こんな場所にあるって誰がわかるのでしょうか…。
マジでたどり着けない!三重県熊野の秘境神社「まないたさま」は清らかな水の祈り
・秘境神社「まないたさま」へ行こう
・どうしてもたどり着けない「まないたさま」
・忘れ去られた古寺
・「まないたさま」の清流と岩石と苔むしの時間
・秘境神社「まないたさま」へ行こう
三重県の熊野市には「まないたさま」という秘境神社があるという。「まないたさま」という不思議な名前だけでも既に何か惹かれるものがある。それが紀南の熊野の山奥の秘境神社というのならば尚更だ。しかし、まないたさまとは一体なんだろうか。まないたって、あのまな板のこと…?謎は深まるばかりだがその謎を解くためにも、早速「まないたさま」へと向かった。
・どうしてもたどり着けない「まないたさま」
秘境神社といえども、現代の科学技術は素晴らしく便利で、大体の秘境神社へはグーグルマップでたどり着くことができる。ここに書いた秘境神社の「石神神社」も比較的簡単にたどり着くことができた。
しかし「丹倉神社」への道は携帯の電波もなくグーグルマップでもなかなか迷ってたどり着けず、濃霧の夜中であったのに狭い山道の中をグルグル迷って非常に不安な思いをした。現代の科学技術を以ってしても、信じられないくらい訪れるのに難渋するのが、紀伊山脈の中の秘境神社なのだ。そしてそれくらいでなければ、秘境神社への行きがいもないだろう。
この「まないたさま」も熊野の山奥の中の位置だけはわかるものの、そこへ通じる道がまったく示されず、見当違いの場所で「目的地に到着しました、おつかれさまでした」と言われてしまった。もちろんその周囲にもそれらしい神社は見当たらないどころか、そこへ通じそうな道1本すら見つからない。仕方なくその周辺を車でグルグルグルグル回っていたが、どうにも手掛かりすら掴めない。
仕方なく諦めて帰ろうとしたその時、山奥の一軒の民家からおばちゃんが出てきたのがわかった。せっかくここまで来たのだからおばちゃんに聞いてでもまないたさまにたどり着きたい。そう思いその農家の辺りに駐車場に車を停めて、おばちゃんの民家へと向かおうとしたその時、ぼくは信じられない光景を目撃した!
なんとおばちゃんの農家の横の獣道に、本当に小さく小さく「まないたさま」と書かれていた!こんな小さい看板と文字、誰がわかるねんというツッコミと、やっとのことで「まないたさま」への通路を見つけた感動とが、心の中で同居していた。
おばちゃんと会話してみると、やっぱりこの道で合っているらしい。おばちゃんによると、地元の人もほとんど訪れない神社だが、ぼくのようによその人が時たま訪れることがあるという。早速「まないたさま」へと通じる道を進んでいった。
・忘れ去られた古寺
「まないたさま」へと通じる獣道の傍には、光にあふれた竹林が茂っていた。その途中には、誰にも忘れ去られたようなお寺が、深い雑草や赤い花びら、苔の中の静寂に佇んでいた。紀伊山脈を巡っていると、いつまでも残される古い祈りの姿がある一方で、すっかり忘れ去られた祈りの姿もあることがよくわかる。しかし残された祈りと忘れ去られた祈り、そのどちらが人間の心にとって深く尊いというのか、その答えを安易に出すことはできないだろう。お地蔵さまが苔の中で、こちらを眺めて静かに微笑んでいる。
忘れ去られた古寺のあとには、一軒の民家があり、その先には熊野古道のような苔むした階段がはるか下へと通じて並んでいる。その道の傍らには、また苔むしたお地蔵さま。ここでは何もかもが、時の流れからすら忘れ去られたかのように、ぼくたちが時計という機械を使って測る次元とはまた別の時の支流の流れの中を、静かにゆっくりと流れているような印象を受ける。
だれひとり訪れる人もない。そう言われても信じ込んでしまいそうな秘境の中に、「まないたさま」は密やかに存在していた。
・「まないたさま」の清流と岩石と苔むしの時間
「まないたさま」のその姿は、その他の熊野の古代信仰の姿が見せてくれたように、岩石だった。熊野速玉神社の前身の「神倉神社」、日本最古の神社の「花の窟神社」、熊野の神秘的な秘境中の秘境「丹倉神社」を彷彿とさせる。そしてその傍らには、清流が流れていた。清流の中には、まるで古代からそのような姿であるような、巨大な岩がいくつも転がっていた。その巨岩は苔むしている。石と、木と、水がまたしてもこの国の古層の精霊を通じて、ぼくに語りかける。
そこには「まないたさま」の説明書きがあった。
「マナイタさんとよばれ婦人病に霊験ありとて地方婦女子の信仰を集めているが、マナイタ(真魚板)とこの信仰のつながりは理解でき難い。マナイタとはおそらくマナイト(真名井戸)の転化で古くそこに水神が祀られていた為にこの信仰が生まれたものだろう。
民俗学の面から考察すれば水神は五穀豊穣をもたらす神で人間界では多産を約束する神でもある。したがって水神に対して子供を求め安産を願い婦人病の平癒を祈願するのは全国通じての習俗であるが、水神と呼ばずマナイタの古語が残っている所に時代の古さが偲ばれる。
たとえば古事記、日本書紀の天の真名井、紀北丹生津姫神社の真名井、熊野本宮さんの真名井など、いづれもその例で祭祝に先立ってまず水コリをとり行を修する神聖な場所であった。今この付近の時を「垢離搔場」と称しているのはその証拠でおそらくは産田神社に関する古い遺跡であろう。」
この説明書きによると、まないたさまとは「真名井」のことであり、「真名井」とは清浄な水につけられる最上級の敬称であるらしい。一見すればまないたさまの主役は岩石のようにも思われるが、実は傍らに流れている清流こそが、古来からの祈りの主役であったようだ。
ここでは時計という機械の時間とは別の時間が流れ、どれだけ機械が時の流れや変化を指し示しても、きっと古層の深い淀みの時間が流れていることだろう。時間はこの世界にひとつではなく、いくつもの姿があることを感じとられる。そして人間の浮世がどんな濁流に飲み込まれても、ここでは清流が変わらない苔むしの時間を流していくのだろうと思われた。