燃え盛るような直感にただ従って生き抜いた時、人間にはどのような運命の軌道が切り開かれるのだろうか。
直感にただ従って燃え盛るように生き抜いたとき人はどうなるのか、実際に世界一周して確かめてみた
・直感に従って燃え盛るように生き抜いた時、人はどうなるのか
・ぼくの世界一周の旅の軌跡、そしてコロナ禍へ
・車中泊で日本一周したぼくの旅の軌跡
・医師としての労働の再開!コロナワクチンバイトの世界へ
・ぼくがコロナワクチンバイトをやりたくてやりたくて仕方がない理由
・労働は苦痛で辛いものであるというのは本当か?
・コロナワクチンバイトはぼくにとってまさに「天職」だった
・労働は苦痛で辛いものであるというのは本当か?
・中島みゆき「ひとつの軌道に誰かが入っている限り」
・”旅する炎”という転轍機と、本来生きるべき運命への軌道修正
目次
・直感に従って燃え盛るように生き抜いた時、人はどうなるのか
いつからかぼくは、世界中を旅しなければならないという説明のつかない直感的な情熱が自らの根源に燃え盛っているのを感じていた。しかしいくら世界一周の旅に出たいと願ったとしても、お金がなければその思いを実現することはできない。医学生だったぼくはまず医師になって病院で労働し、十分な貯金が貯まったら世界一周の旅に出ようと計画した。
医師として働いている間も自らの根源から燃え盛ってくる”旅する炎”を抑制することはできず、どうすれば医師という極めて社会的な職業とあまりに野生的な”旅する炎”を両立させながら生きられるのかを自分なりに試行錯誤することをやめなかった。沖縄の大学病院に所属していたぼくは初期研修医の制度を有効活用し、働きながら4ヶ月宮古島で暮らしてみたり、僻地の医療を学ぶために1ヶ月与那国島に住んでみたり、宮古島の生活が気に入ったので初期研修が終わったら宮古島の病院で後期研修してみたりして、到底実現できそうにもない”医師として旅するように働く方法”を積極的に行動を引き起こすことによって模索し続けた。
医者でも旅しながら働ける!研修医として働きながら旅するように生きる方法を経験から徹底解説
医師として労働しお金を稼ぎつつも適度な節約生活を継続し、3年間で600万円以上貯金できたところでついに世界一周の旅に出ることにした。ドミトリーの宿を利用するようなバックパッカー形式の節約旅なら世界一周しても200万円くらいしかかからないようだが、せっかく旅に出るならばできるだけ長く旅を続けたいと思っていたのでお金は多いに越したことはなかった。
20代研修医のぼくが世界一周の旅に出るために3年間で600万円以上貯金した節約術を紹介
世界一周の旅に出るにあたって、ぼくは未来のことを何も考えていなかった。何年間旅をするのか、旅をした後はどこで何をするのか、医師としてのキャリア形成など、どうせわからない未来のことなど何ひとつ思案する必要はないと感じていた。それよりも重要なのは今という瞬間にだけ焦点を合わせ、一瞬一瞬を燃え盛るように直感的に生き抜くことだった。人間というものはやたらと過去をふり返って悔やんだり未来を思い煩って動き出せなくなる生き物だが、そのようにどうせ変えられない過去に囚われたりどうせ見えない未来に支配されるというのは愚かな生き方だと見抜いていた。過去も未来も捨て去った野性的な次元で、燃え盛るような今という瞬間にのみ突き動かされながら生きることができたなら。
世界一周の旅をするにあたってぼくの心の中には密かなテーマがあった。それは「人間が純粋な直感にただ従って燃え盛るように生命を生き抜いた時、その先にはどのような運命が切り開かれていくのか」ということだった。その答えは世界一周の旅を終えたぼくがどのような運命を辿っていくのかを見極めることで自然と明らかになるだろう。過去も未来も捨て去って、医師という地位も名誉も捨て去って、病院という組織も捨て去って、これまでの友人や家族も捨て去って、日本という祖国すら捨て去って、何ひとつ持たない無所有の旅人として自らの感性のみを信仰しながら生きた先で、ぼくにはどのような運命の軌道が与えられるのだろうか。そのようにただ純粋に美しく生きた人を、ぼくは周囲で見たことがなかった。他人の中にいないのならば自分がそのように生き抜くべきだと、ぼくは自ずと悟った。
・ぼくの世界一周の旅の軌跡、そしてコロナ禍へ
2018年5月に旅を開始し、インドネシア、台湾、ロシア、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、チェコ、ポーランド、ハンガリー、オーストリア、スイス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア、スペイン、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、中国などを2年間かけて回った。しかしその後、思いもよらない前代未聞の事態が世界中を混乱の渦に巻き込んだ。中国からの新型コロナウイルスの出現である。もはや旅人が気軽に世界一周できる状況ではなくなり、ぼくはたまたま日本に一時帰国していたところで外国へと出ることができなくなった。
・車中泊で日本一周したぼくの旅の軌跡
しかしそこでぼくの”旅する炎”が燃え尽きることはなかった。世界へと広がることができないのなら、今度は逆に祖国を深める旅に出ようと思い立ち、2020年7月から4ヶ月かけて車中泊しながら日本を一周した。岡山県、広島県、山口県、福岡県、大分県、宮崎県、熊本県、長崎県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、北海道と旅を継ぎ、最終目的地であり最北端の離島・礼文島に辿り着いた後は、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県を巡った。気づけばぼくは知らない間に、世界一周の旅と日本一周の旅を同時進行していたのだった。
・医師としての労働の再開!コロナワクチンバイトの世界へ
日本一周の旅を終えた時点で旅に出て3年、ぼくの貯金は600万円代から200万円代にまで減少していた。あと少しで資金が尽きてしまいそうな印象ではあるものの、もう一度くらいは旅に出ることができそうだ。しかし日本一周の旅を終えてもコロナ禍はまだ収まらず、外国へと旅立てるような状況では全くなかった。そして日本も一周してほとんど回り切ってしまった。お金は残っているのに新たな旅のあてもなく途方に暮れていたところへ、さらにまた思いもよらない出来事が起こった。それが日本全国におけるコロナワクチン接種の開始である。
今世界中を恐怖と混乱へと陥れている新型コロナウイルスの脅威から人々を救うことができるワクチン接種には、当然ながら医師の協力が必要不可欠だという。そしてコロナワクチンバイトに従事すれば日給10万円以上を稼ぎ出すことができるという。コロナ禍でこれ以上ないほどまでに人々の役に立てて、さらに次なる世界一周の旅に向けた資産形成をかなり効率よく行えるというコロナワクチンバイトをやらない理由はないとぼくは確信し、医師としての労働を再開する決意を固めた。3年間無職で旅しかやってこなかった自分がいきなり医師としてきちんと働けるのだろうかと不安でいっぱいだったが、コロナワクチンバイトはそんな些細な不安なんて吹き飛ばしてしまうほどの労働の意外な側面をぼくに見せつけてくれた。
・ぼくがコロナワクチンバイトをやりたくてやりたくて仕方がない理由
結論から言うと、ぼくはコロナワクチンバイトが楽しくて楽しくて仕方がなくなってしまった。コロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方がないあまりに毎日仕事を詰め込みすぎ、この前取った休日はなんと半年ぶりの休みだった!それくらいぼくはコロナワクチンバイトに夢中になり、コロナワクチンバイトなしではもはや生きられない体になってしまったのではないかと思うほどだった。
その理由はいくつもあるが、まずひとつは労働環境のよさが挙げられる。コロナワクチンバイトは定時で始まり定時で終わり、ほとんど残業をする必要がなかった。したがって労働以外の自分自身の時間をしっかりと保ちながらQOLの高い毎日を送ることができた。もしも残業になっても高額の残業代が支払われるのでむしろ嬉しく、ぼくはどうせ遅くまで帰れないのなら残業が起こってほしいと願ってしまうほどだった。時給は15000円〜25000円、日給は10万円〜20万円なのでかなり効率よく資産形成ができ、毎日労働していればぼくがこれまで世界一周+日本一周で使ったお金をあっという間に取り戻すことができ、それどころか資産は何倍にも膨れ上がった。もしも海外に出られる環境が整ったなら、すぐにでも世界一周の旅を再開できるのだろう。
また自分の好きな時間に日本全国自分の好きな場所で働けるというコロナワクチンバイト医師の生き方は、旅人のぼくの魂と驚くほどに親和性が高かった。住んでいる関西で気楽に働くこともできれば、1ヶ月間ホテル暮らしして東京でコロナワクチンバイトをやりまくることもできる。交通費もホテル代も全部出してもらって海を越えた北海道で労働することも可能だし、壮大な富士山の絶景が広がる静岡の小さな町で暮らすように働くこともできた。他にも広島や群馬、千葉や埼玉など日本の東西南北様々な地域で旅するように労働することができた。どこの病院にも医局にも所属せずにフリーランスの医師として行うコロナワクチンバイトは、ぼくが初期研修医の頃に試行錯誤していた”医師として旅するように働く方法”の完全無欠且つ理想的な最終結論であるように思われた。
また旅するように労働する中で、日本各地に医師や看護師やスタッフの友人や知り合いができていくというのもコロナワクチンバイトの醍醐味だと思われた。せっかく仲良くなってももう今日で会えないかもしれないし、もしかしたらまたどこかで会えるかもしれないという一期一会の感情の中で仕事をしていると、知らず知らずのうちに他人に優しくなれるような気分になる。もう二度と会えないと思っていたのに、思いがけずどこかで一緒に働くようになった時には不思議な縁と大きな嬉しさを感じてしまう。また万が一気が合わない人に遭遇して心苦しかったとしても、今日限りの関係だと思えば何でも許せるような気楽な気持ちになってくる。これが病院や医局に所属していた場合ならば、絶対に気の合わない人といつまでも付き合わなければならないという人間関係の憂鬱な悩みを抱え込むことにつながるだろう。コロナワクチンバイトにおける一期一会の人間関係は、まさに旅の中で巡り会う人々のように愛おしい。
・労働は苦痛で辛いものであるというのは本当か?
このようにコロナワクチンバイトとぼくの魂は極めて高い親和性の中で共鳴し、まるで性欲旺盛な男子高校生のようにやりたくてやりたくて仕方がないと感じるほどになってしまった。しかしそもそも労働というものに対して好きで好きで仕方がない、やりたくてやりたくて仕方がないと感じるなんて自分自身でもかなりの驚きだ。なぜなら労働というものは一般的に苦痛なもの、辛いもの、嫌で嫌で仕方のないものと相場が決まっているからだ。
実はぼくも世界一周の旅に出る前、病院や組織で働いていた時には労働があまり好きではなかった。もちろん生命や健康を救うということを通して沖縄の人々と触れ合うという仕事内容自体に深い喜びはあったものの、一睡もできない夜間救急当直とか、その翌日も眠らせてくれないまま通常労働するという人間らしからぬ勤務形態とか、入院患者がいるからといって土日も病院で無料で働かされる労働環境が嫌いだった。特にぼくは可能な限り健康的に生きて自分自身を大切にしなければならないという信念を持っていたので、医師の健康を犠牲にすることによって地域の人々の健康を守る夜間救急当直には大きな違和感を抱いていたし、苦痛だった。誰かの健康を犠牲にしなければ誰かの健康を守れないというのは本当だろうか。他人の健康を守るためには、まず自分自身が完全に健康的な状態を保っておくべきではないだろうか。
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また東アジアの儒教的観念に支配された病院という組織の中で、目上目下という偽物の理不尽な人間関係を押し付けられながら自分が奴隷か歯車か部品のように組み込まれていく感覚を許容することができなかった。ぼくは自分自身を自由に表現し”全体”として生き抜くために生まれてきたのに、なぜ人間集団の利益のために無理矢理”部品”として収斂さられるのかという巨大で純粋な少年的違和感は、ぼくが”全体”として生きる感覚を取り戻させてくれる旅というステージへと突き動かすのに十分な効力を発揮した。
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ぼくの感性と魂には病院というもの、そして組織というものが向かなかったのだろう。しかし医師というものは病院で働くしかない職業だと思い込んでいたので、自分自身で案件を手に入れて時間も場所も自由に選び取りながら大量に稼ぐフリーランスという独立した形態があるということすら知らなかった。しかし不思議なことにぼくはそのフリーランスという働き方を、知らず知らずのうちに自分自身で誰から教えられることもなく習得していたのだった。そしてフリーランスの医師として手に入れたコロナワクチンバイトの労働は、好きで好きで仕方がないと感じるほどにぼくの魂と合致するものだった。
・コロナワクチンバイトはぼくにとってまさに「天職」だった
好きで好きで仕方のない仕事、やりたくてやりたくて仕方のない仕事に巡り会える人なんて果たしてこの世にどれだけいるのだろうか。ぼくは未だかつてそのような人に出会ったことがない。労働が苦痛で辛いものだという観念が一般的に受け入れられているところを見ても、好きで好きで仕方のない仕事に辿り着くというのは極めて稀有な経験なのだろう。好きすぎるから毎日やっていても飽きることがない、やりたすぎるから休日がなくても全く疲労すら感じない、病院での医師の仕事が好きではなかったぼくがそのような労働の次元に達するとは自分でも不思議な思いがする。そして重要なことは、ぼくがコロナワクチンバイトに自分自身の力で到達したというよりもむしろ、運命的な作用によって導かれたかのように見えることだ。
好きで好きで仕方のないこと、やりたくてやりたくて仕方のないこと、それはもはや日本語でいうところの「天職」ではないだろうか。ぼくは知らず知らずのうちに「天職」を手に入れていたのだった。ではぼくはどのようにして「天職」へと辿り着いたのだろうか。その答えはぼくの世界一周の旅の中に秘められたテーマを思い出すことによって明らかとなる。自らの根源に燃え盛る純粋な直感にただ従って何もかもを捨て去って旅に出たまさにその先で、ぼくには「天職」という尊い宝物が与えられたのだった。
もちろんそれは偶然だという冷静な意見もあるだろう。たまたまぼくが医師で、たまたま世界がコロナ禍に陥って、たまたまコロナワクチンが発明されただけのことかもしれない。しかしぼくが燃え盛る直感に支配された世界一周の旅路の先で、紆余曲折を経ながら最終的にコロナワクチンバイトという天職を見出したというのは紛れもない事実である。そしてその終着駅は、信じられないほどにぼくの魂の色彩と合致するものだった。この世の全ては偶然の産物であるかもしれないし、この世の全ては必然的な運命であるかもしれない。それはひとえに受け取り手の感受性次第なのだ。
・中島みゆき「ひとつの軌道に誰かが入っている限り」
ひとつの軌道に誰かが入っている限り、その出口は、その誰かのためにしか開かない作りになっていた。
信じるしかない約束の名は、鎖錠。
山の中の小さな小さな駅で、一生働いた私の父は、田舎者の鉄道員でした。
北海道の知床半島で鮭の遡上を見て、衝動的に詩を3つ作ってみた「妨げる柵」「命よりも」「真の敗者」
・”旅する炎”という転轍機と、本来生きるべき運命への軌道修正
ぼくにはこのように思えてならなかった。ぼくは旅に出る前、間違った軌道の中をさ迷っていたのだ。それは自分の魂には合わない世界、自分の感性にはそぐわない世界、すなわち病院という人間組織に組み込まれた部品的な世界だった。本当は自分には行くべき世界があり、この生命にはただひとつの使命があることを、心の奥底では疑うことなく感じ取っていたのに、間違った運命の軌道がそこへと辿り着くことを許さずに固く妨げていた。
しかしそこに転轍機が設けられた。その転轍機こそが”旅する炎”だった。ぼくは旅に出なければならないという純粋で燃え盛るような直感的衝動に迷うことなく従い、世界中を旅して回った。旅路の中では様々な出来事が起こったが、そのどれもが自分には予想もつかないこと、思いもよらないことばかりだった。新型コロナウイルスという天災によって、世界一周という軌道は捻じ曲げられ、日本一周という軌道は捻じ曲げられ、やがて辿り着いたのはコロナワクチンバイトという終着駅だった。
旅人の炎
「人間が純粋な直感にただ従って燃え盛るように生命を生き抜いた時、その先にはどのような運命が切り開かれていくのか」その答えはぼくにとって、コロナワクチンバイトという天職だった。天職はぼくの中にあった既成の労働の概念を次々に打ち砕いた。好きで好きで仕方のない仕事がこの世にはあるということ、自分の生命や健康を犠牲にしなくてもしっかりお金を稼げるのだということ、医師でも自由に旅するように働く労働スタイルを確立できるのだということ、そのあらゆる要素がぼくの中で違和感なく同居し、ぼくは自分の魂と感性に適した本来生きるべきふさわしい軌道へと辿り着いたことを実感した。
ぼくの魂に合わない間違った軌道は、”旅する炎”という転轍機によって、ぼくの魂にとって最もふさわしい運命の軌道へと修正された。そして迷える魂の軌道を切り替えたのは、自らの根源からとめどなく燃え盛る直感の声を疑うことなく純粋に聞き取り、それに従うだけの覚悟と行動力を発揮した、野性的な自分自身に他ならなかった。
ぼくたちは生まれた時から、自分自身が何をすべきか知っている。誰に教えられることもなく、ぼくたちは呼吸を始めた。誰に教えられることもなく、ぼくたちは母の乳を飲んだ。誰に教えられることなく、ぼくたちは子孫を残す生殖の衝動を覚えた。まさにそのようにしてふさわしい軌道へと辿り着くための道はひとつだった。瞳が曇らされ魂が迷っているというのなら、自分自身の魂を救い出せるのは自分しかいない。他人の声を頼りとすることなく、世界の知識に惑わされることなく、ただ自らの声を聞け。
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