ぼくは高野山が大好きだ。
新たなる旅立ち:高野山が導く四国霊場八十八ヶ所・遍路巡礼への旅
・幼き日の高野山の散々な思い出
・霊験あらたかな高野山「奥の院」の風景
・高野山は唯一無二の天空の仏教都市
・ぼくたちが「好き」なものたちはぼくたちをどこへ運ぶのだろう
目次
・幼き日の高野山の散々な思い出
ぼくはこれまでに世界各地を旅して来たが、世界で一番素晴らしい場所はどこかと問われたならば、日本の高野山だと答えるだろう。
ぼくは神聖な高野山の麓の町に生まれ育った。だから故郷のえこひいきで高野山が世界で一番素晴らしいと主張するのかというとそうでもないように自分では思う。故郷に近いとかそういう低いレベルではなく、ただ純粋に心から高野山が好きだと語っているのだ。
高野山に近い町で生まれ育ったと言っても、小さい頃から特にたくさん高野山に行ったわけでもないし、多くの素晴らしい思い出があったわけじゃないし、逆に小さい頃のぼくは高野山=怖い場所というイメージだった。幼い頃ぼくはお父さんに連れられて雪の高野山へ登り、散々な目に遭ったからだ。
高野山は標高が高いので麓と比べ物にならないくらいたくさんの雪が積もっている。小さかったぼくはお父さんと大量に雪の積もった高野山で登山し、雪が積もって目の前が見えないわ、長靴に雪水が染みて来て死ぬほど冷たいわ、雪で歩きにくくて疲れのあまり道で伏したりしているのにお父さんは気付かずどんどん先へ進んでいくから置き去りにされそうになるわ、とにかく怖い思い出がいっぱいなのだ。
その次の雪の高野山登山でも、あんまり雪は積もっていないだろうと予想して行ったらアホみたいに積もっていて、小さかったぼくのお腹のあたりまで雪が迫ってきて、それでもお父さんが前に進んで行こうとするので「お父さん〜もう死ぬ〜無理〜!!!!!」と行って登山をやめてもらった思い出がある。幼いぼくは、あの時本気で雪で死ぬと心の底から感じていたのだ。
・霊験あらたかな高野山「奥の院」の風景
そんな死の恐怖の思い出の多い高野山であるが、大きくなってから高野山を訪れるたびに、その唯一無二のとてつもない存在感と雰囲気に気づき始めた。
最初にそのとてつもなさに気づいたのは、おじいちゃんが亡くなってお骨を高野山に納めに行った時のことだった。高野山の麓の町では、人が亡くなった時に孫たちが高野山に登ってお骨を納めるという風習があるのだ。お骨を納める場所は、今も空海(弘法大師)が生きていると信じられている「奥の院」という高野山でも最も重要な寺院だ。
この「奥の院」に至るまでには、たくさんの古代のお墓と霊性を帯びた木々たちが立ち並び、高野山の冷たい空気と清らかな水が合間って独特の空気を作り出していた。ぼくはこの奥の院までの独特な道の空気に感化され、高野山の魅力にのめり込んでいったような気がする。
・高野山は唯一無二の天空の仏教都市
高野山は、天空の仏教都市だ。周囲を霊験あらたかな紀伊山脈に囲まれた標高800メートルの平野に、突如として仏教の風の気配をひとところもかき消すことのない統一的な雰囲気を帯びた街並みが、まるで蜃気楼のように出現する。それはまるで夢の中にいるかのようでもあり、冷たく肌をさす神聖な空気が夢見心地をさらに助長させる。
ぼくが高野山を好きな理由には、紀伊山脈の真ん中の平野に位置し他の俗世の穢れの流入を受けないがために、仏教の統一的な雰囲気が常に残され続けているという点にある。ぼくたちが高野山を訪れれば、その古くから受け継がれて来た伝統的な仏教の世界観から、ひと時たりとも心が抜け出すことなしに、そのまま仏教的な世界観に浸りきることができる。ぼくたちに仏教の不思議な天空都市を彷徨っているのだという夢のような心地を、いつまでも持続させてくれるのだ。
例えば他の都市の古いお寺などはどうだろうか。お寺にいるときだけは仏教的な世界観に浸ることも可能だが、ひとたび寺から外へと出てしまえば、そこには車やビルや多くの人間などの俗世の匂いが漂い、それらにかき消されて先ほどまでの仏教的な神聖な心地が台無しになってしまう。しかしこれが現代の日本の現実であり、いたるところに人間、金、商売、物質、工業、ビルなどの俗世の穢れがあふれ、ぼくたちに神聖な世界に精神を漂わせたいという願いを叶えてはくれない。しかし日本で唯一、高野山でだけはそれが可能だとぼくは思うのだ。
そのように感じていたのはどうやらぼくだけではなかったらしい。作家の司馬遼太郎も、彼が障害で最も愛した自らの著作「空海の風景」の中でこのように語っている。
”まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。”
・ぼくたちが「好き」なものたちはぼくたちをどこへ運ぶのだろう
このようにクドクドと高野山の魅力について語ってきたが、はっきり言って人が”好き”なことに理由なんてない。ぼくが高野山を好きな理由も、頑張って溢れ出る自分の気持ちを整理して論理的に語れば上記のようになるのかもしれないが、それでも言葉というものでは完璧に表すことのできないものが、ぼくたちの”好き”という野生的直感なのではないだろうか。
どうして高野山が好きなのかわからない。どうして奥の院が好きなのかわからない。どうして旅が好きなのかわからない。どうして青色が好きなのかわからない。どうして桃が好きなのかわからない。どうしてあの人が好きなのかわからない。言葉で後付しても野暮にしかならない。好きだという直感しか残らない。人生で好きだと苦しく悲しいのに、そのような損得や合理性すら超越して、ぼくたちは神聖に何かを好きになる。真実を語りながら本物を好きになる。
理由もわからないものたち。意味のわからないものたち。損にしかならないものたち。合理的ではないものたち。不条理なものたち。
ぼくたちが「好き」なものたちは、ぼくたちをどこへと運ぶのだろうか。ぼくたちが「好き」なものたちは、ぼくたちを幸福へと導くとは限らない。その先には苦しみがあった。その先には嘆きがあった。その先には孤独があった。その先には絶望があった。その先には怒りがあった。そして、その先には新たなる旅立ちがあった。
ぼくたちが「好き」なものたちは、ぼくたちを幸福へと導くとは限らない。それでもなお、ぼくたちがそれを「好き」なままでいるのはなぜだろう。
・四国霊場八十八ヶ所遍路巡礼への旅立ち
四国遍路を回り終われば、人々は最後に高野山を訪れるという。弘法大師の生まれた四国の地。その”高野山の根源”に立ち帰れば、一体そこでは何がぼくを待っているのだろうか。ぼくの魂は四国へと旅立ち、もうひとつの魂と共に四国を一周する。
ぼくたちが「好き」なものたちは、ぼくたちをどこへ運ぶのだろう。理由もわからないぼくたちの「好き」の、意味はその国に眠っているのかもしれない。