夢の中で見た景色へとたどり着く方法 〜ムルマンスクへの鉄道にて〜

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夢の中で見た青白い森に、ロシアで出会いました。

夢の中で見た景色へとたどり着く方法

・共同体は人間を部品にする
・夢の国までの航空券は買えない
・夢と現つが巡り会う場所

・共同体は人間を部品にする

人はお金があれば大抵のことは解決できる。欲しいものだって買えるし、好きなレストランにだって行ける。世界一周をしたいという思いだって、お金とちょっとした度胸さえあれば簡単に叶えることができる。資本主義の中でお金を稼ぐことが人生の目的だと教えらえるこの世界において、お金の重要性はますます高められていくことだろう。

ぼくたちは労働をする。労働=他人の役に立つことに、健やかで若く美しい時代の大半は奪われ、その代償としてちょっとばかりのお金=給料を受け取る。老いてしまえばどんなにお金を出してでも手に入れたい若く健やかで美しい時間は、給料というほんの少しのお金で誤魔化され、騙されて売られていく。そして人は若く健やかな時代の大半を、自分のためではなく他人の役に立つところの労働に費やすように仕組まれている。

それによって手に入れた少しの給料を頑張って節約し貯金したお金で、土日に好きな服を買ったりコンサートに行ったり旅行したりして気を紛らわせている。しかし心のどこかでは本当はその欺瞞を見抜いている。本当にこんなことのために、自分は生まれてきたのだろうかと。

ほんの少しのお金からさらに奪い取られる税金によって、市町村や国などの共同体は発展していく。この共同体の発展こそが、結果的に人間という現象の目的になってしまっている。「全体」としてこの世に生まれてきた人間の生命を、卑小なあるひとつの「部品」にまで没落させることによって、共同体という巨大な群れは蠢いている。ぼくたちはなんのために生まれてきたのだろうか。そんなことを考えさせる間も与えないくらいに忙しく、共同体は部品を稼働させていく。

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・夢の国までの航空券は買えない

 

そのようにして共同体に吸い取られた美しい生命の時間の代償としてのお金によって、人間は大抵のことができるが、できないこともある。例えば死んだ人に出会うということはどんなにお金を出してもできやしない。その不可能さをかろうじて人間世界で可能にしようと想像力を働かせたのが、青森県恐山のイタコだろうか。

同様に、夢の中で見た世界へと連れて行ってもらうこともできない。夢というものは不思議なもので、夢の中で訪れた見知らぬ国に、今まで何度も訪れたことを思い出すような瞬間がある。夢の中でその国へとぼくは何度も足を運んだことがあったのだ。しかしその夢の国へは、行けることもあれば行けないこともある。自分が今日の夢の中であの国に行きたいと寝る前どんなに強く願っても、自分の夢の行き先を自分でコントロールすることは不可能だ。

そんな夢の中の国がぼくにはいくつかあるのだが、忘れ難いのは夢の中の神聖な青白い森である。その森へ行く方法も何となく覚えている。自転車に乗って、大きく果てしない下り坂を駆けていくと、その先に古代の日本の都のような雅な街が広がっている。そこから白い霧の世界へと迷い込むと、いつしか静寂に包まれた、美しい青白い森へとたどり着くことができるのだ。その森には清らかな水の泉が広がっており、ぼくはその美しさを忘れないために、夢の中の青白い森の絵を描いた。もうこの先の一生の中で、あの森へと行くことができないかもしれないからだ。

 

ぼくがどんなに強くあの青白い森を訪れたいと願っても、誰もその願いを叶えてくれる人はいない。これがアメリカに行きたいとかフランスに行きたいとかいう通常の願いであるとしたら、貯金して航空券を買って簡単に行くことができるだろう。しかし夢の中の世界には、100万円貯金しようが1000万円支払おうが行けないものは行けない。夢の国までの航空券を誰も売ってはくれない。

どのような時にあの美しい青白い森にたどり着けるのだろう。どんな人だけが招かれているのだろう。どんなに考えても、答えは本の中にもインターネットのページにも転がっていない。ぼくは自分の無力さを思い知らされる。どんなにたくさん勉強して医者になっても、それによりどんなにたくさんお金を稼いでも、自分の無意識が作り出した自分の中の夢の世界へ行くことさえできないのだ。自分のことなのに、自分のことがわからない。世界はそのような無力さであふれている。

眠りの国

北極・線路

 

 

・夢と現つが巡り会う場所

 

諦めるより他はない。ぼくは叶わない思いをこの身に背負いながら、叶わない思いさえ趣深いと感じながら切なく生きていく他はない。しかし美しい夢の世界に行けなくても生きていくことにそう不便はなく、そのようなことに執着するのもくだらないので、やがて忘れ去って時は流れた。夢の世界という異界について久しく思案するほど、人生は暇じゃなかった。

やがてすべてを手放しシベリア鉄道の旅に出た。ロシア極東の街ウラジオストクから、バイカル湖の街イルクーツクを通って、ロシアの首都モスクワ、そして麗しいサンクトペテルブルクへ、そしてロシアの最終目的地、北極圏のムルマンスクへと旅立った。サンクトペテルブルクからムルマンスクまでは1泊2日の鉄道の旅だった。

 

ウラジオストクからモスクワまで7泊8日のシベリア鉄道の旅をしたので、1泊2日の鉄道旅なんてへっちゃらだ!ぼくは気軽な気持ちで3等車の鉄道に乗り込み、ムルマンスクの次に行くフィンランドにちなんでヘルシンキが舞台の映画「かもめ食堂」を見ながら、車内でのんびりと過ごしていた。列車の中にはロシアの若い軍人が多い。

外の景色は徐々に雪化粧を帯びていく。人生で初めての北極圏へと進行していく。タイガの木々が白雪をまとう姿は静寂に満ちていて神秘的で美しい。日も落ちて暗くなったら、することも思い当たらず眠りに入った。深い眠りの中で、どんな夢を見ていたのかは覚えていない。

ふと目を醒まして窓の外を眺めると、この現実世界に、夢の中のあの青白い森が通り過ぎていた。

「ああ、あの森だ。」

「こんなところにあったんだ。」

こんなところで巡り会えるのかと、驚きもなく自然と感じられた。早朝の闇の中に鈍く映る、夢の中で見た青白い森。あの森は日本の古都の近くの山奥に存在していると思っていたが、ロシアの果ての北極圏、このような深い雪の大地に横たわってぼくを迎え入れてくれたのだ。

思いがけず、人と人が巡り会うように、思いもよらない場所で、人と世界は意味を分かち合う。夢と現つは重なり合う。思いがけないロシアの北極圏の鉄道の中で。見知らぬ深い森の中で、夢と現実の境界線は薄まり、やがては見えなくなって消える。夢と現つは同じものとなり、ぼくの意識がそれを分け隔てていただけだと気がつく。何もかもを手放して、シベリア鉄道の旅に出れば、そこには異界が出現する。この世のものではない世界に巡り会う。夢の世界という異界が、この身に降り注いでくる。

それは古来から日本民族の精神に潜んでいる願い。すべてを喪失して旅立ったその先に、日本の人は異界と巡り会う。消え去った境界線を眺めながら、北極星へと向かう軌道を辿ってゆく。能の気配を身につけて。

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