ウィーンのカフェ・ザッハーで10年ぶりにザッハートルテを食す

 

白くて華やかな音楽の都・ウィーンに到着した。ぼくにとってはなんと10年ぶりのウィーンだ。

ウィーンのカフェ・ザッハーで10年ぶりにザッハートルテを食す

・ウィーンはヨーロッパの象徴
・甘さの情緒
・ザッハートルテの宇宙
・カフェ・ザッハー
・変わらない価値を求めて

・ウィーンはヨーロッパの象徴

ウィーンはぼくにとって思い出深い街だ。ぼくは大学のドイツ語研修でドイツ→ウィーン→プラハ→ドイツ→イタリアの旅をしたのだが、その中でも「ああこれがヨーロッパだなぁ」と納得したのはウィーンだった。白くて華やかで美しい街並み。馬車が街中を走って石畳に馬の蹄の音が響き渡る。ぼくは幼い頃から思い描いていた「ヨーロッパ」はウィーンにあったのだ!それゆえに思い入れも深い場所である。

はじめてのヨーロッパ旅行のウィーンで日本とは比べてものにならない大きな美術館を回ったこと、カフェを巡ったこと、街を散策するといたるところに音楽が咲いていたこと、遊園地で観覧車に乗ったこと、豪華絢爛なハプスブルク家の宮殿を鑑賞したことなど、今でもありありと思い出せる。(心残りはクリムトの接吻を見逃したことだった)

 

 

・甘さの情緒

当時カフェを回った中でもザッハートルテはとても美味しかったことで思い出に残っている。美味しかったというのもあるし、なんだか情緒のある味わいだと思ったのだ。特に甘くない生クリームがお皿に添えられているのがよかった。もしもお土産にザッハートルテを買っていったとしても、この生クリームがなければ魅力が半減ではないかと思われるほどである。

ヨーロッパやもしくは日本以外のお菓子というものはえてしてそういうものかもしれないが、とりあえず甘ければいいだろうという傾向が見られる。ぼくはただ単純に甘いお菓子というのはあまり好きではない。甘さにちょっとした苦みが加わっていたりとか、甘いにしても何か甘さに変化のあるグラデーションのような甘さだと、甘さに複雑さが加わり、甘さが絡まりあったり引き立て合ったりして非常に味わい深いものになると思う。そのような深みを完全に成し遂げているのはおそらく日本のお菓子だけではないだろうか。日本のお菓子の情緒深く味わい深い様は、他の国ではなかなかお目にかかれない代物であると思われる。

しかしぼくは外国で唯一ザッハートルテの味にはその情緒深さを見出し感動した覚えがある。

 

・ザッハートルテの宇宙

ザッハートルテはチョコレートケーキだ。チョコレートの苦みの中に通常のチョコレートケーキの甘さが加わり、さらにそこにアプリコットジャムという別の種類の果実的な甘酸っぱさの要素が加わり甘さが複雑さを帯びてくる。それぞれの甘さはそれぞれをうちけしあうことなく尊重し合い絡まり合い見事な共鳴を口の中で体現する。

そこに添えられた生クリームを絡めるとさらに複雑な情緒が増す。この生クリームがただ単純な甘ったるい生クリームならば魅力もないだろうが、なんとこの生クリームまったく甘くないのだ。おそらく砂糖皆無か非常に少量なのではないだろうか。この生クリームがザッハトルテと口の中で絡まると、チョコレートの風味とアプリコットジャムの甘さと、さらに甘くないミルキーなまろやかさが加わり最高のハーモニーを打ち出す。まるで味覚が深遠なる宇宙空間へと旅だったような感覚にさえなる。これはちょっと日本でもなかなか味わうことのできない複雑で見事な組み合わせだと感動したのが10年前だ。

 

 

・カフェ・ザッハー

 

そのような思い出を抱えたまま、今回もカフェ・ザッハーを訪れた。前回は1階でザッハートルテを食べてこのカフェは1階しかないと思っていたら、なんと2階にもっと華やかなカフェがあり今回はそこへ案内された。どう見ても1階より2階のこちらの方が本気のカフェという印象がある。

 

 

深い赤色を基調とした空間に光り輝くシャンデリアが佇んでいる。ザッハートルテは7.1ユーロ。ケーキにしてはやや高いが、カフェ文化の盛んなウィーンの街の真ん中で、ゆっくりとくつろげる華やかな空間を提供してくれることも考慮すればまったく高くはないだろう。

 

このようなカフェでのやり取りは一通りドイツ語で行えるというのも、1ヶ月のドイツ語研修の成果であるかもしれない。Excuse meはエンシューディグン、〜pleaseは〜ビッテ、checkはツァーレンビッテと言えばきちんと通じる。困ったことにはこのように注文時にドイツ語で話すと、ドイツ語を完全に話せる人だと勘違いされて何か難しいことをドイツ語で話しかけられて???となり英語での会話になってしまうということである。1ヶ月のドイツ留学では頻回に使用するフレーズを覚えられる程度だった。それでも現地の言葉で少しでも会話できるということは非常に意義深いように感じる。

 

 

・変わらない価値を求めて

今回のザッハートルテも10年前と変わらない味がした。この味については既に述べた通りであり再度記述する必要もなかろう。もしかしたら味が変わっていたら悲しいなぁと思っていたがまったくそのまんまだったので嬉しかった。この味はもはやこれで完成された味なのだろう。完成された味を変化させる必要はない。きっとまた10年後ここを訪れても同じ味を楽しめることだろう。

未完成なものたちが急激にたちまち変化していくこの時代で、絶対的な価値のある普遍なものがひとつでも多くあることはかけがえのないことである。どんなに成功し富み栄えても変わり果ててしまうことを見る世の中だ。どんなに正しいと叫ばれていたことでさえ次の日には間違いへと転換されているかもしれない。

何を基準にし何を頼りにすればいいのかわからずに、浮世の心たちは迷い戸惑っている。そんな中でずっと変わらない、完成された価値が佇んでいることは意味のあることである。彷徨うぼくたちにも少しくらい道しるべがあってもいいだろう。しかしそれは人から教えられるものではなく、偽物だらけのこの浮世の中から自分自身で見出さなければなならない。

 

 

 

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