釧路の旅!世界三大夕景の見える街

 

摩周を去り、釧網本線でさらに南を目指した。摩周湖の島になったおばあさんさようなら、できたら今度はその姿をぼくに見せてね。

釧路の旅!世界三大夕景の見える街

・整然とした美しい港町、釧路
・かわいいノロッコ号
・釧路湿原
・レトロなレストラン
・世界三大夕景の見える街の名を知っていますか

・整然とした美しい港町、釧路

釧路といえば釧路湿原しか知らないぼくは、釧路という街に何の期待もしていなかった。特に特徴のない田舎町だろうと思い込んでいたのである。しかし、それは大きな間違いだった。栄えた都会である。道が広く整然としている。知床半島から考えれば別世界であり、クマの王国から人間の巣へと帰ってきたような心地がして安堵する。街全体が清潔で、新しさを醸し出している。ホテルのそばには、美しい幣舞橋(ぬさまいばし)という美しい橋もかけられており、その雰囲気はプラハのカレル橋を何となく思い出させる。

ぼくは釧路が好きになった。

 

 

・かわいいノロッコ号

さて、釧路といえば釧路湿原である。釧路湿原といえば、ノロッコ号というかわいい電車に乗って行き帰ってくるのが定番らしい。ぼくもぜひ乗ってみたい。

 

 

しかし、ノロッコ号の仕組みは少しややこしかった。ノロッコ号は釧路駅〜塘路駅(とうろえき)の間を行き来している。塘路駅を降りると、そこはまさに釧路湿原であり、自由に散策できるようになっている。しかし、ぼくはこの釧路駅〜塘路駅の路線は、釧網本線とはまったく別の独立した路線だとばかり思っていたのだが、実際は釧路駅〜塘路駅は、釧網本線の一部なのだ!ぼくは摩周駅でノロッコ号のチケットをあらかじめ予約した。摩周駅→釧路駅のチケットを買った後で、釧路駅←→塘路駅の往復ノロッコ号チケットを購入してしまったが、これは非常に効率が悪い結果となった。この場合「釧路湿原を観光し、ノロッコ号に乗りたい」という夢を叶えるためには、まずは摩周駅から塘路駅まで乗り下車し、釧路湿原を散策し、その後でノロッコ号で塘路駅から釧路駅に行けばよかったのだ。そうすれば合理的だったし、ノロッコ号料金も片道分だけなので節約にもなっただろう。しかし、これは旅である。合理という次元から大きくかけ離れてみるのもよかろう。

 

 

ノロッコ号は独特な席の作りをしていた。座れば目の前に釧路湿原の景色が広がる、車窓に対した席もあるし、その反対側には尋常の電車の席のように、人々が対面式で座る空間も用意されている。

 

6月後半の暖かな陽気の中で、車窓の上の小窓が開け放たれており、さわやかな湿原の風が車内に広がる。車内ではガイドのおばちゃんによる釧路湿原の案内を聞くことができる。広大な湿原の真っただ中に、2話の丹頂の姿も認められた。例によって単焦点レンズなのでその姿を写真に収めることはできなかったが、その真白く麗しい姿は心の片隅で今も残っている。湿原の水面をカヌーで滑るように進む人々も眺められ、みんな楽しそうに電車に手をふり、またこちらも手をふり返す。朗らかなひと時が流れた。

 

 

・釧路湿原

塘路駅に到着した。しかしどこへ行こうか。グーグルマップで確認すると、湿原にはいくつかの展望台があるらしい。そのうちの一番近いサルボ展望台に行くことに決め、駅から歩き出した。歩いて20分もしないうちに、広大で美しい鏡のような湖が姿を現す。とても静かな無音の水面である。

 

 

ぼくはどうも、水というものは動いていないものが苦手だ。静かすぎると何を感じてよいやらわからなくなってしまう。海ならば寄せては返す往来の水の動きを確認できるし、川ならば上流から下流へと流れる躍動的な姿を見るのも心が揺さぶられて楽しい。まったく動かない水の姿を見ても、その水面に共鳴するように心は、無音の状態に入り込み、なにひとつ感じなくなってしまうのだ。あるいはこの無音の心の状態が、物事の悟りを得るのに必要な状態と言うのだろうか。琉球諸島の動く海の水に触れ、紀伊山脈の動く清流の水に親しんできたぼくは、自分が動かない水を苦手だなんてことをこれまでまったく知らなかった。自分自身のことなのに自分のことを知らなかった。それを教えてくれたのは釧路湿原である。

 

 

サルボ展望台は山の中腹のようば場所に位置し、軽いハイキングのように山道を登って行った。ようやくたどり着いたサルボ展望台からは、木々の枝や葉に妨げられて、あまり湿原の姿を見ることができなかった。おすすめできるとは言い難い展望台である。しかし、ここへ来ることを決めたから見られた美しい風景も数多い。ぼくは鏡のような無音の湖を見られたことに満足し、釧路の街へと帰って行った。

 

 

・レトロなレストラン

釧路の街は、新しい整然さにあふれていたが、それとはまた別の顔として、妙に懐かしいレトロな雰囲気が漂っていた。この街に存在するだけで、ノスタルジーを感じられる。

 

その中の、ものすごくレトロな風格のある洒落たレストランで夕食をとった。このように歴史を感じさせる店があるというのは素敵である。それだけでその街の好感度が高まっていく。

 

 

頼んだセットメニューはエビフライ、スパゲティ、ステーキと非常にボリュームミーな内容であり、しかもその皿が大きく、ものすごくお腹いっぱいになった。苦しいお腹を抱えながら幣舞橋まで向かうと、美しい色彩がぼくを待っていた。

 

 

・世界三大夕景の見える街を知っていますか

 

さて、巷では世界三大夕景が見られる場所が存在するのだと噂されるようだ。その世界三大夕景とは、インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラ、そしてこの日本の釧路の3つである。世界を股にかけて航海を続ける船乗りたちによって定義されたらしい。

 

 

ぼくはまったくそんなこと知らずに釧路へ来たが、なるほど見事に麗しくあでやかな夕暮れの色彩であった。しばし時を忘れ、地球というものがぼくに与えてくれている色彩をこの目で楽しんだ。美しい港町の風景が、より一層夢のような夕暮れの幻想を際立たせる。徐々に空は夜のとばりを下ろし始め、空の次は街自体が輝かしい光を帯びてくる。街中に鏡のような海の水面をたたえることにより、街の光がその鏡に映し出され光の支配する面積は広がり、街がより多くの光を放っているかのような錯覚に陥る。少し肌寒い北の港町を。あたたかな気持ちで歩くことができた。

 

夕焼けということで思い出したが、ぼくは中島みゆきの「空がある限り」という歌の歌詞のように、果たしてアゼルバイジャンの夕暮れは女満別の夕暮れと変わらないのかを確認するために、はるばるこの北の大地を訪れたのだった。もはや本来の目的を忘れるほどに充実した旅を送っていたわけだが、しかし女満別ではついに夕暮れを見ることはできなかった。しかし、ここはもはや釧路の夕暮れを代替としてよかろう。地理的にも近いのだから問題ないはずだ(と思いたい)。

 

 

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