労働が苦痛だと感じるのなら、自らの”魂の使命”と職業をかけ合わせるよう常に試行錯誤すべきだ

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ぼくは今、労働がめちゃくちゃ楽しい!!!!!

労働が苦痛だと感じるのなら、自らの”魂の使命”と職業をかけ合わせるよう常に試行錯誤すべきだ

・労働は一般的に苦痛で、辛くて、嫌なものだ
・人生の時間のほとんどを占める労働が、果たして苦痛で辛くて嫌なものでいいのだろうか
・医師として病院で労働していた時に感じた違和感と苦痛
・初期研修における「医師の職業」と「旅をしたい直感」を組み合わせる模索
・旅が終わればまた違和感の残る労働に従事する運命にあるのか
・コロナワクチンバイトの労働は、楽しくて楽しくて仕方がない!
・労働が楽しくて楽しくて仕方がなくなる3つの理由
・この記事のまとめ

・労働は一般的に苦痛で、辛くて、嫌なものだ

日本には「サザエさん症候群」という言葉があるという。サザエさん=日曜日の夕方に放送している=休日の終わりを知らせる合図となり、サザエさんを見ていると翌日の月曜日にまた仕事に行かなければならないのかと憂鬱な気持ちになる状態を指している。この「サザエさん症候群」という言葉が世の中に浸透しているということは、休日の終わりが辛いものであり、労働の開始が苦痛なものだという気持ちを、多くの日本人が共通して持っていることが示唆されている。

また「サザエさん症候群」の例を持ち出すまでもなく、世の中では労働=辛い、労働=苦痛、労働=嫌なものという観念が、何の疑問もなく受け入れられ共有されているような雰囲気がある。もちろん労働が楽しいと感じたり、嬉しいと感じたり、やりがいがあると感じたりする人もいるだろうが、それはごく少数の珍しい人々ではないだろうか。ほとんどの人々は労働しなければお金を稼ぐことができず、最低限の幸福な生活を送ることができないから、別にやりたくないけれど仕方なく、嫌々労働をしているという印象を受ける。

しかし辛くても、苦痛でも、嫌なものであっても我慢して労働し、お金を稼ぎ、消費し、生活を立て、さらにまた労働を繰り返すというシステムに誰もが巻き込まれていることから、みんなもそうだからと安心しながら思考停止し、何の疑問も持たずに人々は嫌な労働を延々と持続させていく。

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・人生の時間のほとんどを占める労働が、果たして苦痛で辛くて嫌なものでいいのだろうか

けれどよくよく考えてみれば労働というのは、人間の若くて健康な何でもできる年齢のほとんどの時間を占めるかなり重要な要素だ。言い換えればぼくたちの人生というのは、ほぼ労働であると言っても過言ではないだろう。労働をしていない学生時代だって、いい成績を取り、いい大学へ入り、いい就職を手に入れるための労働の準備段階だと見なすこともできる。そう考えればぼくたち人間の人生の時間はそのほとんどが労働に関することに費やされており、労働から離れられる年代といえば本当に幼い幼少期の頃と、人生の主要なイベントが通り過ぎた老年期くらいではないだろうか。

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ぼくたちは人生のほとんどが労働であると言っても過言ではない社会システムの中に巻き込まれているにも関わらず、その労働が果たして苦痛で、辛くて、嫌なものであってもいいのだろうか。それはすなわち、ぼくたちの人生のほとんどの時間が苦痛で、辛くて、嫌なことに終始することと同義である。せっかく生命を授かりこの世に生まれてきたのに、果たしてそんな人生を歩むことを許容してもいいのだろうか。

 

 

・医師として病院で労働していた時に感じた違和感と苦痛

ぼくも医師として病院で働いていた時は、患者さんにたくさん感謝もされて人助けにもなるしやりがいのある仕事だと感じていたが、別に「やりたくてやりたくて仕方がない」というほどの情熱があるわけでもなかった。夜眠れずにひたすら労働させられる救急当直当番も苦痛だったし、その翌日の朝から一睡もさせてもらえずに通常業務をするシステムも嫌いだった。ぼくは自分の健康が最も大切だと感じていたので、人々の健康を助けるために自分がこんなに不健康な生活を送るということにとても違和感が残った。もっときちんとした人間らしい、せめて夜くらいはぐっすりと安らかな眠りに就ける生活を夢見ていたのだ。しかし医師という職業では、そのような当たり前の人間らしい生活すら叶わない贅沢品であるようだった。

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自らの感性や直感に素直に従う生き方をしていたぼくは、違和感があり苦痛に感じる病院の生活を中断し、その病院の労働で貯金したお金で世界一周の旅に出かけることにした。自らの直感が「やりたくてやりたくて仕方がない」ことを感受した時、自らの心の根源が燃え盛るような”魂の使命”を見出したとき、ぼくにとってはそれは「旅すること」なのだと労働する以前からとっくにわかっていたのだった。しかし旅をするにはお金がかかるし、無料で世界の旅をすることなんて不可能だ。そこで一般的な労働スタイルを一応は受け入れつつ、常識的な人間として労働に従事し、労働を利用して”魂の使命”を成し遂げるためにお金を貯め、そして貯金がある程度完成したところでめでたく旅立ったのだった。

 

・初期研修における「医師の職業」と「旅をしたい直感」を組み合わせる模索

病院で労働している時も、大人しく旅立つ日を待っていたわけではなかった。「医師という職業」と「旅をしたいという燃え盛る直感」という、一見どうしたって交わらなさそうな2つをどうにかして組み合わせたいと試行錯誤し、初期研修の制度を利用して勤めていた病院のある沖縄本島から4ヶ月間宮古島へ飛び出して労働したり、さらには地域研修のために日本最西端の離島である与那国島に1ヶ月間滞在したりした。しかし初期研修の2年間では、あちこち旅しながら働くという医師の労働スタイルは確立できず、やはり「医師という職業」と「旅をしたいという直感」の組み合わせには限界があるのかもしれないと感じていた。

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初期研修が終わってからは気に入った宮古島に定住し、世界を旅したいという思いは全く叶えられないような島に閉じ込められた病院生活を送っていた。しかし世界を旅できずとも宮古島という島は奥深く、宮古島を冒険しているだけでも世界中を旅するのと同じ価値があるほどに美しい体験をたくさんすることができた。世界へと広く羽ばたくことだけが旅ではなく、ただ一箇所狭い場所をまるで地面を掘り進むように追究していくことも深遠な旅なのだと美しい宮古島の生活は教えてくれた。

 

・旅が終わればまた違和感の残る労働に従事する運命にあるのか

宮古島の労働で貯金が完了してからは、ついに世界へと旅立った。”魂の使命”であると感じる旅に出ている瞬間はすべてが濃厚で忘れがたく、シベリア鉄道の旅も、スペイン巡礼の旅も、東南アジア一周の旅も、中国横断の旅も、インドネシア横断の旅も、台湾一周の旅も、あらゆる風景が万華鏡のように美しく通り過ぎていった。

しかし新型コロナウイルスの脅威が世界中を襲ってからは異国を旅することができなくなったので、日本一周の旅へとシフトチェンジ!たくさんの異国の文化や人々や風景に触れてきたからこそ、祖国である日本の繊細さや奥深さがより一層浮き出て感性に迫ってくるような感覚を覚えた。ぼくは結局、祖国である日本や日本人である自分自身について知りたくて、敢えて相対的な異物を吸収するために異国の旅に出たのかもしれないと思われるほどだった。

旅を継ぐにつれて気がかりだったことは、労働の再開に関することだった。旅をしているだけでその間は全く労働していなかったので、当然お金は減っていく一方だった。お金が一切なくなってしまえば、再度労働する運命にあることは明らかだった。自分の直感のままに、”魂の使命”を叶えるために突き進んできた旅する人生に終わりを告げ、また違和感の残る病院の労働へと舞い戻ることが仕方のない定めなのだろうか、なんとか直感のままに従って生き抜くスタイルを崩さないままで、医師として労働することはできないのかとぼんやり考えていたが、その上手い答えが導き出せるはずもなかった。

ぼくはお金が0になれば、旅を終えて労働を再開するしかないと考えていた。日本一周の旅が終わった時点でまだまだ資金が残ってはいたが、コロナ禍で日本一周が完了してしまえばもはや行くところもないし、旅に出るという自分の”魂の使命”をさらに成し遂げるためにぼくは今何をすべきなのだろうかと思案していた。

 

・コロナワクチンバイトの労働は、楽しくて楽しくて仕方がない!

そんなところに世の中で湧いて出てきたのがコロナワクチンのニュースだった。聞けば全国民が予防接種を受けられるようにするためには、医療従事者の手助けが必要不可欠だという。しかも医師はコロナワクチンバイトに従事すれば1日で10万円ほどもらえる相場だという。これ以上ないほど人々の役に立ち、さらに旅の資金まで効率よく貯められるコロナワクチンバイトを、医師免許を持っていたぼくがやらない理由は見当たらなかった。手始めに時給17500円の大阪市のコロナワクチンバイトを申し込んでみたら履歴書すら出さずに一発で通り、3年間も無職だった旅人がいとも簡単に再就職できる、これが医師免許の力かとその威力に恐れ入った。

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その後も次々に新しい案件をゲットし続け、気づけば大阪市や自分が住んでいる関西だけではなく、東京や群馬や広島や静岡や果てには北海道まで、日本全国でコロナワクチンバイトをするというフリーランス医師の労働スタイルが確立されていった。そして最も驚くべきことは、ぼくはこのコロナワクチンバイトの労働を、全く苦痛だとも、辛いとも、嫌だとも思わなかったことだ。むしろ逆に楽しくて楽しくて仕方がない、もっともっとやりたいと感じるようになってしまった。労働をしているのに自分がこんな感情を抱くようになるなんて、まさに衝撃的である。

本当にぼくはもっともっと労働したいと感じてしまった結果、毎日コロナワクチンバイトの予定を入れてしまい、今日で70連勤中だ。それくらい休むことなく、楽しみながら労働に従事している。

 

 

・労働が楽しくて楽しくて仕方がなくなる3つの理由

しかしなぜこんなにもコロナワクチンバイトは、病院の労働と違って全く違和感も苦痛もなく心から楽しめるのだろうか。

まず一つ目の理由としては、病院で労働するよりも収入がはるかに高いことが挙げられるだろう。既述したように医師はコロナワクチンバイトで1日10万円以上の収入が得られるので、極めて効率的に資産形成が可能となる。もちろん今後世界一周の旅を再開させた際には、お金の心配をすることなく以前よりも自由度の高い旅ができるだろう。

二つ目の理由としては問診や救護など、業務の負担が比較的軽いことが挙げられる。病院で労働していた時のように、夜も眠らず我慢して働く義務が課せられるというような人間らしからぬ生活を強いられることがないというのは、医師として労働する上でこれ以上にない大きなメリットである。定時に終われて残業もなく、もし残業があったとしても病院と違ってきちんと残業手当が支払われるのも健全な生活を守るために役立つ。

一つ目の理由と二つ目の理由を合わせると、病院は眠れないほど重労働なのに賃金が比較的安い、コロナワクチンバイトは軽負担なのに賃金が極めて高いという、どちらが健全で働きたい職場か一目瞭然であるという結論に行き着く。もちろん病院で労働した方がさまざまな種類の患者さんを診ながらさまざまな病気の知識を習得できるという大きなメリットがあるが、労働の目的が生活のためのお金であるというのならそれはさほど重要視されない項目かもしれない。

さらにぼくにとって最も大きな三つ目の理由は、コロナワクチンバイトが”魂の使命”である旅と大きく親和性があるということだ。コロナワクチンバイトをするということは、まさに旅することに等しいのだ。昨日は大阪で働いていたかと思えば、次の日は東京で労働したり、気づけば海を越えて北海道でコロナワクチンバイトをしてしまうなど、まさに自由自在に目的地を選び取りながら日本全国を旅するように労働することができる。毎日新しい会場で、新しい環境に晒されながら、新しい人々と出会い交流するというのは、次々に居場所を変えながら常に新しい風景を求めて旅をする放浪のスタイルにとてもよく似ている。またこの会場に来るかもしれないし来ないかもしれない、どんなに慣れて名残惜しくても次の日には別の場所へ移動しなければならない、せっかく仲良くなったのにもう二度と会えないかもしれない人々と言葉を交わす切なさは、まさに旅の情緒そのものである。

初期研修の時代にはまだ未完成だった「医師という職業」と「旅したいという直感」の組み合わせが、コロナという偶然の天災の触媒によって成熟し、運命的にコロナワクチンバイトという「医師×旅」の労働スタイルの完成形として見事に結実したのだった。

 

 

・この記事のまとめ

労働は一般的に、苦痛で辛く嫌なものだと認識されている。しかし生活するお金を稼ぐために、人々は我慢しながら嫌な労働に従事している。けれど労働とは人生の時間の大部分を占める重要な要素だ。その重要な要素を、苦痛で辛く嫌なものとして終わらせていいのだろうか。そのままではぼくたちの人生が、苦痛で辛く嫌なものとして終わってしまう可能性が高い。

労働は苦痛で辛く嫌なものではなく、むしろその逆に楽しくて楽しくて仕方がない、もっともっとやりたいと感じることができるためには、次のような3つの項目が必要であると自身の経験から推測された。

①収入が高く、効率的に資産形成ができる。
②負担が軽く、基本的な人間らしい生活が約束されていること。
③自分が為すべきだと心の底から直感すること、すなわち”魂の使命”と直結するような労働スタイルを確立できていること。

この中でもぼくが最も重要だと感じるのは③だった。自分の職業と”魂の使命”とは、なかなか結びつけるのが困難だから諦めてしまったという人も多いことだろう。実際にぼくも「医師という職業」と「旅に出たいという直感」を結びつけるには最初はどうしたらいいのか全くわからなかった。しかし諦めることなく試行錯誤を続け、何度も挑戦したり失敗したりを繰り返しながら、成し遂げようという気持ちを捨てず直感を頼りに必死に生き抜いていたならば、偶然と運命が絡み合い、やがて自然と③が達成される道筋への扉が開かれる。そして③を達成することができた魂は幸福な感覚へと導かれる。

重要なことは答えなんかこの世になさそうに見えても、諦めることなく常にアンテナを張り巡らせ続け、やがて機会が訪れればそれを聡明にキャッチできるだけの感受性と知識と能力を怠ることなく育み続けておくことだ。誰も成し遂げたことがない職業と使命の組み合わせほど、前例がない働き方ほど、さがし出し到達するのはさらに困難だ。しかしだからこそ、この世の誰もが発見できなかった宝物を冒険の果てで見つけ出した時のような歓喜の感触を掴み取ることができる。この世でまだ誰も見出していない答えを、創造し新しく飛翔することから人生は始まる。

 

 

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