2階だけで満足していたけれど、3階はレベルが違った…。
豪華絢爛がすぎる!ウィーンのカフェ・ゲルストナーの3階がまるで美しい王宮みたいで圧倒された
・ゲルストナー(Gerstner)の再訪
・ゲルストナー(Gerstner)の3階
・ゲルストナー(Gerstner)の素敵な時間
・ゲルストナー(Gerstner)のケーキと紅茶
・ゲルストナー(Gerstner)で人生論を読む
・ゲルストナー(Gerstner)の3階写真集
・ゲルストナー(Gerstner)の店員さん
目次
・ゲルストナー(Gerstner)の再訪
先日カフェ・ゲルストナーを訪れた記事を書いた。訪れたのは夜だったので3階(現地ウィーンでは2階)のカフェは既に閉まっていた。3階のカフェは17時半までらしい。3階のカフェがなにやらものすごいからできれば行くべきという意見がインターネット上で散見されたが、2階のカフェもなかなか豪華で可愛くてお洒落だったし、ケーキも美味しかったし、店員さんも愛想がよかったしで、十分に満足していた。
しかしぼくはウィーンに4泊の滞在の予定で、時間に余裕もあった。ウィーンのカフェ文化の素敵さに気づいてしまい、できれば毎日カフェに通いたいという思いを抱いている。せっかくならばその間にゲルストナーの3階もぜひぜひ見てみたい!今度いつウィーンに来るかわからないし!ということでこの日再度ゲルストナーを訪れてみることにした。
・ゲルストナー(Gerstner)の3階
ゲルストナーの3階へは、優美な階段を上って2階のカフェへ行きそこからさらに階段を使って行くこともできるし、1階から直接エレベーターで行くこともできる。エレベーターで3階へ行きたい時は、ウィーンでは2階のボタンを押さなければならない(日本の1階がウィーンでは0階と数えられるので、日本の2階はウィーンで1階、日本の3階はウィーンで2階となる)。
エレベーターで3階へたどり着くと、その時点で何やらただならぬ気配が漂っている。この先になにかものすごい空間が待っているような期待感と何があるかわからない不安を心に抱きながら廊下を進んで行くと、不意に「宮殿」かと見間違えるような豪華絢爛な部屋が出現する!これがゲルストナーの3階のカフェである。
・ゲルストナー(Gerstner)の素敵な時間
まるで宮殿のような部屋の中で、目の前のピアノの鍵盤が人もいないのに自動的に動き自由自在に華やかな曲を演奏して、美しい音楽がカフェの中に満ちている。古きよき王国時代の雰囲気を醸し出しつつハイテクさも兼ね備えているのだ。
まったく並ぶこともなく案内されて中へ入る。このカフェは大まかに3つの部屋にわかれているようだ。どの部屋にもピアノが設置されていたり油絵が飾ってあったりして上品で上質な空間が演出されている。窓からはウィーンの美しく壮大なオペラ座がそびえ立っているのが見える。この景色が見えるだけでもウィーンにいる気分をより一層盛り上げてくれるというものだ。
そんな気分の中、ウィーンの豪華絢爛なカフェに座っているのだからもはやウィーンでものすごく高級な行動をとっているように思われるのだが、ここでケーキと紅茶を頼んでも1000円ちょっとで済むといいうのだから驚きである。やはりカフェの本場ウィーン、本気でカフェ文化に浸ろうとしてもかなりお手頃なのが嬉しい!ゲルストナーのメニューはこんな感じだった。
今回はゲルストナーのケーキの代表「ゲルストナー ・タルト」を頼んだ。前回の2階ではお金がもったいないので飲み物を頼まなかったが、こんなに豪華で美しい空間を提供してくれているのに飲み物も頼まないのは悪い気がしてアールグレイの紅茶も頼んだ。
こんなに素敵なカフェなのにまったく混んでいる様子がなく心からのんびりゆったりできるのは最高だ。きっとウィーンにはカフェがいたるところに点在しているから、人々も分散しひとところにかたまるということがないのだろう。
混んでいないというのは意外と重要だ。カフェの前でものすごい行列でもできていようものなら、何だか早いところ食べて早いところ出ていかなければならないような気分にさせられて焦るが、そんな心配はウィーンのカフェでは無用である。逆にウィーンのカフェではケーキを食べ終わっても、紅茶を飲みながらゆったりと読書でもして過ごすくらいの心意気がとても似合う豊かな空間である。何の目的もなくただのんびりと過ごすための時間と、余裕のある美しい空間と、おいしいケーキと紅茶を提供してくれるのがウィーンのカフェの素敵なところだ。
・ゲルストナー(Gerstner)のケーキと紅茶
「ゲルストナー ・タルト」はチョコレートケーキでやはりこれも前回と同様口の中でとろけるような味わいで非常に美味しかった!ウィーンのケーキってもしかして全部が全部美味しいのではないかとぼくは疑い始めていた。
そして紅茶は爽やかな青色で統一された茶器で運ばれて来てとても楽しい気分になった。やっぱり紅茶を頼んでよかったと感じた。紅茶を頼むということは、ただ単に紅茶を飲むというだけではなく、そのカフェで用いられている素晴らしい陶器や茶器を鑑賞するという意味合いも含まれているのだ。カフェの素敵な茶器を参考にして、自分の家でどのような茶器を用意しようかなどと考えるのも楽しい。そんなもの別に必要ないと言われればそうだが、必要ないものにこだわっていることこそ生活における粋というものではあるまいか。
・ゲルストナー(Gerstner)で人生論を読む
ぼくはこの日、オペラ座で立ち見の当日券を買いオペラを鑑賞する計画を立てていた。前回のウィーン訪問時はオペラ座に行き損なったので、もしチケットを手に入れられて入場することができればウィーンで初のオペラ鑑賞だ。ゲルストナーを訪れた理由はオペラ座に近いからということもあったのだ。立ち見の当日券を買うためには開場80分前までにはならんでおかなければならないらしい。かなり長時間並ぶ上にオペラも立ち見となれば肉体が疲労困憊すること必至である。ぼくにはオペラ座で立ち見ができた場合に備えて、カフェでゆっくりして体力を温存させるという目的もあったのだ。
ウィーンのカフェでゆっくりするために鞄の中に本を携えてきた。シベリア鉄道でずっと読んでいたが未だ最後まで読みきっていないトルストイの「人生論」だ。なんだかお洒落で豪華なウィーンのカフェにしては割と重いテーマのような気もするが、これを読み切りたいという思いが強いのだから仕方がない。
ぼくがこの本を通して読むのは2回目だ。前回読んだのはおそらく5年ほど前。前回読んで一番気に入った箇所に、この日カフェ・ゲルストナーで巡り会いとても感動した。最も好きな本の箇所を、こんな素敵な街の素敵なカフェで読むことができるなんて、類まれなる幸福を感じたのだ。前に読んで最も好きだった箇所は、やっぱり2回目読んでも最も感動する場面だった。
トルストイの「人生論」は人間の生命と死に対する深い洞察に満ちている。死をおそれる人間の心というものがいかに滑稽でおかしなものかを解説しつつ次第に話は核心へと迫っていく。人間の存在とはいったいなにか。時間や空間を超越して自分自身をひとつの存在に統一している核となるものは、自分がなにを好みなにを好まないかという、生まれる前から決められた自分の世界に関係する態度や性質に帰着するのではないかというのだ。
ぼくは自分自身の核の中に眠る見えない炎の存在を思い起こさずにはいられなかった。そして5年前のぼくも、同じように感じていたに違いない。ぼくは5年前自分自身で書きなぐった“Passion”の走り書きを眺めていた。
・ゲルストナー(Gerstner)の3階写真集
・ゲルストナー(Gerstner)の店員さん
今日のゲルストナーは女性の店員さんも素敵だった。細かく気を遣ってくれたり、ぼくのカメラを見てとてもいいと話しかけてくれたりと、ささやかな会話だがそれがとても思い出に残った。きっと大げさであからさまな関わりよりも、そのようなさりげないやりとりの方が嬉しく心の琴線に触れるのだろう。そしてまたさらに通いたくなるような、魔法をかけられた気分になるカフェだった。