でベトナムを楽しんでいた彼女だが、やがて日本へと帰れなくなる運命に遭い、ベトナムで生きて行かざるを得なくなり、徐々にベトナムという風土へとその命をとかして生き延びていく。

彼女の運命を狂わせた遠い日のたった一言とは何だったのか。どうすれば人は思いもよらずに植え付けられた恐れから自分を浄化し解き放てるのは。そのカタルシスの感動的な部隊となったベトナム・ホーチミン。ぼくはベトナムを自らの足で這いながら、中島みゆきの夜会「2/2」の歌たちの気配を、ベトナムで探しあぐねた。

 

・ぼくの中のベトナムのイメージ

しかしぼくのベトナムという国の知識やイメージはすべて中島みゆきに帰着しており、それ以上にベトナムという国に親近感を覚えることはなかった。ベトナムを巡ってみて思ったのは、ベトナムは東南アジアというよりはむしろ日本と同様の東アジアなのではないかということだった。

食べ物もどちらかというとカレーなどのインド系というよりは、中国系で食べやすく、ベトナムの料理は日本人のぼくにとってとても口に合い、どれも美味しいと感じた。お寺にも漢字の文字が並んでおり、中国に支配されていた時代を彷彿とさせる。

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どことなく東アジア圏としての親近感を抱かせる部分もあるかと思えば、大量のバイク、大音量のクラクション、我が先に先にと突っ込んでくる車やバイクに、親しみを覚えきれない部分もやはり存在していた。

 

 

・ベトナムはかつて日本と同じ漢字文化圏だった

しかしそんな中でぼくのベトナムに対する価値観を一気に覆すような知識がYouTubeから流れてきた。それは例によっておじいさんたちのラジオ「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」だった。そのラジオ番組の中で彼は「漢字」を特集していた。

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武田鉄矢といえば金八先生、金八先生といえば漢字という風に、彼が漢字について詳しく調べ、本を読み。そして自身のラジオでその知識を披露している姿に、違和感を覚える人は少ないだろう。

そのラジオの中で彼はぼくの思いもよらない発言をした。漢字文化圏というのは、今現在では中国、日本、台湾だけになってしまったが、かつては韓国も、そしてベトナムも漢字文化圏だったというのだ!

韓国は長年中国の属国だったイメージだしそんなに驚きもしなかったが、ベトナムも漢字文化圏だというのはなんだか意外だった。地理的にベトナム=東南アジアというイメージがどうしても先行していたが、ぼくが実際にベトナムを旅して感じたように、文化としては確かに東アジア圏に属するようだった。

 

 

・ベトナム語の7割は漢字で表現可能

ベトナム語では「ありがとう」を「カムオン」というらしい、ベトナムを旅行した際にその言葉だけは覚えていた。みんなだいたい「カモン」と発音していたが、カモンってなんだかcome onに似ていて英語みたいで変な感じだなとぼんやり思ったのを覚えている。

しかしこの武田鉄矢さんのラジオでぼくはハッとした。彼が解説するところによると、「カムオン」はすなわち漢字で書けば「感恩」と書くらしい!

なんと親しみ深い表現方法だろうか!!!この事実を知っただけで、ぼくはベトナムという国がものすごく身近に感じられて感動した。ベトナム語ではその7割が漢字に変換可能だという。ちなみにハノイは「河内」と書くし、こんにちはの「シンチャン」は「慎謝」と書くらしい。なんという感動的な親しみやすさ!!!もはやベトナムを異国だなんて思うことはできない。

 

 

・漢字を捨て去ることは根を捨て去ること

ぼくは漢字という文字が好きだ。今現在使われている唯一の表意文字であるというだけでも貴重で興味深いし、その文字自体がそれぞれにひとつの意味を常に持っているなんて、なんだか漢字を書くと絵を描いているみたいで芸術的だとすら感じてしまう。台湾や中国を旅すれば、言語は違えども文字を共有することで、分かり合え通じ合えるということも、漢字という文字の大いなる恵みだという気がしてならない。

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今の時代は誰もが白人に憧れるように仕向けられ、ひらがな、カタカナ、漢字よりもアルファベットの方がカッコいいのだという風に植えつけられて、日本の街中の看板もアルファベットで満ち満ちているが、なんとおかしな光景だろうと思う。この貴重で尊い漢字という古代から受け継がれてきた文字にもっと誇りを持って、漢字というものを活用しながらもっと過去から連綿と引き継がれた独自の文化を育てていくべきではないだろうか。

ベトナムという国が漢字文化を手放したのも、フランスに植民地化されたことがきっかけだという。やっとの思いで自分の国を西洋から取り戻せても、文字は取り返しがつかないものなのだろうか。今でもなお、ベトナムではアルファベットを元にした文字が使われており、漢字は使用されていない。もしもアジアの文化が西洋の侵食なしにアジアのままだったら、ぼくたち日本人は、中国人や台湾人とそうできるように、ベトナム人とも漢字という文字によって深い親しみを持ち、思いを共有することができたのに。

ベトナム人が日本に来て漢字を学んではじめて、ベトナム語の本来の意味が手に取るようにわかったというのは興味深い話だ。ベトナム語の7割は漢字から来ており、漢字を知らない今のベトナム人はそれを音だけで表現している。しかしその言葉の根にある漢字というものを理解してこそ、言葉というものの真髄にたどり着いていく。かつて漢字文化圏であり、漢字により主要な文化を構成したにもかかわらず、漢字を捨て去った者たちは、自らの根を容易に観察することができない。自らの国の漢字の古文書を読むことができずに、自らの国の、そして自らの過去が見えずに、心がさまよっていく。

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今という時代が過去を捨て去ったから蜃気楼のように立ち現れてくるわけではなく、今という時代は過去という土台の上にこそ成り立っている危うい先端なのだと知るとき、ぼくたちは深い過去の気配を感じ取ることを拒否することができない。過去を手放してしまった魂は、確かな今をも手放して心は移ろってしまう。世界最古の国に生まれたらしいぼくたちは、過去に向き合う手段を与えられているぼくたちは、過去という糸を紡ぎ出しながら、今という確かな先端を織り成そう。

 

・中島みゆき「明日なき我ら」

過ぎた日々と明日とは支え合う弥次郎兵衛
昨日を捨てても明日だけが
運命としてそこにあるわけじゃない

されど衆生は明日を占い されど日々を明日に託す
哀れ我ら流離う者 渦巻く時の波間に

 

 

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