神々の気迫に圧倒されました。
神々の都!宮崎県高千穂で日本神話の源流に触れる
・神武天皇東征の物語の出発地、高千穂へ
・清らかな水の流るる真名井の滝
・穏やかな気配の高千穂神社
・天岩戸神社とアマテラスの天岩戸伝説
・神々の集う清らかな聖域、天安河原
・ちょっと贅沢して高千穂牛のランチ
目次
・神武天皇東征の物語の出発地、高千穂へ
紀伊半島、車中泊の旅で最後の最後に訪れたのは、奈良県の橿原神宮だった。橿原神宮は、家族で毎年初詣としてお正月にお参りする神社だったが、ここがどのような神社なのか幼い頃は全く知らなかった。
先日たまたまyoutubeを見ていて、橿原神宮が第1代天皇・神武天皇の最終目的地であることを知った。国を治めようと考えた神武天皇は、九州宮崎県の高千穂から、海を渡って、福岡、広島、岡山、大阪と旅し、紀伊半島南部の熊野灘に到着し、そこから紀伊山脈を越えて柏原にたどり着き、そこに都を開き大和という国を制定した。その神武天皇を祀るのが橿原神宮であるというのだ。橿原神宮はいわば、日本の歴史の原点とも言える場所だろう。その旅のことを、神武東征の物語というらしい。
紀伊半島を巡っていると、神武天皇が滞在していた場所が祀ってあったりしてその痕跡を見る機会も多かった。神武天皇も旅人であられたのかという親近感とともに、その旅立ちの地である高千穂への興味は日に日に高まっていった。九州一周車中泊の旅に出ようと思い立ったきっかけも、高千穂の宮に行きたかったからである。
・清らかな水の流るる真名井の滝
高千穂は神話の宝庫であると言われる。たしかに町中に古い神社も多く、一度の観光ではその全てを回ることは不可能であるほどだ。ふと訪れてみる神社にも霊験あらたかな様子を直感で感じることができ、高千穂に訪れてその神聖さを実際に思い知る旅となった。
誰もが「高千穂」と聞いて思いつくのは、清らかな水の落ちる真名井の滝の風景だろう。「まない」とは清らかな水につけられる最高の称号だと、三重県熊野の「まないたさま」という秘境神社で学んだぼくには、その名前の尊さがひしひしと感じ取られた。
真名井の滝の風景は日本の他のどこでも見たことのないほど不思議で幻想的なものだった。水は清らかだがその深さのあまりに濃厚な緑色に見える点は、紀伊山脈の秘境「瀞峡」と似通ったところがあるだろう。しかしそのような深緑の水の峡谷に、美しい一筋の滝が流れ落ちるという様子が、高千穂の風景を特徴づけているものと思われる。
・穏やかな気配の高千穂神社
高千穂の町中にある高千穂神社は1900年前に創設された由緒ある古社で、日向三代神やその配偶神、神武天皇の御兄をお祀りしている。静かで心安らかになれる神社だった。
・天岩戸神社とアマテラスの天岩戸伝説
天岩戸神社は、古事記の天岩戸伝説を今に伝えている。弟のスサノオの暴れっぷりにすっかり嘆き悲しんだアマテラスは天岩戸という岩にこもってしまう。アマテラスは太陽の化身であり、そのアマテラスが岩穴に閉じこもってしまった後では世界全体が暗黒に包まれてしまった。八百万の神々はすっかり困り果て、相談し、どのようにすべきかを考える。そこでアメノウズメノミコトという神様が岩戸の前で舞を踊り、神々は大いに盛り上がる。外の様子を聞いたアマテラスは、太陽という自分がいなくなって世界中の人は困っているはずなのにあんなにも楽しそうなのはどうしてだろうと訝しく思い、天岩戸から出て来たところで引きずり出されてしまい、世界には光が戻ったという物語だ。
この天岩戸伝説をモチーフにしたものが中島みゆきの夜会「金環蝕」であり、この感動的な夜会をなんども繰り返し見たことから、ぼくは天岩戸伝説に大いなる親しみを覚えている。
全国にも天岩戸伝説にちなんだ神社は点在しているようだが、ここではその天岩戸を実際に見ることができる。しかしいつでも見学できるわけではなく、無料で神社の方が案内してくれる時に限り、天岩戸を眺められる神殿の裏に通じる扉は開かれる。神社の方は丁寧に神話について、日本の成り立ちについて、神々や天皇について教えてくださりとても学びになった。
肝心の天岩戸は川を挟んではるか遠くにあり、草木も生い茂り見つけることはなかなか困難だったが、自分があの天岩戸の前方に立っているのだと感じるだけでも心満たされるものがあった。天岩戸神社は西と東にわかれており、天岩戸を見ることができ人が多く賑わっているのは西本宮である。東本宮はアマテラスが天岩戸から出た後最初に住んだ場所だというが、そこを訪れる人は少なく静寂に包まれていて不思議な雰囲気だった。
・神々の集う清らかな聖域、天安河原
とても感動的だったのは、天岩戸神社の西宮から徒歩で行ける天安河原だ。ここは本当に感動的で神秘的な場所だった。清流にそってどんどんとゆるい坂を下っていくと、ものすごく神聖な雰囲気の清らかな河原にたどり着く。水は透き通り、岩は苔むし、光は淡く、何百年も何千年もこのような風景を保っていたのだろうと思わずにはいられないほど穏やかな気持ちになる。
なんだかここには神様が住んでいそうだと思ったその瞬間、大きな洞窟が出現し、その中には神社があった。ここは天岩戸伝説において、アマテラスがお隠れになったとき、暗黒の世界をどうしようと八百万の神が集まって集会を開いた場所であるとされる。中には無数の石が果てしなく積まれており、その姿に圧倒される。この石を積んで祈りを込めるという様式は万国共通なのだろうか。どうして石を積めば祈りになるのだろうか。スペイン巡礼でも、イタリアの小道でも、みんな石を積んで祈りを込めていた。姿かたちは違えども、人間の祈る心に異なるところなどないのかもしれない。
ぼくがここに神様の存在を感じたように、古代の日本の人々もここに神性を感じたのだと思うと、どんなに時代が変わっても、その感性は尊く引き継がれ残っていくものであるのだと実感した。
・ちょっと贅沢して高千穂牛のランチ
ちょっと贅沢して、昼食に高千穂牛を食べてみた。ランチセットで2600円と高級な高千穂のお肉は、本当にとけそうなくらいに柔らかくて最高に美味しかった。安ければ何度も食べたいと心から思ったが、そうそう贅沢もできないので、またいつか食べられ日が訪れることを心から願った。