日本の旅の原点!紀伊山脈・熊野古道で魂の巡礼の旅へ

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日本の旅の原点、熊野古道への旅が始まる。

日本の旅の原点!紀伊山脈・熊野古道で魂の巡礼の旅へ

・帰りつける場所があればこそ
・熊野古道は日本の旅の原点
・熊野三山は前世現世来世を救う
・ぼくは生まれ故郷をあまり知らない
・紀伊山脈は神武天皇の重要な旅路
・紀伊山脈の奥深い魅力
・自分自身の源流への遡上

・帰りつける場所があればこそ

旅というものは不思議だ。ぼくたちを知らない世界へといざなってくれる。今まで生きてきた人生からすっかり切り離されて、まるで違った人間になってしまったような気がする。言葉を知らない人間になって、風習を知らない人間になって、道を知らない人間になって、また新しく生き直せる気がする。けれど心の片隅ではわかっていることがある。たったひとつ、帰り着く場所があること。どこかに帰りつける場所があるからこそ、未知なるものとの遭遇も、うまくいかなかった恥じらいも、安心して受け入れることができるのだ。そして短い旅から帰り着けば、また同じような日常が始まる。けれど誰もが気づいている。同じような日常でも、旅に出る前と出た後とでは、少し違った世界を歩いていること。

ぼくたちは常に変化を求めている。たとえ変化なんて好まないような保守的な人柄であろうとも、氷の中のように不動の世界で生きることはゆるされない。変化したいのに、自分の力では自分自身を変える勇気がないような種類の人々は、自分の人生を突き動かしてくれるような何かを待っている。そして旅というものにそれを託し、期待する。延々と変わりなく続いているこの日常に、一旦の区切りをつけて、永遠に続くかのように思われた寝ぼけた日常という平穏な時間を、ナイフで潔く切断して、その切れ端に旅という異物を備え付けることで、安らかな人生は一瞬の非日常の津波に襲われる。

ああもしも一度だけ別の世界の人間になって、そしてまた同じ世界に戻って来られたならば…。そんな願いを古来より、旅という魔法は叶えてきたのかもしれない。

 

 

・熊野古道は日本の旅の原点

日本の旅の始まりは、熊野詣でであると言われる。今の和歌山県、奈良県、三重県の南部、紀伊半島の南部にある熊野古道の一帯は、古来より隠国(こもりく)と呼ばれ、こもるための場所、奥地にある場所、転じて死者の魂の集まる場所とされた。日本の神話におけるイザナミが亡くなった場所であることも熊野古道が「死の国」と言われていることに関連しているようだ。

古来より多くの天皇や上皇が、熊野古道への旅を行なってきた。またその影響もあり貧富の別なく、身分の高低の別なく、実に様々な庶民の人々も熊野詣での旅に出かけ、その様子は「蟻の熊野詣で」と称されるほどだったという。昔の人々は車なんてなかったのだろうから、この険しく奥深い紀伊山脈を自らの足で歩いていたのかと思うと、人間の祈りの力、旅の力というものは凄まじいものがあると感じずにはいられない。

人々は熊野古道という「死の国」へと一旦入り、そして元の世界へ帰って行くことにより、一旦死んでまた生まれ変わる、黄泉がえりの感覚を得たのだと言われている。ただの旅行ではなく、そこには日本民族の精神の根の部分からの深い祈りが感じられる。それはまさに、旅というよりは魂の巡礼だったのだろう。もしかしたら日本人にとって旅とは巡礼であり、巡礼とは旅であるのかもしれない。

 

・熊野三山は前世現世来世を救う

熊野古道でお参りする神社は主に3つあり、合わせて熊野三山と呼ばれている。熊野三山とはすなわち、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社であり、それぞれに、来世、前世、現世を司っており、3つすべてを回るとそのすべてが救われるという言い伝えであるようだ。とにもかくにも3つを回ることが重要らしい。

ぼくはこれまで記憶のある中では熊野本宮大社しか行ったことがない。記憶にない家族旅行では那智大社も行ったことがあるようだが、まったく覚えていなかった。ぼくも家族に連れられるわけではなく、この身とこの意志で熊野三山を巡ってみたい。

 

・ぼくは生まれ故郷をあまり知らない

ぼくはシベリア鉄道100日間の旅のさなかから、紀伊山脈の旅に憧れを抱くようになった。紀伊山脈といえばぼくの生まれ故郷である。ぼくは高野山の麓の町に生まれ育った。そこは和歌山と奈良と大阪が混じり合っているような土地である。領域的には和歌山県の東北部である。和歌山という土地は山深く、山が壁のように立ちはだかっているので、なかなか和歌山県の南部や紀伊山脈へと入って行くことがなかった。それよりも電車で簡単に行ける、大阪などの都会に行って遊ぶのが常であった。

シベリア鉄道の旅で、遠くの世界へ行けば行くほど、ぼくは自らの根源への憧れが強くなった。広い旅をすればするほど、深い旅を成し遂げたくなっていったのだ。自分の精神がだんだん広がると同時に、自分の精神をより一層深めることで、精神の体積をバランスよく大きくさせようというなんらかの作用が働いたのかもしれない。

ぼくは和歌山という場所に生まれたのに、和歌山のことをよく知らない。もっと自分の生まれ育った場所がどういうものなのかを確かめたいと思った。しかも、実家には沖縄から持って帰ってきたぼくの車がある。軽自動車だが、ぼくは車中泊の旅をしてみたいと思ったのだ。車中泊の旅なんてしたことがないが、紀伊山脈の中で車中泊の旅をするなんてなんだか楽しそうだ。それならば宿代もかからないし、和歌山や紀伊半島には温泉がいっぱいあるからお風呂は日帰りの温泉に入ればいいし、宿代の浮いた分で美味しいものをたくさん食べられるしいいことずくめではないか。しかも、うまくいかなかったときにはすぐ実家に戻って来ればいいのだ。

 

 

・紀伊山脈は神武天皇の重要な旅路

また紀伊山脈・熊野古道は日本の宗教的歴史的観点から見ても非常に興味深い唯一無二の土地だろう。高野山における密教という仏教、熊野三山における日本独自の神道、そしてそれらが融合した奈良の吉野を中心とした役行者の山岳宗教も入り混じっており、奥深い独自の宗教体系を築き上げている。

神道的に言えば、第一次天皇の神武天皇が大和の地を治めるため、もともといた九州の宮崎県から瀬戸内海を通って航海の旅をし、熊野灘へとたどり着いたのは有名な話である。そして神武天皇は紀伊山脈を越えて今の奈良の橿原へと到着し、政治の拠点とした。ぼくたちは今も橿原神宮を訪れることにより、その痕跡を確かめることができる。

そして奈良の橿原へたどり着くまでの紀伊山脈の山奥や紀南の地には、神武天皇にまつわる数々の神話や伝説が残されている。1代目の天皇の旅路として紀伊山脈を意識することは、日本人である自分の中に流れている旅の意味を再度問いかける機会になるかもしれない。

 

 

・紀伊山脈の奥深い魅力

最近は大きな旅の間で、実家に近い紀伊山脈の中をちょこちょこ巡ったりしていたのだが、その度に紀伊山脈の深遠さと幽玄さを感じずにはいられなかった。ぼくの生まれ育ったこの紀伊山脈という場所は、なんだかとてつもない場所な気がする。

このブログでも紹介した十津川の秘境神社の神秘性は他の比べようとないほどだったし、ぼくが世界で最も好きな場所は地元に近い高野山だ。そして奈良と和歌山と三重の境目にある、紀伊山脈の中の秘境の瀞峡というところも、本当にここは日本なのかと疑うほどの絶景だった。

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紀伊山脈は世界的に有名な旅行本ロンリープラネットで2018年の世界で訪れるべき地域というランキングで日本で唯一5位を獲得している。紀伊山脈は熊野古道や高野山などの世界遺産で埋め尽くされており、世界的に外国人から見てもものすごく見応えのある日本有数の場所だということだろう。

 

・自分自身の源流への遡上

ぼくは自分の生まれ故郷であるにもかかわらず、紀伊山脈への憧憬は深まる一方だった。紀伊山脈を深めるということは、そこで生まれ育った自分自身を深めることでもあるのだ。そして紀伊山脈の旅、すなわち熊野古道の旅が日本の旅の原点を意味するのなら、それは日本における旅を深く知るということにもつながるのだ。

広い旅から、深い旅へ。紀伊山脈の奥地を流れる清らかな水を辿るように旅をすれば、まるで清流の源流を見つけたときの喜びのように、自らの根源が見つかるような気がする。そしてその清流の鏡には、古来からの日本の姿さえ映し出される。ぼくは車中泊について調べ上げ、最低必要な寝袋をモンベルで買い、軽自動車に乗り込んで紀伊山脈の奥地へと旅立った。

 

 

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