ぼくが旅に出る理由3:美しさでつながり合うもの

 

2018年、ぼくは人生で3度目のプラハを訪れた。

美しさでつながり合うもの

・ぼくとプラハをつなげる鍵
・利害でつながり合うもの
・美しさでつながり合うもの
・旅は人と人を美しさでつなげる

・ぼくとプラハをつなげる鍵

シベリア鉄道のロシア旅〜フィンランド〜バルト三国を抜けて、今度はどこへ行こうかと悩んでいたが、ぼくが必ず訪れたいと思っていたのは、他でもないチェコのプラハだった。ぼくはプラハに2008年、2011年と既に2回訪れたことがあるが、それでも今回も訪れたくなったのだ。

プラハはぼくが今まで人生で訪れた中で最も美しい街である。ぼくの中では、世界で最も美しい街のだ。なんでそんなに3回も行くのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれないが、その答えは「美しいから」ということに他ならない。その他に理由などないのだ。特にこの街のご飯が世界で特別美味しかったとか、特別物価が安くてお得だったとか、そんなことは別にないのだが、プラハの美しさは、そのようなささいな物事をはるかに凌駕するほどの魅力がある。プラハが美しいということだけが、ぼくの人生とプラハの街を3回もつなげている鍵なのだ。

 

 

・利害でつながり合うもの

美しいということでつながれるということは幸福なことだ。人は長く生きるにしたがって、だんだんと打算で生きていくようになる。何が好きだとか、自分の命が真に何を求めているかということは横に置いておいて、どうすれば自分にとって利益になり得になるか、どのようにすればより多くの見返りをもらえるかどうか、それを優先して計算しさぐりながら、世の中を生きていくようになる。

人と人とのつながりというのもそうだ。インターネット上の様子を見ていてもわかることだが、利害に従って繋がり合っていることが非常に多いだろう。今ここで恩を売っておけば将来大きな見返りをもらえるだろうとか、この人に乗っかっていれば後で自分が大きな得をするだろうとか、そのように損得を勘定しながら賢しらにつながり合ってゆく。本当にそう思ってなくてもすごい!とかいいね!などと言い合ってつながりは虚しく深められていく。まるで安直なテレビ番組で、タレントが特に面白くもないのに大きく笑っていたり、特に驚いてもいないのにわざとらしく驚愕する浅はかな様子に似ている。つながりを広げるために目立つための努力をし、大して心から思っていないことを発信したり、おかしな名前を自分自身に付随させたりして、人々は声高に我を強くし、虚像の自我を他人に押し付けていく。

しかしつながりとは本来そのようなものであっただろうか。損得勘定だけで突き動かされるのが人間のつながりだろうか。もっと深いところで嘘偽りないつながりを、忘れかけてはいないだろうか。

 

 

・美しさでつながり合うもの

たとえば自分が美しいと思ったものをありのままに発信する。写真でも動画でもいいし、言葉だって絵画だって構わないだろう。自分自身の感性で美しいと感受したものを、自分自身の腕により創造し直し、発信させる。あらかじめ用意された美を、自分という存在のメディア(媒介)を通して、新たなる美へと転換させる。それを見てくれた人が、心から美しいと感じてくれそしてつながり合えたとしたら、こんなに幸福なことはないのではないだろうか。

「美しい」とか「好き」とか、そういう人間の直感的で原始的で野性的な部分でつながり合えるならば、どんなに楽しいことだろう。残念ながら大人になるに従ってそのような機会ははるかに失われていく。赤子の時代や子供の頃には誰にだってできた、直感による自然な本来の人と人とのつながりが、利害や金銭や自尊心により複雑に絡まり合いながら崩壊していく。それを取り戻すことはできないだろうか。どうすればあの頃のように純粋な魂の色彩で、人と人とをつなぎ合わせることができるだろうか。

 

 

・旅は人と人を美しさでつなげる

旅をするということは素敵だ。美しいと感じるものを自由にさがすことができる。誰でもない人になって、時代に属さない彷徨い人となって、この世の美しさは深く追求されていく。しかし世界があらかじめ用意してくれた美を、そのままに受け止めるだけでは心もとない。それを美しいと感じる自分自身の入力の感性を、今度は出力の感性へと転換させて、世界へ向かって創造しなければならない。それこそがぼくの思う、自分という旅人の担う宿命である。

創造は写真でもいいだろう。美しい写真を光をとらえ創造する。詩でもいいだろう。美しさを自分という混沌に沈む言葉たちから紡ぎ出す。絵画でもいいだろう。空間把握能力と色彩平衡感覚の大いなる発露。歌でもよいだろう。眠っている原始的で本質的な音楽の目覚め。そのようにしてこの世に生まれた創造物が、この世界へ向けて飛翔し、それが多くの人々の直感的な感性を刺激し、そしてつながり合えるのならば、ひとりでこの世を訪れひとりでこの世を去っていく定めの人間の旅路も、まんざら捨てたものではないのではないだろうか。

損得を勘定しなければならないのは仕方のないことかもしれない。資本主義の渦の中で、すべての人はどのように競争で敵を打ち負かし、どのように金銭を勝ち取り、そしてその先に幸福があるのだと信じなければ生きていくことが疑わしくなるのかもしれない。それでも誰かを傷つけなければ進めない人生に誰もが疲弊し、精神は荒廃していく。

思い出してみないか。美しさだけでつながり合えた懐かしい時代を。取り戻してみないか。好きだということだけで直感的に生きていた、あの頃の純粋さを。

 

 

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