北海道摩周の旅!神秘的な神の子池と摩周湖の「島になったおばあさん」

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突然ですが日本昔ばなしをはじめます。昔むかしあるところに…

北海道摩周の旅!神秘的な神の子池と摩周湖の「島になったおばあさん」

・島になったおばあさん
・釧網本線に乗って
・摩周駅
・摩周湖
・神の子池

・島になったおばあさん

昔むかし、北海道ではアイヌの人々はコタンという集落を作って暮らしておりました。ある年のこと、獲物不足がもとで、コタン同士の戦さが始まりました。コタンの酋長のエカシはその戦さで命を落としてしまいます。残された小さな息子のトンクルとそのおばあさんは、敵から逃れるために森深く進みます。エカシの血縁であるふたりは、敵に見つかればたちまちに殺されてしまうでしょう。おばあさんはトンクルを守るため、必死に敵から逃げます。しかし、父親が殺されたと悟ったトンクルは、敵を打つと言っておばあさんが止めるのも聞かずに敵のもとへ戻って行ってしまいます。ひとりぽっちになったおばあさんは、必死にトンクルをさがし回りますが一向に見つかりません。身も心もボロボロになってしまったおばあさんは、ある湖へとたどり着きます。そこで、山の神カムイヌプリに出会いました。

「オラの孫を知らないですか」「知らぬ。しかしなぜそのように疲れた様子をしているのだ」

おばあさんはその一部始終を聞かせました。カムイヌプリは気の毒に思い、目に涙をいっぱいに浮かべながらおばあさんに尋ねます。

「おばばよ、なぜ人間はそのように憎み合い殺し合うのか、お前はわかるか」「わかりません」

「そこは寒い、手の中で休んでいくがいい」「おおもったいないことで、ありがとうございます」

カムイヌプリの手の中はあたたかく、安らかな気持ちになりました。そして、つくづく争い合う人の世が嫌になりました。

「…わたしは、島になりたい。そしていつまでもこの湖においてください。ここでわたしはトンクルを待ちます」

カムイヌプリはおばあさんの願いを聞き入れ、おばあさんは島になりました。この湖に人が来ると、トンクルが来たと思っておばあさんが泣くように、湖には雨が降り、雪が降るという。

 

ぼくはインターネット上でこの日本昔ばなしを見て以来、ずっとこのアイヌの話が大好きだった。繰り返し見た。おばあさんが岩になるという、その発想が面白いのだ。現代の感覚で、人が岩などになろうか。しかし日本昔ばなしには、いくつかそのような話が散見される。

福島県の民話「姥清水」では、運悪く御山参りで命を落としてしまった子供をあきらめきれずに散々さがし求めた母親が、「オラの息子ばっかを神隠しにして、他の子供さ里に戻し、オラの息子とってまうなんざ、神や仏のすることじゃなかんべー!」と山の神さまを恨みながら御山の頂上までたどり着く。息子はやまびこの神様として生きていることをそこで知り、母親は大声で泣いた。あまりに大声で泣いた母親は、石となり、涙は小さな池となった。ここでは人間が石に変化している。また「山の背くらべ」と言って山が命を持ちお互いに話したり動いたりして、背比べをするという話もある。

これらの昔話から推量できるのは、昔の人々の意識の中では、無機物と有機物の間にある境界線が現代よりも曖昧だったのではないかということだ。人間という有機体は、という無機物にもなるし、という物体にもなる。という意思を持たないものも、さながら人間のように行動することができるのだ。人間というものを、その他大勢から切り離さずに、大自然の中のその他と変わらない一部として、謙虚に生きている精神の様子が伺える。自らの心が傲慢になりそうなときに、叱るように教え諭してくれるような感覚になる。

このアイヌの「島になったおばあさん」の話をぼくは愛し、時々見返し、しかしその湖がどこにあるのか、なんという名前の湖なのかはまったく記憶しないでいた。どこにあろうと、どんな名だろうと関係ないのだ。その話から伝わってくるメッセージにだけ、ぼくは心を傾けてしまっていた。

 

 

・釧網本線に乗って

釧路を訪れるために、斜里駅から日本の東の果ての釧網本線に乗り込んだ。山梨で経験した、小海線のような穏やかで素敵な鉄道の旅を期待したが、ここはかなり有名で観光化されているらしく、退職後のツアー客のような人々であふれ、人口密度が高く、空席もほとんどなく窓際の席を取るのも困難だった。小雨も降り窓からの景色も霞んでいる。

ふと、釧路までの鉄道沿いの町はどうなっているのだろうと興味がわいた。宿に関する記事のように、じゃらんで宿をさがしていると、摩周という駅の近くに手頃な温泉宿がある。そこで一泊することに決めて宿を入れた。どのようなところであるかは、まったくわからない。

 

・摩周駅

摩周駅に到着した。依然として雨が降り続いている。地図を見ると、摩周湖という場所が有名な観光スポットのようだ。摩周湖は標高の高いところにあるのでほぼ霧に覆われており、写真で見られるような美しい真っ青な姿を見られるのは稀だという。今日は雨が降っているのでなおさらその姿を見ることは難しいだろう。摩周湖には、インターネット上で「ライブカメラ」という便利な機能が提供されており、1分ごとにいま現在の摩周湖の姿をオンラインで確認することができる。これを見ながら、霧が晴れ渡りそうな頃合いを見計らって摩周湖を訪れると、あるいはその姿を見られる確率は格段に上昇するかもしれない。

早速インターネット上で確認すると、真っ白な霧が摩周湖を覆っている。それでもここまで来たのだから行ってみよう。ぼくはレンタカーを借りて町を出発した。

ふと見ると、地図上で「神の子池」が近いこともわかった。北海道の奥地にある、この世のものとは思えないほど濃厚に青く澄んだ神の子池の姿は、その写真を見た者の記憶から離れない力を持っており、ぼくもその姿をよく覚えていた。ここはぜひ行きたい!と、摩周湖からの神の子池を訪れるというプランに決まった。

 

 

・摩周湖

摩周湖はかなり標高の高いところにあり、急峻で曲がりくねった上り坂をレンタカーは走った。霧雨も降り、道が悪い。それにしてもこのレンタカーのエンジンはまったくパワーがない。アクセルを全開にしても、時速30km以下のスピードで坂道を上っていく。後ろにつかえている車には申し訳がないが、一車線なのでどうすることもできない。いつかまったく上れなくなるんじゃないかというほどの馬力のないレンタカーを駆使して、なんとか摩周湖へとたどり着いた。

なるほど、何も見えない。分かり切っていたことである。白く、白く、ただ白い。白以外何もない。ただ、お土産屋さんがあるのみである。仕方なくお土産屋さんを見て回ると、沖縄と同じく、北海道の土産物の種類の多さに感心する。しかも、おいしそうなものばかりである。ぼくがせっせとお土産選びに精を出していると、「摩周湖が見えるぞ!」という誰かの叫び声が!まさか!と思い外へ飛び出すと、本当にほんのうっすら、摩周湖の岸が弧を描いているのが見える。しかしこの様子は“見えた”と表現よりも、“見えない”という言葉の方が似つかわしいことこの上ない。見えたような見えなかったような思い出を残し、摩周湖を去ろうとすると、摩周湖のパンフレットに掲載された晴れた日の摩周湖の写真に目が止まる。そこには、ひとつの小さくてささやかな島が映っていた!

まさか!とピンときたぼくは、すぐさまインターネットで検索すると「島になったおばあさん」の湖は摩周湖という名前だった!

ぼくは感動に打ちひしがれ、なるほどこれがあのおばあさんの島のある湖か。それならば霧で姿が見えないのも仕方あるまい。おばあさんは湖に人が訪れると、孫のトンクルがやって来たと思って嬉しくて泣くように、湖には雨が降るのだ。なるほどこの雨は、おばあさんの涙…と、ひとり感慨にふけっていた。

 

・神の子池

摩周湖を去り、神の子池を目指した。あの写真で見た神秘的な湖を実際に見られるなんて夢のようだ。ぼくは雨の日でも神の子池は美しい青色をたたえていることを願った。

神の子池までの道のりは、摩周湖から遠かった。摩周湖からは地理的には近いのだが、まさに摩周湖があるせいで、車は遠回りを余儀なくされてしまうのだ。神の子池へと続く山道の入り口まで来た。神の子池のすぐそばの駐車場までは、車で行くことができる。ぼくは整備されていない山道を、ぐらぐらと揺れながら、なんとか神の子池までたどり着いた。

そして、雨の日でも、疑いなく、神の子池は美しく青かった…!!!

 

 

帰り道、キタキツネに出会った。人生で初めてキタキツネに巡り合った瞬間である。キタキツネは雨でぐっしょり濡れている。かわいい。風邪をひかないでね。

 

 

その次には再度エゾシカに出会った。車道めがけて勢いよく親子で飛び出して来たのだ!そして車に驚愕し、すぐさま逃げ出したのだが、はっきり言って驚きたいのはこっちである。

神の子池は、摩周湖からの地下水が湧き出てつくられているそうだ。ということは、おばあさんの涙が雨となり、摩周湖の水となり、神の子池の清らかな姿に変化しているのかもしれない。万物はこのように、連綿とつながって行くのだ。関わり合わないものなんて、この世にありはしない。

ぼくは今日、2度おばあさんに出会っていたのだった。

 

 

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