天職とは何か?見つけ方は?やりたくてやりたくて仕方ない仕事へと運命的に導かれたフリーランス医師の一例
・ぼくは知らない間にフリーランスの医師になっていた
・ぼくが感じるフリーランス医師のメリットと、勤務医との比較
・天職とは何か?ぼくはコロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方がなかった
・労働が苦痛だということは、すなわち人生が苦痛となってしまうことを意味する
・天職の見つけ方とは?ぼくは内なる直感に従った先で、自ずと天職へと導かれた
目次
・ぼくは知らない間にフリーランスの医師になっていた
ぼくは今どこの病院にも医局にも属さないフリーランスの医師として、コロナワクチンのスポットバイトのみで生計を立てている。医師の働き方として一般的に思い浮かべるのは当然、ひとつの病院に勤務しながら人々を病や死から守る姿だろう。ぼくも医師として働き始めの3年間はそのようにありふれた勤務医として、人々の健康を守るために昼夜問わず休みもなく必死に働いていた。あの頃のぼくはフリーランスの医師という形態があるということすら知らなかったのだ。
それが不思議なことにある出来事を通して、ぼくは今まで全く意識することのなかったフリーランスの世界へと足を踏み入れることになった。ぼくはフリーランスの医師になりたいと決意して志したわけではなく、自分でも知らない間にフリーランスの医師になるように導かれていたのだった。そして驚くべきことに、フリーランス医師の働き方はぼくの感性と完全に合致していた。コロナワクチンバイトはこれまでぼくが知っていた勤務医の働き方と完全に異なる種類のものだった。
・ぼくが感じるフリーランス医師のメリットと、勤務医との比較
まずコロナワクチンバイトは労働環境が極めてよかった。病院のように深夜までの残業があるわけでもなければ、朝自主的に早く来ることを無理矢理強制されるわけでもない。定時に始まり定時で終わるということが、人間の生活の質(QOL)をこんなにも高くするのかとぼくはコロナワクチンバイトを通して実感した。勤務医のように救急当直をして夜中眠らずに働かされることもなければ、翌日そのまま仮眠なしに外来診療をする必要もなく、夜中家にいても病院へ呼び出されるという非人間的扱いも当然なかった。病院での働き方はぼくのQOLを著しく低下させていたのではないかと疑わずにはいられなかった。
病院という過酷な労働環境の方が給料が極めて高いというのならまだ納得がいくが、不思議なことにフリーランスの医師としてコロナワクチンバイトをしたときの方が勤務医よりも遥かに高いお金を稼ぎ出すことができた。コロナワクチンバイトの相場は日給10万円以上が通常だ。休みなく働けば1ヶ月で300万円以上稼ぎ出すことも当然のように可能だった。高いQOLを維持しながら生活できるフリーランス医師の方が、病院の何倍もの給料をもらうことができる…この事実に直面した時、病院って一体何なんだろうと不思議に思わずにはいられなかった。病院で眠らずに一晩必死に当直した手当が16000円だった頃の自分を、ぼくは可哀想に思った。16000円といえばコロナワクチンバイトの”時給”だったからだ。
また自分の好きな時に、自分の好きな場所で自由に働けるという労働スタイルは、旅人であるぼくの魂と完全に合致した。今日は大阪、明日は東京、ある時は北海道、またある時は広島とまるで日本全国を旅するように生きていくことができるコロナワクチンバイトは、ぼくに労働する楽しさと喜びを与えてくれた。ふり返ればひとつの病院に留まって移動することなくじっと我慢して働くという勤務医の労働スタイルは、旅人としてのぼくの壮大な魂のスケールに全く合っていなかったのだ。
フリーランスの医師として旅するように1日1日を異なる職場で過ごすのならば、病院のように人間関係のトラブルに悩まされる心配もない。なぜなら自分に合わない人、嫌いな人、一緒にいたくないと思う人が職場にいても、次の日にはその人に会う必要が全くないからだ。労働ストレスの大半が人間関係に起因するというこの現代社会において、フリーランス医師のように浅き縁を保ちつつ日々人間関係を更新しながら働くことはむしろ極めて賢い生き方ではないだろうか。もちろんそれでは深い人間関係を築くことができず人生に情緒が出ないという意見もあるだろう。しかし旅先で出会う人々のように、もう二度と会えないかもしれないしもしかしたらまたどこかで会えるかもしれないと思いながら接する方が、人に優しくできる気がしてぼくにとっては心地がいい。
・天職とは何か?ぼくはコロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方がなかった
このように嫌な点が全くなくむしろ好きな点しか見当たらないコロナワクチンバイトを、ぼくはやりたくてやりたくて仕方がなくなってしまった。やりたくてやりたくて仕方がないと感じてしまうなんて、まるで性欲旺盛な男子高校生のようだ。どんなに働いても辛いと感じることがなく、休日を入れなくても疲労を感じないので、次々にコロナワクチンバイトのシフトを確定させてしまい、遂には半年間連続勤務という記録を樹立してしまった。ぼくはコロナワクチンバイトが好きで好きでたまらなくなってしまったのだ。
まさか医師としての労働にこのような感情を見出すことになるなんて、自分でもかなり意外だった。なぜならぼくは病院での労働を通して、自分は医師の働き方に向いていない感性を持っていると自覚していたからだ。しかし医師の働き方にも多様性があり、フリーランス医師として旅するように働く労働スタイルを確立させたならば、働くということはこんなにも楽しいのかと心から感じずにはいられなかった。
好きで好きで仕方がない、やりたくてやりたくて仕方がない、労働に対してそのような燃え盛る思いが芽生えたならば、人はそれを「天職」と呼ぶのではないだろうか。ぼくは知らず知らずのうちに、天職を手に入れていたのだった。
・労働が苦痛だということは、すなわち人生が苦痛となってしまうことを意味する
世の中では労働は辛く苦しいものだと言われている。ぼくも病院で働いていた頃にはその意見に同意していた。しかしコロナワクチンバイトという天職に辿り着いた今、労働にも好きで好きで仕方のないもの、やりたくてやりたくて仕方がないものが存在するのだと身をもって実感した。労働とはお金を稼ぎ出し生活の基盤を作る、人間にとって根本的で重要な行為である。それゆえに自らの労働を辛く苦しいと感じるか、楽しくて楽しくて仕方がないと感じるかで人生の豊かさやお金を稼ぐ力さえも大きく異なってくることだろう。言うまでもなく天職に従事しているときの方が従事していない場合と比較して、人生の幸福度は比べものにならないくらい高まるはずだ。
労働が辛く苦しいと感じられるのならば、それはまだ自分の魂にとってふさわしい天職を見出していないということを意味している。しかしそれならばほとんどの人々は天職に辿り着くことなく、労働の苦痛に耐え忍びながら我慢して生活のためのお金を稼いでいるということになる。周囲の人々を実際に見回してみても、インターネット上で人々の思いを観察しても、労働は苦痛で本当ならばやりたくはないが生活のために仕方なく働いているという意見があまりにも多すぎる。
しかし労働とは人間の若くて健やかで何でもできる時代のほとんどを占める行為だ。言い換えればぼくたちは生きている貴重で尊い時間のほとんどを、労働という行為に変換させられて生活することを強いられる。いわば人生=労働、生命=労働と言っても過言ではない現代の人間社会において、労働をやりたくないと感じることはすなわち人生が辛くて苦しいものだということを意味するのではないだろうか。ぼくたちは自らの生命を美しく彩り本来の人生を取り戻すためにも、天職へと辿り着く道を模索すべきではないだろうか。
・天職の見つけ方とは?ぼくは内なる直感に従った先で、自ずと天職へと導かれた
では珍しいことに、ぼくはどのようにして天職へと導かれたのだろうか。ほんの一例ではあるものの自らの天職を探し求める人々にとっては貴重な参考となるだろうと思いここに記載する。ぼくが天職へと辿り着いたのは、世界一周の旅に出たことがきっかけだった。
ぼくの根源にはいつしか、世界中を旅しなければならないという直感の炎が燃えていた。常識的に考えればそのような直感は非現実的で無謀なものだと、直感の炎をなかったことにして、誤魔化して、内なる声が聞こえなかったふりをして、誰もが”まともな”人間として通常の生活を続けるだろう。しかしぼくは違っていた。ぼくは自らの直感をこの世で何よりも大切なものだと信じていたのだ。他人のアドバイスなんかよりも、社会の常識や評判なんかよりも、自分の根源から燃え盛るようにして迫り来るありありとした直感こそが、ぼくの信仰すべき神の姿だった。
ぼくは自らの直感を大いに尊重し、病院で医師として3年間労働した後は、その貯金を使って実際に世界一周の旅に出かけた。インドネシア、台湾、ロシア、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、チェコ、ポーランド、ハンガリー、オーストリア、スイス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリア、スペイン、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、中国など世界中の国々を2年間かけて回った後で、思いもよらない事態がぼくたちを襲った。それが新型コロナウイルスの出現である。
世界中の国が次々に閉鎖され、とても世界一周の旅を続けられるような状況ではなくなったので、ぼくは日本へと帰国した。しかし旅をやめるという選択肢はぼくの中にはなく、今こそ祖国である日本を深める絶好の機会だと前向きに考え、車中泊で日本一周するという壮大な旅を実行した。岡山県、広島県、山口県、福岡県、大分県、宮崎県、熊本県、長崎県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、北海道と旅を継ぎ、最終目的地であり最北端の離島・礼文島に辿り着いた後は、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県を巡った。
日本一周の旅をようやく終えた頃、またしても思いがけない出来事が起こった。それが日本における新型コロナワクチン接種の開始である。世界中を混乱と恐怖の渦に貶めているコロナウイルスの脅威から人々を救う手助けができると共に、日給10万円以上で効率よくお金を稼ぐことにより次なる世界一周の旅の資金調達ができるというのであれば、医師であるぼくにとってコロナワクチン業務をやらない理由は見当たらなかった。こうしてぼくはコロナという天災に翻弄されながらも、3年間の世界一周+日本一周の旅を中断し、なんとフリーランスとして医師の労働を再開させたのだった。
ぼくの旅には密かなテーマがあった。それは「内なる直感の声にただ従って燃え盛るように生き抜いた時、人にはどのような運命の軌道が与えられるのか」というものだ。その答えが今まさにぼくに与えられた。ぼくは自らの直感に従うように生き抜いた先で、コロナワクチンバイトという天職へと導かれたのだった。天職はぼくの労働の既成の概念を打ち砕き、旅をするように働く医師の労働スタイルを確立させ、また次なる世界一周の旅を何年も続けられるほどの潤沢なお金をもたらしてくれた。
それはまるで自分の感性には合わない間違った運命を進んでいた魂が、燃え盛る直感という神聖な転轍機によって軌道を切り替えられ、自らの魂にふさわしい本来生きるべき運命を取り戻したかのようだった。天職とは、自らの根源に宿る純粋な直感にただひたすらに従う覚悟と勇気を持った者にだけ与えられる天からの贈り物かもしれなかった。
もちろん天職はぼくの旅路の終着点ではないだろう。天職によって与えられたお金で、ぼくはさらに新たな世界一周の旅を実現させ、これからも燃え盛るような直感の声を聞きながらこの生命を生き抜くことをやめることはない。それでも天職はぼくにとって尊くかけがえのない直感の結果のひとつだ。そしてその天職を媒介として、また新しい運命の軌道が切り開かれていく。
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