世界一周の旅を再開するよ!!!!!
月収300万円の天職か旅する天命か?お金への執着を断ち切りぼくは世界一周を再開した
・ぼくは世界一周を中断し、日本一周の旅を達成した
・遥かなる旅路の果てでぼくはコロナワクチンバイトという天職に巡り会った
・天職の感覚はぼくの中の労働観を更新させた
・世界一周再開のお知らせ
目次
・ぼくは世界一周を中断し、日本一周の旅を達成した
2018年ぼくは自らの直感に従うことを通して、世界一周の旅に出発した。旅をするためにはお金が必要だったので、その前に医師として病院で3年間労働し、600万円ほど貯金して旅の資金にあてることにした。
しかし2年間世界一周の旅を続けたところで新型コロナウイルスの脅威が世界を襲い、とても世界一周なんてしていられる状況ではなくなった。たまたま日本に一時帰国していたぼくはそのまま海外に出られなくなり、日本に閉じ込められる形となった。しかしこれはまだ見知らぬ祖国を深める絶好の機会だと前向きに捉え、ぼくは世界一周を中断した代わりに車中泊で日本一周をすることにした。
さらに丁度日本一周を達成した頃に日本全国でコロナワクチン接種業務が開始されたので、まだコロナ禍も収まらぬまま世界にも出られずにいたぼくはコロナワクチンバイトをすることを通して医師としての労働を再開することにした。このコロナワクチンバイトがとても不思議なことに、労働の新たな側面をぼくに見せつけてくれた。
・遥かなる旅路の果てでぼくはコロナワクチンバイトという天職に巡り会った
コロナワクチンバイトをすることで、ぼくは労働というものが楽しくて楽しくて仕方がない場合もあるのだということを学んだ。それは病院で働いていた頃には、考えられない変化だった。どれくらい楽しかったのか具体的に説明すると、半年間1日も休まずに働いても疲れないしむしろもっと働きたいと願ってしまうほどだった。やりたくてやりたくて仕方がないと感じられるコロナワクチンバイトは、まさにぼくにとっての“天職“なのだと気づかされた。
コロナワクチンバイトがそれほどまでに楽しかった理由は、いくつもあった。日給が10万円以上と高額なこと、日本中のたくさんの人々と知り合いや友達になれることなども大きな理由だが、何と言っても旅するように労働できるという点がぼくの中で最も重要だった。インターネット上の医師派遣会社を駆使してスポットバイトを検索すれば、自分の好きな時間に好きな場所で自由に働くことが可能だった。
病院で労働していた頃のぼくは、医師というものはひとつの病院に留まりながら動くことなく労働するしかないと思い込んでいたので、そのような種類の働き方が旅をしたいという情熱を伴った自らの魂とは相入れないと感じられた。しかし自分自身の中に宿る世界中を旅をしなければならないという直感に素直に従って燃え盛るようにこの生命を生き抜いた時、ぼくは知らず知らずのうちにコロナワクチンバイトという天職へと導かれた。それは“医師という資格“と“旅をしたいという魂の情熱“という、一見どうしたって合致しないと感じられる2つの要素が見事に巡り会うための浄土だった。
・天職の感覚はぼくの中の労働観を更新させた
人間の労働という仕組みに大きな違和感を覚えていたぼくは、コロナワクチンバイトという天職に出会ってから働くことへの見方も変わった。なぜ人間にとって最も若くて最も健康で何でもできる貴重な期間のほとんどを、自分のためではなく他人に役立つ労働という行為に費やさなければならないのか大きな疑問だったのだ。人間の人生というものが、自分のためではなく他人のためである労働という行為に大きく支配されてもいいのだろうか。
しかし天職の感覚をこの生命に刻むとき、労働は他人のためだけではなく自分自身の魂のためにもなると心から感じられた。疑いようもなく自分の魂のためであると同時に、他人のためにもなるという行為こそ、ぼくたち人間が労働として選び取るべきものだったのだ。ぼくは旅を魂の情熱や使命であると直感で知っていたのと同時に、コロナワクチンバイトという労働も同じくらい魂にとって必要なものであると感じるようになった。
・世界一周再開のお知らせ
しかしいつまでも労働ばかりしていては、自分の魂が腐敗してしまうのではないかという危惧を次第に感じ始めた。やはり自分と他人の役に立つことを両立できる労働に没頭するよりもむしろ、徹底的に自分の魂のためにだけ生き抜くという野生的な生き方を継続しなければ、生まれてきた意味を見出せないのではないか。
ぼくのこの直感的とも言える思考回路は、常識的に考えればおかしなことを言っているように映るだろう。旅なんかするよりも毎日10万円稼いだ方が貯金も増えるから安心して将来を生きることができるし、旅をしてお金を消費するよりも労働してお金をたくさん稼いだ方がいいに決まっていると資本主義社会では見なされる。労働をした方が他人の役に立つから尊敬されるし、社会的な尊厳も保たれるし、まともな人間だと思われるのに役立つだろう。
しかしぼくは旅立つことを選んだ。浮世の常識的な思考はこの魂には全く適応されないことを感じていた。ぼくが生きるのは直感的な情熱や魂の使命に従うためだというこの思いに、疑いの余地はなかった。労働によってお金を蓄えたのも、全ては自らの魂の使命を成し遂げるための手段に過ぎなかった。人間が本当に自分自身の人生を生き抜くためには、常識を破壊し続けるほどの覚悟と勢いが必要なのではないだろうか。自らの直感にだけ焦点を当てながら今という瞬間瞬間を常に駆け抜けている生命にとっては、他人の姿や他者からの声が感受されるはずもない。ぼくはぼくの感性だけを神様のように信仰して、再び日本を旅立った。
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