人生初の能鑑賞!神楽坂を超えたところに

 

さて、前回の記事で能について散々書いてきたぼくだが、いざ実演を見るというと一抹の不安もあった。能に関する本を少し読んだくらいで、いきなり能を見て果たして理解できるのだろうか。そんな時にふと、新聞のテレビ欄が目に止まった。なんとNHKで今夜能をやるというではないか。ぼくは能の予習を込めて、この番組を見ることにした。

なるほど面白い。この時テレビで放送した能の題材は、三蔵法師がシルクロードをはるばる渡り、天竺にお経を取りに行く際の物語のようだ。能は日本の伝統芸能ではあるが、その題材としては異国の偉人のことにまで及んでいるのかと、その懐の深さに感心しきりであった。

しかも、テレビで見ると非常にわかりやすい。横に字幕がついており、演者がなんと言っているのか一目でわかるからだ。声で聞くだけならば意味のわからない単語たちも、横の字幕の漢字を見ればなんとなく意味を汲み取ることができる。能とはやはり面白いものだと再確認したと同時に、実際に能を見に言った時には字幕なんてないのにどうすれば…と、不安まますます募った。字幕がなければ理解できる自信は露ほどもなかった。心配な気持ちと楽しみな気持ちを半分ずつ抱えながら、能を見るために神楽坂に向かった。

人生初の能鑑賞!神楽坂を超えたところに

・神楽坂
・あぶな坂
・りょくん
・能で寝た話
・深夜の神楽坂散歩

・神楽坂

「坂」とはすなわち「境(さかい)」のことであり、この世とあの世の境界線であるとされた。ゆえに、坂には異界の者が集まりやすい。そのような言葉を「境界の発生 」という本で読み、あまりに印象深く忘れることができずにいる。

ぼくは「神楽坂」という地名が好きだ。一本の大きな坂の存在には、心動かされるものがある。それはやはり、境界の存在を感じると同時に、「神楽」という言葉の発する神話的な響き、古代へと繋がっていきそうな感覚に、自然と心ひかれるからである。

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・あぶな坂

神楽坂へ来ると、いつも聞いてしまう歌がある。中島みゆきのあぶな坂という歌である。

これは中島みゆきの1stアルバムの第1曲目であり、中島みゆきの歴史を語る上では欠かせない存在感を放っている。中島みゆきはこの曲から始まったと言っても過言ではないのだ。この歌の中でも、やはり「坂」は、独特の境界線的な世界観を持って胸に迫ってくる。

“あぶな坂を超えたところに あたしは住んでいる
坂を超えてくる人たちは みんな怪我をしてくる
橋を壊したおまえのせいと 口を揃えてなじるけど

遠い故郷で傷ついた言い訳に 坂を超えてくるのがここからは見える”

この歌の中では、あぶな坂を超えたところに喪服を着た女が住んでいるという。
あぶな坂はいつも誰かの痛みで赤く染まっているという坂であり、その女は男が坂を超えてくるたびに、花束を抱えて迎えに行くという。真っ赤に染められた血を予感させる坂の色彩と、女の死を予感させる真っ黒な喪服の色彩の、コントラストが怪しく鮮烈にこの目に焼きつきそうな、あまりにも視覚的な歌詞である。

 

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この歌は中島みゆきの1976年の1stアルバム私の声が聞こえますかの1曲目に収録されている。歌手人生の最初の最初が、このように暗示的で怪しい歌の人がいるのだろうか。それでいてどこか女性の誰もが持つ精神的包容力をも匂わせるから不思議だ。現代音楽というよりはむしろ、古代の呪文を聞いているような気分にさせてくる。それはそう、歌がまだ神事や祈りと明らかに結びついていた時代と…。

そしてこの歌は、自分の昔の歌をカバーするという2004年のいまのきもちというアルバムで、アレンジを変えて再収録されている。アレンジを変えて再収録するほど、彼女自身にも思い入れのある曲だったということだろうか。

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・りょくん

さて、歌の中ではあぶな坂を超えたところには喪服の女が待っていたが、神楽坂を超えたところに待っているのは、友人のりょくんである。りょくんは精神的な疾患を抱えており、最近8階から飛び降り自殺を試みたが奇跡的に助かり、今は治療しながら普通の生活を営んでいるぼくの友人である。

りょくんが東京で飛び降り自殺を試み、意識不明の重体で病院に運ばれ、頭蓋内出血で外科的手術を施され、奇跡的な回復力で意識も正常に戻った後で、東京からの沖縄へ、その顛末に関するラインをもらった時の衝撃は忘れられない。

ぼくはそれ以来、りょくんと会うととても不思議な気持ちになる。もしかしたら、死んでいたかもしれないのだ。いやその可能性の方が高かっただろう。りょくんが生きていることが不思議であり、生きていることがとても尊いことなのだ。生きている不思議、死んでいく不思議。そんなあまりに当たり前すぎて気づかない光を、りょくんは与えてくれる。そんなりょくんと能を見るために、矢楽能楽堂へ向かった。

 

 

・能で寝た話

この日の能の定例会の演題は2つあった。「淡路」「蝉丸」という題である。言葉がわからなかったときのためにせめて内容だけでも把握しておいた方がいいだろうと思い、事前に各演目について内容を予習しておいた。これでできる限りの準備はできたはずだ。

 

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小雨の中、矢楽能楽堂へたどり着いた。客層はやはりご高齢の方が多いようだが、意外と後方の席などには大学生くらいの年齢層も見受けられる。客席は舞台に近い場所は椅子だが、ぼくの座った席は畳の座敷になっており、心安らげる空間になっている。

能が始まった。衣装や楽器の演奏だけでも初めて見るようなものばかりで心を奪われた。しかしやはり、言葉が古い言葉らしくなかなか聞き取れない。何を言っているのか、半分も聞き取ることが困難である。ふと周りのご高齢の方々の様子を眺めると、みんな何か同じ教科書(?)のようなものを見ながら能を鑑賞している。おそらく台詞集のようなものだろう。みんな同じものを持っているところを見ると、この能楽堂の会員にのみ手渡されるものであろうか。それともどこかに売られているのだろうか。何れにしても、能を鑑賞するためにはやはりそのような台本がなければ、言葉を理解しにくいということは確かなようである。当然ながら、テレビのような字幕もないのだ。

それにしても台詞のスピードが面白い。非常にゆっくりなのだ。このスローテンポの台詞だけで、何か時の流れが現代とかけ離れていくような、時空が乱れていくような感覚に襲われる。能は順行の時空と逆行の時空が入り混じる異界を舞台にしていることは前の記事でも述べたが、そのような設定がなくても、言葉の速度の力だけで、十分に時間の浮遊感を感じられ興味深い。

しかしこのスローテンポの、意味がわからない古えの言葉たちの影響か、もしくは座席の心地よさか、はたまた前日の寝不足が原因なのか、ぼくは鑑賞中何度も眠りに落ちてしまった。それは心地よい眠りだった。りょくんはずっと起きていたので、ぼくは何度か起こしてもらった。あんなに能を見たがっていたぼくが何度も眠りに落ち、大して興味のなさそうなりょくんがずっと起きていたという事実を、りょくんは笑いながら不思議がっていた。そして、今度能を見るときには、みんなが持っていた台本を携えてこようと心に誓った。

 

・深夜の神楽坂散歩

その日の夜はりょくんの家に泊まらせてもらった。夜の0時になり、夜の神楽坂はきっと神秘的だろうと思い、りょくんとの深夜の神楽坂散歩を思い立った。それこそが異界のような景色だろうと予想したのだ。そして、その予想は当たっていた。

 

昼は多くの人で賑わっている神楽坂も、深夜になると誰ひとり見えない。同じ場所でも時間が違うとこうも景色が違うのだ。時間とは、魔法のようなものだと思った。

 

 

夜の誰もいない赤城神社をふたりで歩いた。また生きて会えるだろうか。そんな当たり前のことさえ、りょくんとはわからない。そしてそのことが尊いことだと思った。

生きている不思議、死んでゆく不思議。それを肌で感じられることは稀有である。

 

 

 

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