宮古島に1年半、移住系男子してました

 

沖縄に10年間移住していたが、その最後の1年半は、宮古島に住んでいました。

宮古島に1年半、移住系男子してました

・宝物のような宮古島での暮らし
・過剰な物質を手放して
・海の伝える輪廻転生
・琉球諸島的死生観
・ついに下地空港にLCCが就航

・宝物のような宮古島での暮らし

ぼくは10代の頃に関西から沖縄へ移住し、10年間暮らしてきた。ずっと本島に暮らしてきたが、その最後の1年半を、自らの意志で宮古島で暮らすことにした。

沖縄本島と宮古島などの離島での暮らしは全く異なるものだった。沖縄本島というのは巨大だ。日本に比べれば小さく感じられるかもしれないが、ぼくというひとつの人間にしてみれば、沖縄という小さな南の島でもはるかに壮大に見える。海も遠く、人も車も多く、利便性の高い場所といった印象だ。ぼくたちが思い描く「沖縄」よりも、はるかに都会的な印象を受けた。

それに比べて宮古島というものの方が、はるかに「沖縄」のイメージ通りの生活だった。本当にすぐそこに海があり、ちょっと散歩すれば信じられないくらい美しい海を眺めることができる。沖縄も宮古も車社会なので、当然車を所持していたのだが、宮古ではちょっと車を飛ばしただけで、伊良部大橋や名も知れぬ人気のない砂浜にたどり着くことができる。有名で人が多く賑やかな砂浜にいるよりも、誰一人いないのに信じられないくらい碧い海を静かに眺めているときの方が、南の沖縄の島で生活しているという感じがする。

海の色というものは刻一刻と変わり、一時として同じ色彩の海原がないのだということを、宮古に来て初めて実感した。沖縄だろうが宮古だろうが、その海の色彩には飽きることがなく、見る度に感動させられるから不思議だ。人生にはそのような不思議な風景に時たま巡り会うことがある。通常、何度も遭遇していれば人はそれに慣れ親しみ、感動も薄れゆくはずであるのに、いつまでもいつまでも、感動が薄れないという風景に出会うことがあるものだ。それは人の命にとっての宝物であり、そのような風景に人生のうちで何度で会うことができるかということが、生きる時間の豊かさを決定すると言っても過言ではないだろう。

宮古島の色彩で忘れられないのは、伊良部大橋の風景だ。何度も何度も伊良部大橋を通って、伊良部島を訪れたものであるが、一度夕暮れ時に、海原が水色になり、伊良部大橋が淡い桃色に染まっているのを見たことがある。そのような色彩の組み合わせはそれまでの人生の中で見たことのないものである、ひどく感動したことを覚えている。

 

・過剰な物質を手放して

宮古島は沖縄の離島であるものの、スーパーもカフェも、おまけにドン・キホーテまであるので、普通に住む分には何の支障もなかった。服が好きで、デパ地下が好きで、梅田にいるときには毎日デパ地下に通っていたので、ぼくが宮古島に住んで大丈夫なのかたまに友達に心配されるが、便利な物質やおしゃれな食べ物がないならないで、別にそれに対応して楽しく過ごすことができる性格でよかったと思っている。

都会というものは人間や物質の集合体であるが、過剰にあればあるほどに、必要のないものであふれかえってしまう。宮古島のような場所に住んでいると、人間が生きていく上で本当に必要なものはそんなにないのだということに気がつく。そして豊かになりどこにいても簡単に何でも手に入るようになったこの時代において、本当に大切なことは、手に入れることではなく、逆に過剰で余計な物質を手放すことであるのかもしれない。

油断していれば不要なものが生活の中に沈殿してしまうような日々の中で、本当に必要なものしか選びとらないような生活は、今後の生活に示唆を与えられるような思いがした。

 

・海の伝える輪廻転生

ぼくは宮古島の病院で研修医として働いていたので、労働は激務であり、眠らずにずっと36時間働いたこともあったが、それでも1年半住んでいればその合間を縫って、宮古島の隅々まで回ることができた。早く帰れた日には海で泳ぐことも可能だった。宮古に来てから、ぼくは泳ぐことが好きな自分自身を思い出した。ぼくは8年間水泳を習っていたので、泳ぐという運動には慣れ親しんでいたつもりだったが、いつの間にか泳ぐ習慣もなくなっていた。宮古の飾らないのに美しい野生の海原を泳ぐことによって、ぼくは泳ぐという行為の尊さを思い知った。まるで大自然に帰っていくようだった。

海の中では様々な色彩のサンゴ礁を見たり、ウミガメに出会ったり、得体の知れない不思議な生き物に出会ったり、とにかく巡り合いの連続だった。陸地で生きているだけではわからなかった多くのことを、海原へと溶け込むことによって知ることができた。海の水が増えたり減ったり、まるで海が生き物そのものであるかのように蠢いていることも初めて知った。海の水量はダイナミックに増えたり減ったりしており、その都度泳ぎやすさが変化するので、人間にとっても重要な情報だった。何時に水量が増え、何時に減るのか、それがカレンダーに書かれていることにも気づいたし、それは時間帯だけの問題ではなく、月によっても水の増減を示しているのだということも知った。

ぼくたちは人間や犬や猫や鳥など、細かく動くようなひとつの個体だけを、生命だと見なす傾向があるが、そのような命よりももっと壮大な、全体的な、総合的な生命がこの世界には広がっているのだということを海で体感した。そして海の動きは月と繋がっているという。生命のような海は、生命のような月と関連して廻っているのだ。海と月は、はるか遠く離れて全く関係のないように間違ってしまうが、その関連を知ることは、この世の万物すべてが繋がり合い影響し合っているのではないかということ示唆しているように思われてならない。

月は欠けては太り、回転を示している。海の波も寄せては返し、回転を示している。そして海の水の増減も、日の中で、そして月の中で回転を示している。大自然という壮大で総合的な生命は、遠くから見ればすべて回転を示しており、そのような大自然の教えからぼくたちの生命を見渡せば、この生命だって輪廻転生を成立させて魂は引き継がれていくのかもしれない。地球も自転の回転を示し、太陽の周りをさらに回転している。電子は陽子と中性子の周囲を回転しており、四季という季節も回転しており、桜の花もこの世で回転を示している。この世界の重要なものはすべて回転しているのに、どうしてぼくたちの生命だけが回転していないと言い切れるだろうか。ぼくたちは自分自身をはるか彼方の宇宙から見渡せば、ひとつの円環を描いているだけの動的な点かもしれない。

 

 

・琉球諸島的死生観

宮古で教えられたことは、大自然によるものばかりではなく、その島に住む素朴で力強い人々にも、たくさんのことを教えられる思いがした。医師というのは、様々な種類の人々と深く生活や人生に関わりながら営む職業であり、その分宮古島の精神というものをはるかに深く知ることができたように思う。病院で働いていると、当然どうしようもなく亡くなる方に触れる機会も多く、その死生観に触れられることも多かった。

宮古島という沖縄の島の死生観とは、どのようなものなのだろうか。海の果てに、ニライカナイという根の国があり、そこへ帰り着くと信じるのだろうか。沖縄のお墓は日本のものとは全く違い、巨大な家のような形をしている。それは亀甲墓と呼ばれ、子宮の形をしているのだという。ぼくはそれを聞いて、沖縄の人々の死生観は、生命というものは子宮から生まれ子宮へと帰っていくと信じられているのかと思った。死ぬということが、元来た場所へと帰っていくことならば、これほど安らかなことはないだろう。誰もが死をおそれるが、それは死の先にどのような国があるのかわからないからではないだろうか。その先に何があるのかわかっていれば、誰もがそれをおそれないのではあるまいか。

ぼくは宮古島の人々に、それとなく命が終わったらどのようになると信じられているのかと聞いてみたが、意外にも空にある天国に行くのだろうという答えが多かった。生きている人々の思いがすべて民俗学の思考のようにいくとは限らないようだ。

 

 

・ついに下地空港にLCCが就航

ぼくは宮古島の名もなき秘密の砂浜を見つけ出すのが好きだった。とてつもなく美しい無人の砂浜で、ずっとのんびりすることが宮古島では可能である。Googleマップの航空写真を細かく見ては、この森の中に砂浜へと続く道があるはずだと予測を立てて宮古島を回ったりしていた。そして美しいお気にりの砂浜が見つかると、そこから海原の大冒険に出て、近隣の泳いで行ける孤立した砂浜へと遊泳し渡って行ったりした。そこは孤立した砂浜であるから、絶対に誰一人来ることはなく、そこでのんびりお昼寝したりしていた。

ぼくの最もお気に入りの秘密の砂浜は下地島にある。下地島とは、宮古島から伊良部大橋で伊良部島へと渡り、そこからさらに小さな橋を渡ると下地島へと行くことができる。日本の渚百景に選ばれた佐和田の浜や、練習用にしか使われていなかった下地空港がある以外は、畑の広がるのどかな場所である。その畑の中に、ぼくのお気に入りの秘密の砂浜があり、そこから4つほど向こうまで泳いでいける孤立した白い砂浜があり、のんびりスポットだった。夜は真っ暗なので、そこで降り注がんばかりの星空を眺めたりした、最も心に残る思い出の場所である。

その下地島の下地空港に、LCCが就航するということで、宮古や下地島の風景もだいぶと変わってしまうことだろう。宮古島圏内では宮古空港に次ぐ2つ目の空港だ。宮古島と石垣島の違いは、LCCがあるかないかだった。LCCの就航している石垣島は、人間が非常に多く、観光地という雰囲気が先行しているが、それに比べて宮古島はLCCがないので、ANAやJALの使える限られたお金のある人々しか来ることがなく、人の流入も少なく、それが宮古の観光に支配されないのびやかな雰囲気や、美しい海を保っていた理由だと思っていた。そこにLCCが入って来たことで、宮古島の雰囲気も大きく変わることが予想される。

宮古島と石垣島の違い

観光が促進されることによって石垣島のようにより都会的な空気になってしまう前の、貴重な1年半の期間を宮古島で過ごすことができてよかったと思っている。おそらく宮古島の昔ながらの古き良き一番いい時期を過ごしただろうし、そのような大好きな宮古島の風景はもう戻ってこないことだろう。さみしいが、時代の流れで仕方のないことである。この宮古島から、ぼくは世界一周の旅立ちを決意した。いわばぼくの始まりの地、旅の始まりの特別で尊い美しい島として、ぼくの心の中に永遠に残り続ける。

 

 

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