中島みゆきの歌に「空がある限り」という歌がある。2015年発売の41枚目のオリジナルアルバム「組曲(Suite)」に収録されているアルバム曲であり、歌い出しは次のように印象的な一節で始まる。
アゼルバイジャンの夕暮れは
女満別の夕暮れと変わらない
歩いているうちにいつの間にか
紛れ込んで続いていきそうだ
アゼルバイジャンの夕暮れは女満別の夕暮れと変わらないのか確かめる旅
・中島みゆきと旅の密接な関係
・女満別空港に到着
・網走
・知床半島までのバスの旅
・暗く冷たいオホーツク海
・中島みゆきと旅の密接な関係
ぼくはアゼルバイジャンにも女満別にも行ったことがなかった。それなのにこの歌詞が胸の奥底に焼き付いて離れなかった。そしていつの日にか、アゼルバイジャンという国も女満別という場所も訪れて、本当に夕暮れの景色が変わらないのかこの目で確かめたいと思った。
この部分は“空はどこまでもひとつで続いており国境も境界線もない”ということを象徴するための歌詞であり、実際に中島みゆきがアゼルバイジャンにも行き、女満別をも訪れ、両方の夕暮れを見た上でこの歌詞を作成したかは定かではいし、それに関しては彼女の口から何も語られていない。北海道出身の彼女は、女満別くらいは行ったことのある可能性は高いだろうが、果たしてアゼルバイジャンはどうだろうか。
しかし、そんなことはこの際どうでもいいのだ。この素晴らしく完成度の高いアルバム「組曲(Suite)」の、おそらくそのアルバムの中の核として位置付けられているであろうこの「空がある限り」という曲が、ぼくの旅の炎を燃え盛ることを助け、大いに旅愁を駆り立てたことに大きな意味があるのだ。はっきり言って聞いていて旅に出たくなるような歌は、この世にそんなに多くはない。本当に旅に出たくなるような本だって珍しいし、そのような映画も少ない。聞いているだけで旅への思いが増幅され、この肉体を旅へと導く曲は、やはり人生において稀有な存在であり、そのような作品に巡り会えたことに心から感謝し、この身をおとなしく旅の炎に委ねるべきである。
ぼくの旅路や人生の線路は、これまでもそしてこれからも、中島みゆきの曲と極めて呼応しているのだ。
さて、アゼルバイジャンといえば中東に位置する国である。ぼくはやがて陸路でシルクロードをめぐる旅に出るつもりなので、その際に立ち寄ることは可能だろう。その際に、歌詞にある夕暮れを拝めるかもしれない。わざわざ今、アゼルバイジャンだけをめぐる旅に出るほどでもあるまい。
しかし、女満別はどうだろう。日本にいるうちに、しかも時間のあるうちに行っておかないと、なかなか訪れそうにない場所である。そもそもどこにあるのかあまりわからないし、ましてや何があるかもまったくわからない。グーグルマップで調べてみると、北海道の東の果ての方に「女満別空港」というのがあることだけはわかった。流氷などを見るために訪れる場所らしい。女満別空港があるというからには、ここらへんが女満別という地域であることに間違いはあるまい。
ぼくは別に何もしたくないのだ。ただ女満別の夕暮れが見たいのだ。その他のことは何も知らないし、実際に到着してから決めればよかろう。
そのような大ざっぱな気持ちで女満別空港へと出発した。ここから長い北海道旅行が始まる。
・女満別空港に到着
北海道のことなんて何も知らないで女満別空港に到着した。到着した瞬間、これまでいた日本の他の地域とは明らかに異なる空気を察知した。まずなんだかひんやりと冷たい。女満別を訪れたのは6月末であり、日本ではもう完全に夏に差し掛かろうとしている気候だったが、女満別は初春に戻ったような冬の名残のような肌寒さを感じる。iPhoneで見てみると、なんと気温が11度しかない。もう7月になろうとしているのに、いくら北海道が北の大地だからってそんなことがあるのだろうか…。ぼくは即座に、念のために持ってきていた長袖のセーターを着重ねた。
さて、この辺では知床半島というところが見どころのあるスポットらしい。ぼくは知床半島にあるウトロ温泉というところにあらかじめ宿を予約していたので、とりあえずウトロ温泉までの交通機関をさがした。女満別空港のインフォメーションで問うと、ウトロ温泉までは直行のバスで行くしか安く行ける方法がないという。そしてそのバスは、なんと1日に3本しか走っていないということだった…。
次のバスまで3時間くらいある…どうしよう…。その場で迷っていると、インフォメーションのおばちゃんが、網走で観光して時間を潰すのもいいかもしれないと提案してくれた。網走までならばバスの本数も多くすぐに行くことができる。そして、ウトロ温泉までの直行バスは網走も経由するので、網走からそのバスに乗り込めばいいということだった。
網走…ぼくの頭の中には「刑務所」と「過疎地」という言葉が浮かんでそして消えて行った。それ以外に浮かんでくる言葉がないほど、ぼくの人生には関わりのなかった地名である。けれど関わりのない場所ほど行き甲斐があるというものだ。何があるのかわからないような場所は、自分で発見する楽しさがあるので逆に面白い。ぼくはおばちゃんの提案を受け入れ、バスで網走に向かった。
・網走
女満別空港も寒かったので、もちろん網走も寒かった。「過疎」という言葉が頭に浮かんでいたが、その言葉通り、人もまばらで数少ない。商店街もほとんどの店が閉まっており、さみしい風が吹き抜けている。網走を訪れたら網走刑務所へ行くのが鉄板らしいが、今回はウトロ温泉までのトランスファーで少しの時間立ち寄っているだけなので、そのような時間もない。北方民族博物館が評判がよく、ぼくもアイヌ民族に非常に興味を抱いていたが、残念ながらその日は休館日だった。モヨロ貝塚館というところがグーグルマップでは開館中ということで長い時間をかけて歩いて訪れたが、そこもなぜか休館していた…。
なにもすることがない…。徒然なるままにコンビニに立ち寄ったり、数少ない開いているお土産やさんを回ったりして時間を潰した。ただ歩いているだけでも、通り抜ける風が冷たく、身体が芯から冷えてくるような思いがする。光の量も少なく薄暗い気候で、だんだんと気分まで落ち込みそうになる。
そのうちに、ぼくはなんでこんなところにいるのだろう…という根本的なことにまで疑問を抱きはじめ、ああそうか…中島みゆきの歌を聞いてここまで来たんだった…ははは…と心の中で力なく笑ったりしていた。
とりあえず女満別の夕暮れが見られそうな天候ではない。そのことは火を見るよりも明らかだった。
・知床半島までのバスの旅
落ち込んだ気分のままウトロ温泉行きのバスに乗り込んだ。外は小雨が降ってきて、暗い雰囲気に拍車がかかっている。雨というものは、知覚的にもそして視覚的にも、人に肌寒さを与えるものだ。寒く沈鬱した心持ちのまま、琉球諸島に降り注ぐ光のことを思い出していた。光の量というものは、おそらくその民族の性質や精神の作りにも大いに影響を与えるものだろう。同じ日本なのに、こんなにも光の量が異なることを不思議に思い、またそれによりまったく異なる人間の心が成り立つかもしれないことを感じた。しかし、人間は人間なのだ。人間であるという核が残存する限り、ぼくはその差異を感受し続けると同時に、人間すべてに満遍なく行き渡った普遍性、同一性についても同様にひたすら受容し続けなければならない、それこそが人間というものの正体を暴く手掛かりになるだろう。
なにもすることがないバスの中、ぼくはそのようなことをぼんやり感じていた。
・暗く冷たいオホーツク海
ウトロ温泉へと走り続けるバスの左の窓から、オホーツク海が姿を表した。
なんて暗く、冷たく、陰鬱な海だろうか。まるで心の奥底にまで沈んで、一生そこにとどまり続けるような、そのような深く暗い灰色を呈している。ぼくは今でも、あの海の姿をありありと思い出せる。あの海は、もうぼくの中に、住み着いてしまったのだ。海の向こうは小雨で霞んでなにも見えない。ただ果てしなく灰白の空間が寒さをたたえて、この精神を飲み込もうと大きく待ち構えているようだ。ぼくはあちらに引きずり込まれないように、引きずり込まれないようにと静かに祈っていた。
ぼくは寒さを厭っていた。暑さの中にならば、いくらでもこの肉体を放り投げられるのに、寒さからはなるべく退き、避けるようにして生き延びてきた。若人の精液の生産が滞ってしまうような生命の根源的なものへの妨げを、寒さの中に感じずにはいられない。寒さはぼくの中で、死の象徴なのだ。暑さで死ぬことはなくても、寒さは命を奪い得る。寒さはこの命の核へと、水面に氷が張るような速度で静かにしのび寄り、密やかに永遠へと昇華する形で、根底から命を砕き終わらせる、そのようなイメージを抱かせるのだ。
この世のものとも思えない激しい炎によって、燃え尽きながら終わる命に恐怖を感じることはない。この世のものとは思えない、果てしない静寂をまとった永遠の青い氷によって、時が止まるように命が終わるのが耐えられない。寒さとは、大気中の分子の停滞だ。分子の動きが次第に止まり、そしてやがて時の流れも止まる。時は永遠となり、そして一瞬と永遠はつながる。その白銀の冬の景色は極めて美しい。ぼくはそんな美しさがとても恐ろしいのだ。
あらゆる心を満たしていた琉球諸島の美しく碧い海も、その沈み込むような海に押し流され、今ではふたつの海が魂の中に共存している。そう、ぼくは日本の人間なのだ。琉球の人間にも、北の大地の人間にもなれない。日本という島に生まれた山の民族だ。どんなに長い年月を琉球諸島で暮らそうとも、碧い海に肉体を浸らせようとも、碧い王国の海の民族にはなれない。日本の人間である限り、琉球諸島の碧い海も、北の大地の白い海も、その境界線の上に立ち、両方を担いながら透明に生きなければならないのだということを、不思議に感じながらバスは走った。
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