都庁45階でコロナワクチンバイト!天職の果てで辿り着いたのは、東京の中心・日本の真ん中の最上階だった
・3年間に渡るぼくのコロナワクチンバイトの歴史
・最初から最後までコロナワクチンバイトをやり抜くということ
・徐々に終幕していくコロナワクチンバイトの様相
・衝撃!東京都庁のコロナワクチンバイトをMRTが最後の最後に勝ち取った
・一筋縄ではいかない都庁のコロナワクチンバイト
・都庁コロナワクチンバイトでは初めて会場の立ち上げから参加した
・純粋な情熱の先にあるものは天職、では天職の先に立ち現れるものは?
・中島みゆき「全ての梃子を0に戻せば」
・天職の果てで辿り着いたのは、東京の中心・日本の真ん中の最上階だった
目次
・3年間に渡るぼくのコロナワクチンバイトの歴史
ぼくは今どこの病院にも組織にも属さないフリーランスの医師として、日本全国でコロナワクチンのスポットバイトをしながら生計を立てている。2021年6月末から大阪市でコロナワクチンバイトを開始し、そこからいくつかの医師派遣サイトに登録しスポットバイト案件を手に入れる術を身につけ、コロナワクチンバイトに従事しながら日本各地をさながら旅するように渡り歩き、もはや3年以上の月日が流れ去ってしまった。
この3年間を振り返ると、西日本は大阪を中心として兵庫県、奈良県、京都府、さらには広島県までコロナワクチンバイトをするために渡り歩いた、東日本は東京を中心として周辺の千葉県、埼玉県、神奈川県、茨城県はもちろんのこと、北関東の群馬県や栃木県、さらには静岡県の富士山の絶景が見える街で1か月暮らしてみたり、愛知県では訪問のコロナワクチンバイトに挑戦したり、もはや本州に別れを告げ北海道の東の果て・釧路まで飛び出したこともあった。まるで労働をしながら日本一周の旅でもしているようだった。
・最初から最後までコロナワクチンバイトをやり抜くということ
3年間という長い期間の中でコロナワクチンバイトを取り巻く状況は日々刻々と変化しており、その波に上手く乗じながら、決して振り落とされない柔軟で俊敏な身のこなしで、最初の最初から最後の最後までコロナワクチンバイトをやり切ったことは、この先の未来を生きていく自分自身に常に揺るぎのない自信を送り続けてくれるだろう。コロナワクチンバイトの波の中に共に飲み込まれていた人は理解できると思うが、コロナワクチンバイトを最初から最後までやり切るなんてことははっきり言って常人にできる業ではない。
それを自分ひとりで成し遂げることは到底不可能であり、ぼくにそれができたのは信頼し合える看護師や医師などのコロナワクチンバイト仲間がいたからだと自負している。自分ひとりでできることや得られる情報、獲得できる技術には限界があり、それをひとりひとりが限界まで独自に高め合って、さらにそれを密に共有することによって、共同体内の可能性が無限に広がっていくのを確信できたことは、この人生において最も貴重な経験のひとつだったと言えるだろう。しかしまたそのような仲間と心を繋ぎ合わせられるということも、人間を構成する重要な才能や能力の一部なのだ。
・徐々に終幕していくコロナワクチンバイトの様相
日本全体を旅するように労働していたぼくのコロナワクチンバイトも、後半の2023年頃になるとまともな給料の案件が東京周辺にしかなくなってしまったので、ぼくは新宿を常宿とし東京暮らしをするようになった。その時期には使える派遣会社は専らMRTのみとなり、勤務するのもMRTから案件が出ると決まっている杉並区、練馬区、目黒区、足立区、八王子市などが中心となっていった。しかし時代の流れと共に東京でも大規模接種会場が徐々に閉鎖の兆しを見せ、まずは目黒区が脱落、そして杉並区が終了、練馬区がなぜか最後の最後にウェルネストに半分占領されるなど紆余曲折ありながらも先細って消滅していった。そして最後の最後まで頑張ってくれた八王子市も2024年1月に急な短縮と共に散ってしまった。
ぼくたちは八王子だけはコロナワクチン無料期間の2024年3月まで存続してくれるだろうと期待していたので、八王子が終了した時の喪失感は大きかった、それと同時に、もはやぼくのコロナワクチンバイトの歴史もこれまでかという失望感もあった。しかし2021年6月から開始して、最初は1,2回しかないと思われていたコロナワクチンバイトがまさか延長に延長を重ねてまさかの7回目まで継続され、3年に渡ってその恩恵に預かることができるなんて人生の全ての運を使い果たしたのではないかと思われるくらいに幸運なことなので、心に不満を抱いては罰が当たるというものだ。ワクチン無料期間終了の2024年3月までコロナワクチンバイトをやり切って、そこから潔く労働を終了し、コロナワクチンバイトで形成した潤沢な資産と共に世界一周の旅を再開させられれば理想的だと思っていたが、人生はそう都合よくいかないものだと現実をしっかりと受け止めていた。
・衝撃!東京都庁のコロナワクチンバイトをMRTが最後の最後に勝ち取った
しかしそんな時にものすごくニュースが飛び込んできた!何とこれまではメディカル・コンシェルジュが担っていた東京都庁45階のコロナワクチン大規模接種会場を、落札に成功したMRTが勝ち取ったというのだった!すなわち2024年の1月からは、MRTから都庁コロナワクチンバイト案件の募集が出されるようになるということだ。そして都庁の大規模接種会場は、何とワクチン無料期間が終了する3月までずっと続くのだという。
えー!そんな夢みたいな話がある?!まるでこうなったらいいなぁと妄想していた都合のよすぎるストーリーが現実化したような内容で、まさに半信半疑だった。しかし驚いたことに、それは正真正銘の現実だったのだ!
コロナワクチンバイトを毎日するためには、案件がMRTから出されないことには話にならない。なぜなら応募してほぼ100%案件が確定されるのはMRTだけだからだ。それゆえにMRTでは他の誰よりも早く応募するという特殊能力を完璧に鍛えれば、毎日コロナワクチンバイトを確定させることができるようになり、ぼくのように絶えずコロナワクチンバイトをすることが可能となる。メディカル・コンシェルジュだと応募しても確定される確率がかなり低く、毎日コロナワクチンバイトをすることができないのでぼくの理想の労働が実現可能ではなくなってしまう。
コロナワクチンバイト時代の最終章になっていきなり、都庁を支配するのがメディカル・コンシェルジュからMRTに変わったことは、コロナワクチンバイトを毎日やりたくて仕方がないコロナワクチンバイトのプロからしてみればこれ以上にない福音なのだった!
そして2024年1月~3月の間にコロナワクチンの大規模接種会場を開いているのは、ぼくの知る限りでは日本中で都庁45階だけだった。他にもこの時期に開いている場所があったのだろうか。少なくとも東京にはなかったし、大阪でさえ大事規模接種会場は全て消滅したと聞いた。そんな日本に残されたたったひとつのコロナワクチンバイトを、最後の最後にMRTが勝ち取ってくれるなんて、これまでMRTを使いまくりMRTについてきてよかったとコロナワクチンバイトのプロとして胸に去来する感動を抑えることができなかった。
・一筋縄ではいかない都庁のコロナワクチンバイト
残されたたったひとつのコロナワクチンバイトということもあり大人気になるということが予想されたが、やはり最後のコロナワクチンバイトは一筋縄ではいかなかった。なんとこれまでのコロナワクチンバイトのようにMRTのホームページ内で全ての医師が案件を閲覧できるわけではなく、限られた先生にしか案件が見られない仕組みになっていたのだ!そんなん罠やろ!普通に今まで通りのやり方で出してくれよ!
そんな常人には理解できない難関を何とかくぐり抜け、ぼくは都庁のコロナワクチンバイトを毎日確定させることができた。
・都庁コロナワクチンバイトでは初めて会場の立ち上げから参加した
都庁のコロナワクチンバイトがぼくにとって思い出深いのは、それが最後で最後のコロナワクチンバイトだったからというわけではなく、大規模接種会場が開始する前のリハーサルから参加させてもらい、ワクチン接種会場の立ち上げから終わりまで継続的に立ち会うことによって、0から会場を作り上げるという能動的・積極的な体験ができたという点にある。
会場が円滑に回っていくようにするためには、当然医師の意見も必要不可欠だ。ぼくはリハーサルに参加する医師の2人のうちの1人に選ばれ、医師の視点からどのようにすれば接種がスムーズに進んでいくかを、これまでの3年間の豊富なコロナワクチンバイトの経験を元にして助言するという立場に立った。それはすなわち、ぼくの意見によってこれから都庁で労働する医師の働きやすさが変わってくるということなので責任は重大だった。
しかし都庁がぼくにとって新しい会場であるとは言っても、共に働くのはこれまでMRTの会場で一緒にやって来た看護師や医師が多かったので、コロナワクチン会場の仕組みは知り尽くしており、心が通じ合った中で意見を出し合えるのでとても有意義で創造的な経験となった。
都庁の会場の立ち上げで感じたのは、過去が未来を形成していくという紛れもない事実だった。これまで3年間毎日のようにコロナワクチンバイトに真剣に向かい続け、コロナワクチン会場の概要を知り尽くしているからこそ、今回のように新しく会場を立ち上げる際に適切な意見をいくつも出し続けられたに違いない。
これまでのコロナワクチンバイトは当然のように、既に出来上がった会場に後から出向き、既に出来上がったルールに従いながら、会場の責任者の言うことを聞き、問診をしたり救護をするという消極的な雇われの姿勢だけで医師としての仕事をこなせていたが、都庁では自分が意思を持ち意見を持った人間として、ただの歯車や部品ではなく人格を持った”全体”として扱われ、立ち振る舞えたことが何よりも嬉しかったと感じた。
・純粋な情熱の先にあるものは天職、では天職の先に立ち現れるものは?
病院での労働とは全く異なり、ぼくはコロナワクチンバイトをやってもやっても疲れないし、毎日であってもやりたくてやりたくて仕方がなかったので、コロナワクチンバイトのことを天職だと感じていた。天職に辿り着く方法とはこれまでに培ってきた何もかもを喪失し、これまでに手に入れてきた何もかもを手放し、ただただ自らの根源から押し寄せる純粋で透明な情熱に従って、燃え盛るように生き抜いてみることだった。天職に辿り着くという経験は、人間の誰もが達成できるわけではない稀有な感覚だったと自負している。
しかし、では天職のその先には何があるのだろうか。人間は純粋な情熱に従い、天職に辿り着けたなら、そこで修行は終わってしまうのだろうか。確かにコロナワクチンバイトという天職によって、ぼくには多額の資産が残された。もしかしたらこの資産だけで、この先永遠に世界を旅することが可能になるかもしれない。しかしはっきり言って資産なんて取るに足らないものだ。天職の命ずるままにこの肉体と精神を駆使し、天職から逃げることなく向き合い続け、最後の最後に天職によってもたらされたものは、自分が労働の中でさえ部品ではなく全体として生き抜くことができるのだという確信だった。
労働というものは、基本的に歯車や部品になるということだ。心も持たず、意見も持たず、気持ちすら捨て、ただの物質になり果てた歯車や部品のように社会(人間集団)の一部として止まることなく稼働することが理想的だとされている。ぼくは病院で働いている際、社会(人間集団)の根底に流れているそのような労働の潜在的感覚を敏感に察知していたので、現代社会の労働というおかしな穢れの中に自分自身という純粋な存在を沈殿させていてはならないと感じたし、その衝動が世界一周の旅に出ることを助けたという面も否定できないだろう。
しかし一方で労働とは、原始から現代に至るまであらゆる国の中で人間が継続的に営んできた人間にとって普遍的な行為のはずだ。そのような行為によって、全体として生きていくべき人間が部品へと解体され、その不条理と共に人間の魂が押し潰されなければならないということに、ずっと違和感を抱いていた。果たして労働という普遍的な行為の中に、人間にとっての救いはないのだろうか。その問いかけに対する片鱗を、ぼくはコロナワクチンバイトの中に見出したのだった。
現代の労働の中ですら、ぼくたちは自分自身を部品にすることなく全体として押し留めておくことができる。人は最初は誰もが労働という渦に否応なしに巻き込まれ、歯車や部品や奴隷と成り果ててしまうことだろう。しかしそれで当たり前なのだと、そういうものだから仕方がないのだと、諦めて疑問すら抱かずに思考停止して労働を続けていくだけでは、その者に絶対に救いは訪れない。それは労働というもの、そして労働を営まなければならない人間存在そのものと、向き合うことを完全に拒否しているからだ。自分は全体として人生を生き抜きたい、しかし労働という行為に巻き込まれ部品としてしか生きられそうにない、そのような人間としてのどうしようもない矛盾から生ずる、根源的な怒りと違和感の衝動から全ては始まる。
労働というものの根本を見抜くためには、労働ばかりしていてはならない。異国に出てみて初めて祖国の美しさに気が付く人のように、ぼくたちは労働から抜け出してみて初めて、労働というものを客観的に眺めることができる。そのような観点から言うとぼくが労働を中断して世界一周の旅に出たことは、矛盾するように、労働に真剣に向き合った姿勢だと捉えることができるだろう。そして運命の軌道に導かれ、ぼくが労働を捨て去って手に入れたものは、巡り巡って労働を再開した後の、天職という尊い感触だった。
そして天職というこれまでとは全く異なる次元の元、ぼくは休むことなく常に労働というものに真剣に向き合い続けた。天職というものを掘って掘って掘り進め、天職というものを深めて深めて深め続け、その最果てで辿り着いたのは、労働の中ですら部品ではなく全体として生きることを赦されるという、これまでには見たことのない桃源郷だった。そしてその境地に至った時、労働はもはやこれまでの労働とは異なってしまう。ぼくは旅に出たいという純粋な情熱と同じような色の炎が、労働の中にも輝いているのを見出した。そして労働の中に純粋な直感と同じ色の炎が燃え盛るのを見ることを、ぼくたちは天職と呼ぶのだと知った。
・中島みゆき「全ての梃子を0に戻せば」
全ての梃子(てこ)を0に戻せば
はじめて次の梃子は傾き
はじめて次の線路は開く切り替われ、もうひとつの命の線路へ
・天職の果てで辿り着いたのは、東京の中心・日本の真ん中の最上階だった
旅をする時、ぼくはいつも辺境が好きだった。だからコロナワクチンバイトという天職の中でも、なるべく辺境へ行きたいと願った。
けれど天職を突き詰めてその先に辿り着いたのは、東京都庁の45階という、東京の中心、日本の真ん中とも言える場所の最上階だった。人生にはいつも、決まって大いなる矛盾が付きまとう。しかしもう既に、ぼくたちは知っている。その矛盾こそが自分にしか担えない、難問を解き明かす美しい鍵になるということを。
自分にしか見えない、その問いかけは恐ろしくて淋しい。それを解いたからと言って、誰も褒めてはくれないし、喜んでもくれない。だからあなたが、あなたの髪を撫でなければならない。他人という、ありもしない幻ではなく。誰もいない荒野で泣き叫ぶあなたを、あなただけが撫でなければならない。
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