襟裳岬は光でいっぱいに満たされていた
そのまま五木寛之さんの「仏教への旅」の映像を流しながら
海沿いに車を走らせた
心地よい光たちと、気温と、風と
五木寛之さんは絶望から始める人生にこそ希望があるのだと
苦を起点とした他力の思想を語っていた
それに対しアメリカの精神科医は
絶望からは何も生まれないと光から希望を見出そうとした
精神科医は続けた
「人間は愛されることこそが重要なのです」
そこで不意にぼくは映像を止めた
連想され去来した何かを求めるために
代わりに選んだのは木村弓さんの「愛されていると」
遠い記憶の彼方から蘇った美しい曲をかけた
淡い青の海には光たちがあふれている
透き通るような天国の歌声が車内を包み込む
”愛されていると信じるとき
昼よりももっと深い夜の眩しさ”
ふと気づけば、ぼくは天国にいるみたいだった
9月終わりの北の国の最果て
光と、ぬくもりと、風がひとつになって
ぼくの生命に果てしない光明を注ぎ込んだ
人を愛した地獄から救われたいと
孤独にもがいていたあの頃
どんなに天に腕を差し出しても
決して誰も助けてくれやしなかった
身の内から生まれ出づるとめどない苦しみ
苦しみを生み出す者が自らならば
苦しみを滅ぼす者も自らでしかないと
幼き生命は悟り、世をふり向かずに走り続けた
どんなに求めても訪れなかった救いが
ふと注ぎ込まれるのはどうしてだろう
どんなに生きていても生きることは不思議な色をまとい
何も知らないままで人生を終わらせよう
ただひとつわかったこと
救いは光と共にやって来ること
なんの前触れもなく訪れること
諦め果てた先に注ぎ込まれること
苦しみの海よ、永遠にわたしと共にあれ
わたしを裏切らず、わたしを生かし続け給へ
望みも潰えて海へと突き落とされた少年は
光を知るための旅路の途中だと教え給へ