ぼくが旅に出る理由6:この世のあらゆる境界線の融解

(この記事には広告が含まれる場合があります)

 

この世のあらゆる苦しみは、差から生じる。

ぼくが旅に出る理由6:この世のあらゆる境界線の融解

・人間はあらゆるものを「差」によって認識する
・「差」は分裂へとつながり、最後には人の心に憎しみと戦争を生み出す
・真実の平和の正体を見出すためには相対的な「平和」を追い求めてはならない
・相対的な世界から抜け出して、絶対的な幸福へ
・ぼくが旅に出る目的は、この世のあらゆる境界線の融解
・ぼくが旅に出る理由の記事一覧

・人間はあらゆるものを「差」によって認識する

ぼくたちは「差」を感じ取ることで、あらゆるものを認識している。たとえばそこに「リンゴ」があると認識できるのも、「リンゴ」と「リンゴ以外の世界」に差があると明確に判断できるからだ。「リンゴ」と「リンゴ以外の世界」の間に差があると感じ取ることができなければ、「リンゴ」と「リンゴ以外の世界」の間の境界線は曖昧となり、ぼくたちはそこに独立したリンゴがあると認識することは不可能になるだろう。差を認識できない世界では「リンゴ」と「リンゴ以外の世界」が混沌と入り混じり、「リンゴ」も「リンゴではない世界」も一緒くたで一続きの同じものとなり、「リンゴ」は意識の中から消滅してしまうだろう。

ぼくが「男」であると認識できるのも、「男」と「男ではないもの」の間に明らかな差を感じるからだ。この場合「男ではないもの」といえば、「男」と相剋の位置を示しているものすなわち「女」である。「男」と「女」は同じ人間という種族であるのに、まるで全く別の種類の生き物であるかと感じられるほどに大きな違いを持っているようだ。肉体の構造という観点から言っても大きく異なっているし、ものの感じ方や考え方も大いに異なる。「男」と「女」というものは強い性欲という力によって結びつき、人生を共に歩むことになるが、「男」と「女」の間に差異がある限り、共に生きる上でその大きな違いに戸惑ったり苦しんだり誤解を産むことも多いようだ。

同じように「わたし」というものを認識するときにも差が必要だ。「わたし」と「わたしではない誰か」の間に差があることを感知して初めて、わたしというものは立ち現れる。言い換えればこの世に「わたし」以外の人間がいなければ、ぼくたちは「わたし」という一人称を認識することが不可能となるだろう。「わたしではない誰か」がこの世にいる、目の前にいるこの人は明らかに「わたしではない誰か」だ、そんな風にして他者を「決してわたしではない」と確信し徹底的に否定することによってのみ、「わたし」というものはこの世に生まれる。「わたし」というものは「わたしとは全く異なる人」を認識するという、究極の否定の産物なのだ。

 

 

・「差」は分裂へとつながり、最後には人の心に憎しみと戦争を生み出す

人間が全ての物事を認識するためには「差」の発見が必要だ。「差」がなければぼくたち人間はこの世界のものを何ひとつ認識することができないままで、高度な情緒や科学や文明を発達させることなく人生を終えるだろう。向上心と好奇心のあるぼくたち人間は、より多くの「差」を発見し、より多くの概念を脳内に生み出すことで他の動物にはできない独特の世界文明を築き上げてきた。文明は消費を促し、何もかもの速度を上げ、生活を豊かにしてきた。

その一方で「差」を認識しすぎるあまりに、数々の苦しみや悲しみがぼくたち人間には降り注いだ。認識のために「差」ばかりを強調して見出すあまり、世界は極端な2つに分類され、分裂を極めた。「男」と「女」、「祖国」と「異国」、「人間」と「動物」、「聖」と「俗」、「正常」と「異常」、「生」と「死」など、世界のあらゆるものは究極的な2つに分類され、その2つが協力し合うのではなくよそよそしく分け隔てられ、2つの間の境界線がナイフのように世界を切り裂き分裂させ、意識し合いながら争うようになった。

その最終地点には、人間が歴史上でこれまで繰り返してきたような憎しみ、恨み、妬み、そして殺し合いが待っていた。人間の最終地点には、いつも血の匂いが漂っている。「戦争反対!」と高々に叫ぶ声も虚しく、この世界で人間が戦争や殺し合いをしなかった時代はない。戦争は人間の本性だったのだ。「差」によって世界を認識し、「差」によって世界をことごとく分裂させ、「差」を以って他者を否定することでしか正常な意識を保てない人間という生き物には、そもそも戦争が内在していたのだ。戦争は間違ったものではなく、人間そのものの確かな一部だったのだ。

 

・真実の平和の正体を見出すためには相対的な「平和」を追い求めてはならない

悲しい殺し合いや戦争を止めるためには「戦争」と「平和」のうち正しい方の「平和」だけを目指して、「平和」を求めて世界が走り続ければいいというのはあまりに浅はかで愚かな考えだ。世界を「戦争」と「平和」というものに極端に2分している時点で、人間の「差」を生じさせ「境界線」を設けるというどうしようもない本性が発露している。そしてその「差」や「境界線」が、まさに人間の憎しみや殺し合いや戦争に根源であるということに誰も気づかない。「平和」という言葉は偽物のまやかしなのだ。「平和」という言葉をあなたが述べた時点で、その裏にある表裏一体の「戦争」という言葉さえ無意識の中で確かに立ち現れ、人間の本性である戦争が引き起こされる予感を助けている。

もう分裂は十分なのだ。世界を認識しようと努力するあまり、人間が意識の中に生じさせてきたあらゆる「差」や「境界線」が本当はないのだと気づくこと、そんなもの本当はないのに「差」や「境界線」にしがみついてしか生きられないこと、本当はひとつながりの世界に無理矢理切りつけている鋭いナイフを手放すこと、「差」や「境界線」が無であることを悟ることによってのみ、「戦争」の対極にある相対的なものではない真実の絶対的な「平和」が心の中に花を咲かせるだろう。

 

・相対的な世界から抜け出して、絶対的な幸福へ

「差」や「境界線」が織りなす相対的な世界に住んでいては、人間は幸福を手に入れることはできない。人間は様々な目的のために人生を歩んでいると考えられるが、それらを全てまとめ上げて簡潔に言うならば、人間は畢竟「幸せになるために生きている」と断言することができるだろう。幸福になるために最も妨げになるのは、他人と比較したり、差を感じ取ったり、見上げたり見下したりする相対的な世界を生きることである。

しかし誰もがこの世で相対的な日々を送るよう強要されている。例えばこの人の方が学校の成績がいいとか、この人の方がスポーツができるとか、この人の方が学歴が高いとか、この人の方が年収が高いとか、この人の方がイケメンだとか、この人の方が健康だとか、とにかく自然と様々な比較にさらされながらぼくたちは生きて行かざるを得ないようなシステムに巻き込まれている。なぜなら相対的な世界観に人間の精神を浸透させることにより、人間に劣等感や焦りや不満を生み出し、その結果として競争させたり消費させたりうすることにより経済を回したいからだ。資本主義という観念の元、お金を稼ぐことが国家や人間の目的だと思い込まされた世界の中で、人間の精神を相対的な観念に洗脳させることは当然の成り行きだと言えよう。

しかしこの洗脳を聡明に見抜き、自ら抜け出さなければ、ぼくたちは真実の人生の目的である「幸福感」を味わうことができない。それは「ぼくの方がこいつよりもイケメンだ」というような人を見下さないと得られないような浅はかな相対的幸福ではなくて、いつでも、どこにいても、誰と比較することがなくても、自分ひとりだけで感受することができる究極的な「絶対的幸福感」だ。ぼくたちが人間として生きる限り必ずまとわり付いてくる「差」をふりほどき、「境界線」を祓いのけ、「比較」を押し流した先に立ち現れる、到達不可能とも思われる清らかな聖域だ。ぼくたちはどのようにして、そこへたどり着けばいいのだろうか。

 

 

・ぼくが旅に出る目的は、この世のあらゆる境界線の融解

きっとそこへたどり着くための地図も道筋も、それぞれの魂の色彩によって異なっているに違いない。ただ自らの根源に燃え盛る炎の声を聞くことだけが、ぼくたちがそこへたどり着くための澪標となることだろう。疑ってはならない、怠けてはならない、ただひたすらに必死に生き抜いたその先で、炎の声に従って足を踏み出さなければならない。あらゆる穢れを取り除き、あらゆる雑音を取り除き、やがてもたらされる真空の生命の受容体に、美しい炎の声は感受される。

ぼくにとっての炎の声が導くものは「旅」だった。だから何ひとつ疑うことなく異国の旅に出た。恐れるものは何もなかった。安定も収入も死なないことも、美しい炎の声の尊さに比べれば何ひとつ重要ではなかった。炎の声に導かれる道筋をただ進むことだけが、ぼくの生命の全てだった。

異国へ旅立てば、ぼくは何者になれるだろう。ぼくは何者にもなりたくなかった。それが真実の自分の姿だと思った。祖国にも異国にも属さずに、人間にも動物にも属さずに、男にも女にも属さずに、この世にもあの世にも属さずに、生者にも死者にも属さずに、ただ透明で清らかな魂として異国を彷徨っていた。何にも属さないことは、境界線の融解を意味する。それは果てなく長い道のりになろうとも、たとえこの一生では叶うことはなくても、魂だけになっても神聖な炎の声を引き継いで、ただひたすらに修行を続けよう。

 

 

・ぼくが旅に出る理由の記事一覧

ぼくが旅に出る理由1:旅だけが時間の逆行を可能にする

ぼくが旅に出る理由2:旅は永遠へとたどり着く道

ぼくが旅に出る理由3:美しさでつながり合うもの

ぼくが旅に出る理由4:労働と消費を繰り返す輪廻からの解脱

ぼくが旅に出る理由5:旅で出会った美しい風景は、いつか悲しみに暮れた自分を癒してくれる

旅人の炎

ミズイロノタビの正体

 

 

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

 

関連記事