フリーランス医師兼世界一周の旅人!医者が旅しながら労働する方法を経験を元に徹底解説

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多忙な医者が旅するように働くためにはどうすればいいの?!?!?

フリーランス医師兼世界一周の旅人!医者が旅しながら労働する方法を経験を元に徹底解説

・旅する炎の根源は15歳
・医者という職業と旅という使命は、果たして結びつくのか?
・沖縄の大学病院に所属することで、様々な離島を巡ることが可能となった
・3年間医師として働いて、ついに世界一周の旅に出た
・日本各地で医師コロナワクチンバイトをしながら旅するように労働した
・医者という労働と、旅する炎を両立させることは可能だった
・思い込みや常識を打ち破れば、思いがけない解決策が見出せる

・旅する炎の根源は15歳

こんにちは!医師であり旅人の水色です。

ぼくは15歳の中学生時代に、人生で初めて海外旅行へ出かけた。行き先はアメリカ西海岸!狭くて山の多い日本の景色しか見たことがなかったぼくにとって、地平線が果てしなくどこまでも続いているアメリカ西海岸の広大な荒野の風景はかなり衝撃的で、バスから外をぼんやり眺めているだけでも価値観を大きく書き換えられてしまった。

グランドキャニオンやブライスキャニオン、ザイオン国立公園、ラスベガスやロサンゼルスやサンティエゴを巡りながら、自分の知らない世界ってもしかしたら海外には無限に広がっているのではないかという予感を抑えることができなかった。振り返ってみればぼくの旅をしたいという根源的な願いは、あのアメリカ旅行を触媒として本格的に発揮され始めたのかもしれない。

その後も高校生でオーストラリアへ行ったり、大学生の長期休暇ではドイツ、オーストリア、チェコ、ポルトガル、タイ、マレーシア、ネパールを冒険したりして、徐々に世界一周の旅をしたいという迷いのない願いを獲得するに至った。労働をするという観点からは将来の夢など特になかったが、世界中の旅に出たいという根源的な思いが燃え盛るように心の核に存在することを確信していた。

旅人の炎

しかしそうは言っても旅をするにはお金が必要だ。いくら自分の純粋な願いや自分がこの世に生まれてきたわけは世界を旅をすることだと直感したとしても、旅というのは基本的に労働ではなく消費行動なので、貯金がなければ旅に出かけることはできない。ぼくはたまたまというか運命に導かれるようにして大学の医学部に通っていたので、医者になって労働し、その貯金で世界一周の旅に出かけようと画策していた。

 

 

・医者という職業と旅という使命は、果たして結びつくのか?

そうは言っても医者として労働し、給料をもらい、節約してせっせと貯金し、世界一周の旅に出るというのなら、永遠に旅をすることなどできない。貯金が尽きたらまた日本へと帰国し、医者として労働する環境に逆戻りとなるだろう。ぼくの直感としては、ぼくの生まれてきた使命は永遠に旅をすることだと感じられたが、やはり基本的には消費行動である旅だけをしながら生きていくことは難しいのだろうか。

学問が得意だったというぼくの能力を最大限に活かした結果としての医者という職業と、旅という使命をどうにかして結びつけることはできないものだろうか、そんな風に医学生時代は夢想して考えを巡らせていたが、実際に医者としてまだ働いた経験もないのにいくら考えたところで机上の空論にしかならず、当然のように結論も出ないまま、まぁやっぱりまずは医者として働く他に道はないだろうということで、とりあえずは労働を開始した。

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心の根源において旅をすることは生まれてきた使命だと強く感じられたが、実際に生きていくためのお金を稼ぐための医者という職業には、そのような使命感はさほど直感されなかった。永遠に世界を旅をすることはこの生命の使命だけれど、医者として労働することは運命だと感じられた。勉強が得意ということを前提として、その他の様々な運命的要素がぼくを人生の中で医者になるように導いているように思われた。

ぼくは10代のうちに生まれ育った和歌山県を去って、医学部に入るために沖縄へと海を渡り、そのまま医者として沖縄県で働くことになった。今ふり返ればこの進学のための大移動の時点で、既に壮大に旅するような人生が訪れることが示唆されていると思わないこともない。

Coccoの歌に導かれてぼくは沖縄へと移住した

 

・沖縄の大学病院に所属することで、様々な離島を巡ることが可能となった

初期研修医として沖縄県で働いている最中にも、せっせと毎月10万円ほど貯金していただけではなく、どうしたら自分の医者という生業と旅するための使命を絡み合わせて人生を織りなしていくことができるのだろうと考えることを決してやめなかった。そして2年間にわたる初期研修医においても、旅するように医者が労働する方法を生み出してみようと画策することを忘れなかった。

ぼくが初期研修医として旅するように労働するために行動したことは、まず大学病院に勤務することだった。大学病院に勤務すれば、ある一定期間大学内で研修さえすれば、その他の機関は沖縄県内の様々な病院を自由に選択して労働することができた。ぼくは大学病院のそのような制度を利用して、初期研修医2年目には、4ヶ月間離島の宮古島で労働しながら過ごし、さらにその後は日本最西端の与那国島で地域医療の研修として1ヶ月間過ごし、琉球諸島の壮大さを奥深さを感じずにはいられなかった。と同時に医者として旅するように暮らすという労働の形態を、曲がりなりにも確立できたと感じていた。

さらにぼくは初期研修で赴任した宮古島が気に入り、そのまま後期研修は宮古島の病院を選択して、沖縄本当から宮古島へと移住した。まさに旅するような人生!夢のように美しい宮古島で多忙な病院生活を過ごした後は、医者として蓄えた貯金を利用してついに世界一周の旅に出た。この世界一周ブログ「ミズイロノタビ」の最初の旅が「琉球諸島をめぐる旅」になっているのはこういう理由があった。ぼくを医者として育ててくれ、10年間過ごした琉球諸島にひとまず別れを告げるために、ぼくは石垣島からフェリーで渡れる小さな離島たちを隈なく冒険し、まだ見知らぬ琉球諸島の数々の美しい側面を発見し、さらに深めた。

 

・3年間医師として働いて、ついに世界一周の旅に出た

ついに世界一周へと旅立ったぼくは、旅という使命に集中し、当然ながら医者としての労働を一切しなかった。しかしそのような中でも永遠に旅しながら生きていくためにはどうすればいいのかを模索し続け、旅を単なる消費活動にしたくないという思いと、他者から雇われることなく自分自身でお金を生み出してみようという挑戦から旅のブログを始め、記録として、記憶として、また資産として継続しながら成長させてきた。

自分自身を全人的に表現するという観点から旅ブログだけでは飽き足らず、他にもいくつかの別のテーマのブログを運営した。旅する炎はぼくの使命ではあったけれど、当然ながらぼくという人間はひとつの使命のみで構成されているわけではなかったのだ。

医者として労働して貯めた貯金が尽き果てるまで日本に帰らないで世界一周の旅を続けていく予定だったが、中島みゆきのコンサートや妹の結婚式など人生に必要不可欠なイベントがいくつかあったのでちょくちょく帰国せざるを得なかった。世界を巡ってから日本へ帰ってくると祖国の素晴らしさや美しさが余計に際立って見え、ぼくの旅は単なる世界一周旅行ではなく期せずして運命的に「世界一周+日本一周の旅」へと変化していった。世界を巡って視野を極限まで広げ、それを利用することで祖国を深めているというイメージだ。結局ぼくは世界をめぐることを通して、自分自身を生み育んでくれた日本という大地を理解したかっただけなのかもしれない。

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・日本各地で医師コロナワクチンバイトをしながら旅するように労働した

2018年4月に医者としての労働を辞め、世界一周の旅を継続し続けてきたが、ちょうど美しく雄大な中国大陸横断の旅をしている頃からコロナウイルスのことが噂され始め、2020年1月に帰国してからは一切外国へ出られなくなってしまった。これはさらに祖国を深めるよい機会だと認識したぼくは四国お遍路の旅を達成した後、2020年7月〜12月にかけて、車中泊で九州から北海道の北の端まで行って帰ってくるという壮大な日本一周の旅を思いつき、実行した。日本という祖国の見知らぬ奥深さを改めて思い知らされたぼくは、旅の一部始終をブログにしてまとめようとすると、その濃厚さから書く内容が膨大になりすぎ、必死に書き続けても全く書き切れる気配がなかった。

そんなこんなでブログに集中する充実した日々を送っていたが、気がつくと世の中はコロナワクチンの話題で一色になっていた。さらにコロナワクチンを全国民に届けるためには当然ながらたくさんの医者の協力が必要不可欠であるという。ぼくはお金が尽きてから医者の労働を再開しようと考えていたが、これほどまでに世界を恐怖の渦に巻き込んだ感染症から祖国の人々を守る手助けができればと思い、またブログを書く以外に特にすることもなかったので、2021年6月から人生で初めて医師として予防注射のバイトに応募してみることにした。

このコロナワクチンバイトは思ったよりも面白く、病院に属することなくフリーランスで、自分自身で労働する場所や環境や時間を自由に選びながら、まるで日本中を旅するように医師として労働できることに感動し、ぼくはすっかりコロナワクチンバイトにハマってしまった。最初は住んでいる関西地方ばかりの案件で働いていたが、徐々に求人の多い東京へも進出し、さらには群馬県や広島県、果てには北海道の釧路までも赴き、初期研修医時代に続いて、まさに医者として旅するように労働する形を確立させていった。医者というのはなんて自由に労働し、収入を得ることができるのだろうと感動せずにはいられなかった。

もちろんこのような形で自由に労働できたのは、コロナ禍という珍しい時代に、たまたま医師免許を持っていたことで見い出せただけの偶然の産物に過ぎないのかもしれない。しかしコロナは旅人にとって明らかに敵だったのだ。コロナという感染症が世界中に蔓延したことでほとんどの国が鎖国を強いられ、世界一周を続けていた人々は旅を中断せざるを得なくなってしまった。しかしそのような未曾有の事態においても、旅を諦めて浮世へと帰還してしまうか、それともコロナという最大のピンチを最大のチャンスへと転換させられるかどうかは、その人の持っている運や実力次第だ。

ぼくは医師免許を所有していたのでコロナワクチンバイトに従事し、さらにそれが楽し過ぎたので毎日こなして大量の収入を得るとともに、旅するように働くという医師としての新しい労働形態を発見し、旅するという自らの燃えるような使命と医師という職業を絡め合わせることができた。ピンチをチャンスに変えるというのはまさにこういうことなのだなぁと自分自身を眺めながら実感させられる。このまま2022年もコロナワクチンバイトを通じて日本中の人々にワクチンを届ける手助けをしつつ、旅するように医者として働くという労働形態を継続し、やがてコロナが収まればコロナワクチンバイトで得た収入を持ちながら、再び世界へと旅立つことができるだろう。

労働を再開こそしたものの、ぼくの中では永遠に旅を続けているという感覚に近いものがある。それはフリーランスの医師として自由に働くという労働形態の中に、旅という自らの使命を絶妙に組み込むことを可能にしたからだった。

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・医者という労働と、旅する炎を両立させることは可能だった

ぼくは医学生の頃、医者という職業と、旅するという使命を両立させながら生きていくことは不可能だと思い込んでいた。どう考えても旅するという消費行動と、医者という多忙な労働が想像上で結びつかなかったからだ。しかしだからといってそれは、旅する使命と医師という労働を組み合わせてやろうと努力しなくてもいい理由にはならなかった。試行錯誤を積み重ね、自らの直感に従って生き抜いていれば、やがて全く無関係に見える、数学的に言えば“ねじれの位置”に存在しているようにも感じられる2つが、思いがけず巡り会い、いいバランスで両立させながら生きていく着地点を発見することが可能になる場合もある。

まとめると、ぼくが見出した旅するように医師として労働するための方法は、今のところ2つある。ひとつ目は初期研修で大学病院に所属し、自らの選択により様々な場所で転々と自由に旅するように労働することだ。ぼくの場合は沖縄県の大学病院だったので、宮古島や与那国島などの様々な美しい離島を巡りながら医師として働くことができ、旅をしなければならないという使命が十分に満たされるような思いがした。医者でも旅しながら労働できるのかもしれないという最初の感触を掴んだ、尊い思い出だ。

またふたつ目はフリーランスの医者として、病院に属することなく、場所も時間も自分自身で選びながら、自由に自らの労働をデザインするという画期的なスタイルだ。まさにコロナワクチンバイトがこの労働形態にうってつけの業務内容だったが、コロナ自体が思いがけない予想外の災害みたいなものなので、コロナワクチンバイトがいつまで続くのかは定かではない。コロナワクチンバイトが終了してしまった暁には、医者という労働を再度キッパリと辞め、それで得た収入を元に、また旅という本来の使命に専念しようと画策している。

 

 

・思い込みや常識を打ち破れば、思いがけない解決策が見出せる

医学生のぼく自身に今現在のぼくから言いたいことがあるとすれば、絶対に無理だと思われるような課題であっても、諦めずに自分自身の人生を通して試行錯誤を繰り返していけば、思いがけない突破口が見つかることがあるということだ。実際に旅という使命と、医師という労働を組み合わせるという作業が成り立つということを、ぼくは自分自身の経験から学んだ。

また旅は消費行動である、医師は多忙であるという思い込みやイメージに囚われ過ぎないことも重要だと言えるだろう。世の中の常識的に言えば、旅は消費であり、医師は多忙だ。しかし世の中というものは複雑な世界を無理に統一させ無理に理解しようとして、いつも浅はかな嘘をついているものだ。常識を疑い、常にそれは本当なのかと問いかけることが、真理を見出すことに役立つだろう。

旅は消費行動のみにとどまるとは限らない。世界中を旅した貴重な経験をブログや動画にし、発信し、多くの人々の役に立つことで収入を得ることは可能だ。常識を信じ込み、旅は消費だと諦めるだけでは、自分自身の旅の経験を美しい創造物へと昇華し、雇われずに自分自身の力だけで収入を得るという尊い経験を見逃してしまうだろう。

また医師は多忙だとは限らないということを、ぼくはコロナワクチンバイトで嫌というほど学んだ。病院に属しながら労働していただけでは、医師は多忙だという常識を信じ込んだままだっただろうが、コロナワクチンバイトという新しい世界に挑戦したおかげで、医師でものんびり勤務したり定時に帰って自分の時間を自由に持てる労働の形があるのだということを教えてもらった。医師はどうせ多忙な労働形態しかできないのだろうと諦めていては、豊かに自分の使命を追い求めながら両立して労働できる機会を見失うだろう。

思い込みや常識を打ち破り、諦めずに解決策を模索すること、それが無理ならむしろ自分で新しい世界を創り出してやろうという気概こそが、自らの運命の突破口を見出すための鍵なのかもしれない。

 

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