車の難所!お遍路第35番「醫王山 鏡池院 清瀧寺」は堂々とした薬師如来像と龍の天井画に圧倒された

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あまりにも美しく堂々とした薬師如来さま!!!!!

車の難所!お遍路第35番「醫王山 鏡池院 清瀧寺」は堂々とした薬師如来像と龍の天井画に圧倒された

・お遍路11日目は第35番清瀧寺からスタート!
・早朝の参拝は神聖な気持ちを運んでくれる
・第35番清瀧寺と弘法大師の伝説
・第35番清瀧寺の真ん中におはす堂々とした薬師観音像
・第35番清瀧寺の仁王門の「蛟竜図」
・第35番清瀧寺本堂
・第35番清瀧寺大師堂
・第35番清瀧寺お納経(御朱印)
・第35番清瀧寺御影、御姿

・お遍路11日目は第35番清瀧寺からスタート!

2020年車中泊お遍路逆打ちは、1日目が徳島県の第11番から第1番(合計11寺)まで、2日目が香川県の第88番から第82番(合計7寺)まで、3日目が香川県の第81番から第74番(合計8寺)まで、4日目が香川県の第73番から第66番(合計8寺)まで、5日目が愛媛県の第65番から第63番(合計3寺)まで、6日目が愛媛県の第62番から第54番(合計9寺)まで、7日目は愛媛県の第53番から第45番(合計9寺)まで、8日目は松山観光のため愛媛県の第44番のみ(合計1寺)を巡礼し、9日目は愛媛県から高知県をまたぎ第43番から第39番(合計5寺)まで、10日目高知県の第38番から第36番(合計3寺)までを巡礼した。高知県は広大でお寺とお寺の間の距離もだいぶあるので、巡礼がゆっくりになっていった。

お遍路11日目は第35番「醫王山 鏡池院 清瀧寺(いおうざん きょうちいん きよたきじ)」からのスタートだ。この第35番清瀧寺でまず印象に残っているのは、たどり着くまでの車道の狭さである。ここは本当に狭かった!車遍路の難所と呼べるのではないだろうか。ぼくたちは早朝から参拝するために夜中にこの狭路の上り坂を通過してお寺のそばで車中泊したため、対向車に出くわすという不安もなく安心だったが、これが昼間にこの狭路を通らなければならないと言われたらすごく嫌だっただろうと思う。

 

 

・早朝の参拝は神聖な気持ちを運んでくれる

早朝の参拝というのは気持ちがいい。やはり朝は生まれ変わりの時刻なのだろうか、昼間では味わえない神聖で特別な気持ちで仏様に向かうことができる。もしかしたら自分がとても好きだと思ったお寺も、実はそのお寺自体というよりは、朝という時刻が好きだった場合もあるのかもしれない。ぼくはこの第35番清瀧寺に関しても、特別大好きだという感想を抱いた。

 

 

・第35番清瀧寺と弘法大師の伝説

弘法大師がこの第35番清瀧寺を訪ねたのは弘仁年間(810〜24年)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという伝説が残っている。

この弘法大師が杖をつくと水が湧き出たという伝説は、日本各地に残されているようだ。

 

 

・第35番清瀧寺の真ん中におはす堂々とした薬師観音像

 

第35番清瀧寺の特別な点は、まず境内のど真ん中に堂々とした薬師如来像が建てられていることだ。朝の美しい日の光に照らされて、より一層神聖にありがたくぼくの瞳には映った。

 

薬師如来像の下には狭い通路があり、入っていくことができる。

 

・第35番清瀧寺の仁王門の「蛟竜図」

明治33年(1900年)清瀧寺の楼門建立に際し、画家久保南窓(くぼなんそう)の揮毫した天井画「蛟竜図」「天女図」の二組が奉納された。竜は中央二面に続き、天女はその左右に描かれ、墨痕鮮やかで流麗闊達な筆致に極彩色が施されており、近郷天井画の白眉であるとされる。近年「天女図」は獣害を受け、宝物館に移管されているといい、境内では見ることができない。

今もなお仁王門には「蛟竜図」の天井画が残されており、その迫力ある姿を存分に鑑賞することができる。

 

・第35番清瀧寺本堂

 

・第35番清瀧寺大師堂

 

・第35番清瀧寺お納経(御朱印)

 

・第35番清瀧寺御影、御姿

澄む水を 汲めば心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣

 

 

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