タイで国王になった山田長政とは?アユタヤ王国時代に日本人町のあった「日本人村」を訪れた

 

タイのアユタヤにはかつて日本人町があった!!!!!

タイで国王になった山田長政とは?アユタヤ王国時代に日本人町のあった「日本人村」を訪れた

・アユタヤ観光の最後に、かつて日本人町があった「日本人村」へ行こう!
・鳥居だらけ!アユタヤの日本人村はまるで日本の風景そのものだった
・アユタヤにはかつて3000人の日本人が住む日本人町があった!
・国王にまでなった!アユタヤ国王にも認められた日本人「山田長政」とは何者か?
・泡盛や紅型も!琉球王国とアユタヤの意外な関係

・アユタヤ観光の最後に、かつて日本人町があった「日本人村」へ行こう!

大学時代以来2度目のアユタヤ訪問では、レンタルバイクで自由に遺跡巡りをした。首のない仏像が立ち並ぶ「ワット・チャイワッタナーラーム」や、巨大な涅槃仏が見られる「ワット・ロカヤスタ」、菩提樹の根に絡まった仏頭が有名な「ワット・プラ・マハータート」、アユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院「ワット・プラ・シーサンペット」、黄金色に輝くブッダの坐像に出会える「ウィハーン・プラモンコンボピット」など、様々な魅力的な寺院や遺跡をバイクを使って自由に回った。

料金や借り方、注意点は?タイの世界遺産アユタヤでレンタルバイクを使って自由自在に観光した

首のない仏像に巨大涅槃仏に黄金の坐像!タイの世界遺産アユタヤで仏教王国の真髄に触れた

そして充実したアユタヤ観光の最後に、ぼくたちは「日本人村」に行くことにした。アユタヤ王朝時代ここ首都のアユタヤには日本人町が存在し、最盛期には3000人以上の日本人が住んでいたというのだから驚きだ。そんな昔にこんな東南アジアの真ん中で、日本人たちはどのような暮らしをしていたのだろうか。かつての日本人町は消滅し、今は「日本人村」という博物館になっているという。これは日本人なら行くしかない!

 

 

・鳥居だらけ!アユタヤの日本人村はまるで日本の風景そのものだった

 

日本人村の入場料は50バーツだった。

 

 

日本人村に入ってびっくり!ここは日本かな?日本に戻ってきたのかな?と疑ってしまうような風景が目の前に広がっていた!

 

 

幾つも立ち並ぶ真っ赤な鳥居!その鳥居をくぐっていくと…

 

 

そこには神社の姿が!さらに絵馬まで飾られている。「開運招福」という絵馬の上には読めないタイ文字が書き連ねられており、ここがタイのアユタヤであることを思い出させてくれる。

 

 

さらに鯉のぼり、風鈴、提灯など日本らしいものでいっぱい!日本を出発してからまだ1週間も経っていないけれどもはや懐かしさが心の中で爆発してしまいそう。

 

あまりに日本らしい風景を通り抜けて水の音がする方まで出てみると、そこにはあまりにも東南アジアらしい茶色く濁ったチャオプラヤー川の流れが!やっぱりここは日本じゃなくてタイなんだ!広く大きなチャオプラヤー川の水の流れは意外に速く得体の知れない迫力がある。かつての日本人町はチャオプラヤー川の東岸に、かつてのポルトガル町はチャオプラヤー川の西岸に広がっていたという。

 

・アユタヤにはかつて3000人の日本人が住む日本人町があった!

アユタヤは1350年から1767年まで417年間タイの首都だった。この間16世紀後半から外国人渡来者が急増し、彼らは貿易や布教に従事したり義勇兵として王朝に仕えたりした。当時日本政府は朱印状を発行し貿易を奨励していたが、朱印状を所有しない交易船も東南アジア方面の貿易に従事していた。これらの貿易船のうちタイの都アユタヤに来た者も多く、彼らは諸外国人と同様に国王から居留地を与えられた。アユタヤの時代には800人から3000人の日本人がいたと伝えられ、さらにタイ、中国、ベトナム人などの外国人を加えるとこの日本人町には8000人を超える住民がいたと言われている。

またアユタヤには日本人町のみならず、フランス人町やイギリス人町やポルトガル人町やオランダ人町や華僑街なども存在し、その他にもビルマ人、チャム人、マカッサル人、マラヤ人、ジャワ人、パタニー人、ムーア人、ペルシャ人、クメール人、ラーオ人、モン人など多様な民族が共存する国際都市としてアユタヤは発展していたという。

 

・国王にまでなった!アユタヤ国王にも認められた日本人「山田長政」とは何者か?

日本人村に堂々と立っているこの像は「山田長政」という人物のもの。彼は1950年頃日本の駿河国(現在の静岡県)に生まれ駕籠かきの仕事をしていたが、1612年に朱印船で長崎県から台湾を経てタイのアユタヤ王都へと渡った。国内外の紛争が絶えないアユタヤ王国において、日本人義勇軍は貴重な戦力となり勇猛果敢に戦ったと言われる。スペイン艦艇の2度に渡るアユタヤ侵攻をいずれも退けた功績により、アユタヤ国王ソンタムの信頼を得て出世し、1621年には日本人町の頭領および日本人義勇軍の隊長に、1628年には国王から最も高位な軍人でるオークヤー・セーナービムックに任命された。さらに1629年にはアユタヤ王国の属国であるリゴール王国の王にまでなったと言われる。

アユタヤ時代にそんなに活躍した日本人がいるなんて全然知らなかった!「山田長政」という日本とタイを歴史的に結びつける人物の存在を知ることができただけでもこの日本人村へ来た甲斐があったと言えるだろう。結局彼は1630年にパタニ軍との戦闘中に脚を負傷し、傷口に毒薬を塗られて死亡してしまったという。その後アユタヤ王朝に「日本人には反乱の可能性がある」と疑われたことから日本人町は焼き払われてしまった。この事件以降、日本人はアユタヤ王国における軍事的・政治的な力を完全に失い、また日本の鎖国政策から日本人の新規の渡航も途絶えてしまい、日本人町は次第に自然消滅していったと言われる。

 

 

・泡盛や紅型も!琉球王国とアユタヤの意外な関係性

ぼくは沖縄に10年間ほど住んでいたので、アユタヤ王国と聞いてすぐに思いつくのは泡盛の存在だ。何と沖縄の有名なお酒である泡盛の作り方は、実はアユタヤから伝来したものであるというのだ。そして実際にアユタヤの日本人村の博物館を訪れた際に、沖縄とアユタヤの関係を確認することができた。

泡盛の説明には「タイの醸造法が伝わり、現在もタイ米を用いている」と記されている。さらに紅型布も同時に展示され「タイ・ジャワの更紗(さらさ)の影響を受けている。染める時には蘇木を用いる」と書かれていた。何と泡盛だけではなく沖縄の美しい紅型模様もアユタヤの影響を受けていたなんてびっくり!沖縄とアユタヤの意外なつながりを、ここ日本人村でさらに知ることができた。

 

 

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