マレーシア人の彼は、日本兵は残酷だったと言った。
旅のさなかでアジア人に日本軍の戦争の罪を責められたが、最終的には日本人を尊敬してもらえた話
・華僑のマレーシア人との出会い
・歴史といふもの/政治といふもの
・マレーシアの歴史
・歴史は常に怪しい
・解放
・日本人代表
・華僑のマレーシア人との出会い
男というものは、得てして政治的な話が好きな生物である。したがって旅のさなかの宿において、最初は軽い世間話などをして和やかにいたとしても、徐々に心を開くとともに政治的な話を仕掛けるものだ。スイスで出会ったマレーシア人の彼もその例に漏れず、彼は彼のおじいさんから聞いた日本人兵の話を唐突に始めた。
彼はマレーシア人ではあるものの両親が中華系であるといい、見た目はぼくたち日本人と変わらないので、最初は東南アジアのマレーシア人だとはまったくわからないほどだった。彼は東南アジアによくいる「華僑」というものに属するらしく、中国的な血を引きながら、東南アジアで生活を営んでいる家系であるらしい。
彼によると、華僑たちは東南アジアに属していながら華僑ではないマレーシア人と血を交えることはなく、華僑は華僑同士で結婚するのが一般的であるらしい。それゆえに中華系ではない血が入ってくることもなく、彼のお父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも中華系であるらしい。
ぼくたちはスイス・チューリッヒの宿で出会った。ぼくも彼もスイスの物価の高さに絶望していたので、ぼくは早速スイスで唯一見つけた“普通の値段のレストラン”を紹介した。決して“安いレストラン”というわけではないのだが、スイスにおいて“普通の値段のレストラン”が存在することは奇跡的で驚異的である。そんなレストランをぼくはスイスのチューリッヒでたまたま見つけた。ぼくは彼にそのレストランを紹介したばかりではなく、夕食を共にしようと夜のチューリッヒの街に出かけた。
彼もcoop restaurantの値段の“普通さ”とその量には驚いており、非常に満足しているようだった。“普通の値段”の夕食を食べながら、ぼくたちは色々な話をした。
彼はワーキングホリデーでアイルランドに2年間住んでいるらしく、めでたくその2年間を終えてもうすぐマレーシアに帰るのだという。彼が働いていたのは中華のレストランで、ウェイターをしつつ英語能力を高めたらしい。アイルランドで稼いだお金と、マレーシアに帰ってからまた稼ぐお金とで、大学に入学し学問に専念する予定のようだ。
彼は高校を出てからすぐにワーキングホリデーを開始したらしい。そしてこれはイレギュラーなことであると語っていた。普通はそのまま大学に進学し、その途中が卒業してからワーキングホリデーをするのが一般的だが、彼は大学入学前に英語の能力を高めたいと感じ、他の人とは別の道を選んだようだ。
彼の他にも、ストラスブールの大学で研究しているベトナム人や、同じくフランスの小さな街の大学に通う台湾人にも出会ったし、またはスイスのサンモリッツでワーキングホリデーをしているインドネシア人にも出会った。日本よりも南の多くのアジアの国の人々も、ヨーロッパでワーキングホリデーをしているのはさほど珍しいことではないようだ。
そのような世間話をしながら、彼は突如彼のおじいさんに聞いた日本兵の話を始めた。
・歴史といふもの/政治といふもの
彼の家系では、おじいさんの代で既にマレーシアに住んでいたようだ。彼の血筋の源流は、中国の南の地域にあるらしい。彼の話は彼のおじいさんがマレーシアにいた時に、日本兵がマレーシアまで攻めて来て、民衆にひどく暴力をふるっていたという内容だった。そしてそれまでマレーシアを支配していた英国の人々は、そのようなことはしなかったとおじいさんは語っていたらしい。それゆえに彼は「昔の日本の兵隊は危険だった。今はもちろんそんなことはないし、日本はいい国だけれど」と言及した。
旅のさなかで世界中の人々と歴史の話題をするときにはいつでも、自分自身がきちんと一定した祖国の歴史観を持っていなければならない。もしもきちんと自分なりの歴史観を持っていないとすると、自分の国のことすら考えていない程度の低い人間だと見なされる可能性もあるだろう。そしてそのような程度の低い人間ばかりだと、程度の低い国家であると思われる可能性もある。自分を生まれ育ててくれた国が悪く思われない程度には、歴史について様々な観点から考察し、自分の中に祖国の歴史の姿を建設する必要があるだろう。
それにしても、歴史というものはいつも怪しい。たくさんの意見が入り混じり、どれが本当でどれが嘘なのかわからなくなる。はるか過去のことなので通り過ぎてしまった日々のことであり、自分で確かめるわけにもいかない。またはひとつの出来事が起こっても、それを見ている人が100人いれば100通りの歴史が語られてしまう。その中には、まったく真逆の考え方も含まれていることだろう。それゆえに歴史というものは、誰かに支配されて作られていくのかもしれない。
それは国家が社会の教科書として教える場合もあれば、戦争の勝者が敗者の歴史を無理矢理に作ってしまうこともあるだろう。歴史というものは、いつも勝者が勝者に都合のいいように構成されているので、ぼくたちが見なす歴史というものは、真実から遠く離れていることばかりではないだろうか。だからと言って、これが本当の我が国の歴史なのだという本屋にあふれんばかりの本の、どれを信じていいやらわからない。
そして歴史を掘り起こす作業というのは、自らの政治観にも直面する機会である。政治というものは、いつも人間をふたつに分離してしまう。そして本当はひとつの世界に、敵と味方を作り上げ、愛着も憎悪も生み出してしまう厄介なものの印象が強い。悟りとは程遠い、真逆の地点に位置付けられるものだろう。日本では政治的な会話を強力に行う人は、なんだかちょっと危ない人のような印象で取られることが多いが、他国ではどうなのだろうか。無理矢理にでもこの世界を二分して、議論を戦わせなければならないのだろうか。あらゆる神話がそうであるように、混沌から天と地のふたつへと分けられたように、この世界もふたつにナイフで分け続けられ、争いは止まない運命だろうか。
・マレーシアの歴史
ぼくは彼の日本の軍隊の話題に応じるに当たって、そんなに詳しくないマレーシアの歴史について彼に尋ねた。マレーシアはどのように支配された歴史を辿ったかといえば、イギリスが来て、日本が来て、そしてオランダが来て、そして独立に至ったという。
しかしぼくはなんとなくこれは間違っているのではないかと感じた。というのも、オランダが支配していた当時のマラッカの遺跡を訪れたことがあったが、それは明らかに古びており、そんなに最近の建築ではないような気がしたからだ。世界史の流れを鑑みても、オランダが最も古い可能性が高い。
ぼくは彼に「あなたはイギリス、日本、オランダの順だと言ったが、本当は時系列でオランダ、イギリス、日本の順ではないだろうか。マラッカの遺跡を見ているとそんな感じがする。しかしあなたの国の歴史に関することなので、あなたが正しい可能性が高いだろう」と述べた。すると彼はスマートフォンで調べ出し、ぼくの意見が正しいことがわかった。その際に彼は、ぼくが博学だと称賛してくれたが、たまたま当たっただけである。
・歴史は常に怪しい
その歴史を加味した上で、ぼくは彼に上記の歴史について語った。歴史というものは、どの時代でも、どの国でも、常に怪しいものであるということ。勝者だけが都合のいいように歴史を作っていくのだから、歴史というものを完全に崇拝するべきではないというぼくの意見を述べた。
日本の軍隊が残酷だったことだって、日本が敗者だから言われている可能性がある。軍隊というものは、殺すという性質を持つ以上、どのような国の軍隊も等しく残酷であり、日本の軍隊だけが残酷であるわけではない可能性を述べた。
そして中国という国家が、日本という国家を恨んでいる可能性についても述べた。彼は華僑の流れを受け継いでいるのだから、おじいさんの話だって、中国的な日本への思想の姿勢が活かされている可能性がある。同じように植民地にしていても、台湾は日本を愛し、中国と韓国は恨んでいる傾向があることにも言及し、やはり歴史は、その国家の教育や思想や洗脳により、同じ出来事でも180°違って伝えられるものだから、やはり自分自身で調べ検証することが重要なことを述べた。
イギリスが日本のように残酷でなかったという話だって、十分に怪しいことにも言及した。人間が残酷なことをせずに、その土地を支配したりできるのだろうか。イギリスさんがマレーシアにやって来て、ただただ優しく友好的にしただけで、はいマレーシアはイギリスのものになりましたなどとは決してなりはしないだろう。歴史上のどこかに残酷な出来事が起こり、その国をひれ伏させたことは明らかであり、それはちょっと冷静に考えればわかるだろうということを述べた。
人間というものはどのような国家であろうが、どのような民族であろうが、残酷さと危険性をはらんでいるものであり、それは日常生活において人間たちを観察しても十分にわかりうることである。逆にある一定の集団だけが残酷だと名指しされている場合には、どのような洗脳や傾きが働いているのかと警戒して見る必要があるだろう。
・解放
また日本が東南アジアに進出したことが、マレーシアをはじめ東南アジア各国の独立の非常に重要な契機になった可能性が十分にあったと言う人々が世界に多くいることについても言及した。第二次世界対戦前には、東南アジアはタイ以外は強力は白人国家の支配下にあった。しかしそこはアジアの土地なのに、ことごとく支配され搾取されていることは残酷でおかしなことだったのではないかという意見を述べた。それを解放することができたのは、当時では日本というアジアの強国以外にはありえなかったという人々がいることを説明した。それゆえに、日本はアジアのお母さんだという意見を持っている人々が、東南アジアにも多くいるらしいことを述べた。
そしてぼくは日露戦争についても言及し、かつては白人が有色人種を支配し搾取するという構図が世界中に蔓延っていた、しかし日露戦争で、日本人という有色人種が白人にはじめて勝利したという瞬間は、多くの有色人種に、自分たち有色人種でも白人に勝つということができるのだという勇気を与えたという人がいくらかいることを述べた。
彼はそんな話は聞いたことがなかったというような感じで、非常に興味深く聞いていた。マレーシアでは、歴史はどのように教えられているのだろうか。シンガポールの歴史博物館では、日本の占領は最も暗い時期だったと非常にマイナスに捉えられていたが、他の東南アジアの国でもそうだったのだろうか。しかし敗者なので、悪者になっている可能性は十分高いのだろう。
しかしぼくは彼に、そのような意見もあるだけで、ぼくの意見を鵜呑みにせずに自分自身で自分の国について調べた上で、自分なりの考えを構築する必要性があることを述べた。
・日本人代表
後日、彼からのメッセージでは「会えてよかった。日本人をさらに尊敬するようになった」と綴られていた。少なくとも日本という国家について悪いイメージを与えなかったようだ。
そしてこれは旅人ならば誰でもそうだが、自分自身が日本の代表になってしまうことに注目したい。上のメッセージでも「日本人を」尊敬するようになったと書かれており、ぼくというたったひとりのたまたま出会った日本人によって「日本人像」が形成されてしまうのだ。
もしもここでものすごく愚鈍な行動などを取ろうものなら、ぼくが愚鈍だったと言われるだけならまだマシな方で、もしかしたら「日本人というものは愚鈍だ」と一気に演繹的にとらえられてしまう可能性だって十分にありえる。今回はたまたま彼の言うマレーシアの歴史の間違いを指摘したので賢いと思われたのかもしれないが、いつでもこうはうまくはいかないかもしれない。
日本人というものは、日本にいるだけではあまりわからないが、世界では十分尊敬されているような気がする。自分たちがあまり知らないような国でも、日本の文化が根付き、日本人というだけで親切にしてくれることは多々ある。これもひとえに、日本という文化を築き上げて来た人々と、礼儀正しくふるまってきた先人たちのおかげだろう。世界を旅するということは、彼らに感謝を示す意味でも、なるべく聡明であるべきであり、なるべく愚鈍であってはならないのだ。