中尊寺金色堂、遠野、盛岡!世界遺産で民話でレトロな岩手県の旅

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宮城県の旅を一旦終えて、バスで北上し、岩手県を目指した。岩手県で訪れたい場所は主に3つある。それは、世界遺産の平泉民話のふるさと遠野、そして県庁所在地の盛岡である。

世界遺産で民話でレトロな岩手県の旅

・これが本物の金閣寺!中尊寺金色堂
・民俗学的な風に抱かれて、遠野
・“MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった”

・これが本物の金閣寺!中尊寺金色堂

さて、平泉というところが岩手県の世界遺産のようだ。東北地方にある世界遺産は「白神山地」「平泉」のふたつである。そのうちのひとつというからには、行かないわけにはいかない。しかもちょうど通り道だし。

しかし、平泉…知らない…。写真や雑誌で見たこともないし、どのようなところなのかも見当がつかない。ここへと立ち寄ろうと決めた理由はただひとつ「世界遺産だったから」それだけである。それ以上でもそれ以下でもない。あんまり知らないし、有名じゃなさそうだし、そんなにすごくないんじゃないの?と思いながら、仙台から平泉行きの直行バスに乗り込んだ。

バスの中で平泉に関する情報を読んでいると、何やらすごいことがいっぱい書いてある。「平泉は、11世紀後半には、国内第2位の大都市だった。産金による富を背景に、京をもしのぐ豪華絢爛な寺院が建てられた」とか「マルコポーロが東方見聞録で、平泉を黄金に輝く都市、ジパングとして世界に紹介した」などなど。え、まじ?そんなすごいとこだったの???国内第2位の大都市って、岩手県が国内の大都市だった時代があったなんて…と、だんだん自分の無知と浅はかさが明らかになってきたところで、平泉に到着した。

 

中尊寺へと続く山道から入っていくと、食事も取りにくそうだったので、中尊寺入口近くの駐車場にある食堂で昼食にした。岩手県には三大麺というのがあるらしい。それは、わんこそば、じゃじゃ麺、盛岡冷麺の3つだという。その中のひとつ、盛岡冷麺を早速注文してみた。これがものすごく美味しくて、今でも書きながらもう一度食べたいと願うほどである。7月の夏の暑さにこの冷麺という時点で心をがっちり掴んで離さないが、この麺も非常に歯ごたえがあって弾力を持っているのでぼくの好みである。味はややピリ辛の、韓国朝鮮的な味付けだろうか。その中に、洋梨のコンポートのようなものが入っているのがたまらなく美味しかった。ピリ辛の中の、甘い砂糖漬けの果実。このコラボレーションには脱帽である。

 

 

北海道に続き東北も食べ物が美味しいんだなーと思いながら(もしかしたら日本全国美味しいのかもしれない…)、世界遺産中尊寺へ続くやや険しい上り坂をえっちらおっちら上っていった。寺までの参道は、山道のようではあるが、紀伊山脈のように深々とした大自然の霊気が感じられるほどではない。どちらかというと俗世寄りの雰囲気だろうか。人々が多くあり、観光地のムードが漂っていることも、ぼくがそう感じた理由かもしれない。やっぱりあんまり大したことなさそうかなーと、この時点では思っていた。

 

 

中尊寺までの道には、たくさんの神社やお寺がある。ひとつひとつ覗いて軽く中を見ていくのも楽しい。東北の神様は、その他の日本の神様と同じなのだろうか。それとも東北ならではの土着信仰や民話と結びついたりしているのだろうか。ぼくは後者の方を期待し、またそのようにぼくに期待させる力を、東北という地域は持っている。

 

 

東京の神楽坂で見た能の舞台を、なんとここでも見ることができた。能の舞台が屋外にあるなんて、文化的な香りが伺える。外で能を見るという体験も非常に趣深そうだ。

 

 

いろいろと見て回った後で、ついに「中尊寺 金色堂」へ入場した。料金は800円!高い!けれどここまで来たのだから仕方がない。払う。入る。見る。

言葉を失うほどの感動!なんだこれは!あまりに美しい“金閣寺”が目の前にそびえ立っていた。しかも金なのは外見だけではない。壁も、床も、屋根も、仏像も何もかも美しい金色に輝いている。京都の金閣寺でも、金なのは外見だけである。この金色堂は内面まで金色なのだ。これこそが、本物の金閣寺ではないか!ところどころに施された、夜光貝の螺鈿細工が夢のように輝きを放ってまたひときわに美しい。ぼくは、大したことがなさそうだ思った自分自身を反省し、また悔いた。こんなにも美しい建築物が、岩手県の山の中にあろうとは!わざわざここまで来てよかった!立ち寄ってよかった!そのような思いしか、後に残らなかった。

(中尊寺の中は写真撮影禁止だったので写真撮れませんでした!日本って、入場料取るのに写真撮影禁止のとこ多いよね。外国からはるばる来た人とかかわいそう。中の写真が見たい人はネットでさがしてみてね!笑)

 

 

平泉の駅で少し時間があったので、その辺りを散歩していると、素敵な洋菓子屋さんを見つけた。素朴な雰囲気あふれる店内で、美味しいケーキを食べながら電車を待った。またひとつ素敵な思い出ができた。

 

 

・民俗学的な風に抱かれて、遠野

 

平野を去って、電車で遠野に向かった。遠野はあの柳田邦男の「遠野物語」で有名であり、民話のふるさととも言われている場所である。日本昔ばなし好きのぼくはぜひこの遠野に足を運び、カッパや、座敷わらしに会ったり、マヨヒガに迷い込んで見たりしたかったのだ。まあこの際出会わなくてもよい。そのような豊かな民話を育んだその風土や人々にこの身を晒し、感受することが大切だ。

 

 

遠野駅に着くと、もう夕方だった。夕闇に照らされて、駅前にカッパが姿を現した!いきなりカッパに出会うことになるとは、思いがけない邂逅である。

 

 

そしてその夜泊まる宿が、これまた座敷わらしが出そうないかにも遠野という感じの宿だった。ここでもらった無料のボールペンは、なんとライト付きで使い勝手がよく、これから行くシンガポールや台湾やインドネシアで、飛行機内で入国用紙を書くのに非常に役立っていた。これからも活躍してもらう予定である。歴史ある内装の遠野らしい宿で、遠野らしい民話的な空気の夜を過ごした。

 

 

次の日、宿の周りを散策した。カッパの出そうな川にかかった橋を渡り、遠野市立博物館の横を通りすぎると、目の前の光の中で、神社へと続く長い階段を見つけた。吸い込まれるようにぼくはその階段を上って行った。その階段に注がれる光も、その階段に吹く風も、その階段を彩る神様の朱色も、そのすべての雰囲気に心を掴まれたのだ。

 

 

神社には人がいなく、またしてもカッパだけが出迎えてくれた。人のいない静かな境内を思い通りに巡っていると、遠野の町を一望できる駐車場にたどり着いた。

 

 

神社というものは、えてしてこのように眺めの一番よい場所に位置するものだ。おそらく、どの地域でも、歴史的に、最も見晴らしのよい最良の場所は人間のものではなく、神様のものに決めようという崇めの謙虚な心が感じられて心地よい。

 

 

さらに上へと上っていくと、今度はまったく誰も通らない山道に入り込んだ。どうしよう…帰ろうかな…とも思ったが、何か面白いものがあるのではと思い、冒険でどんどん進んで行った。すると、小さくささやかな鳥居があったので、軽い気持ちで入ってみた。

軽い気持ちで入った割に、神社への道は、遠く、険しく、虫も多いし、それでもぼくは必死に坂道を上った。その上の神社で待っていたのは、たくさんのたくましい男根たちだった…。

 

 

ぼくはこの男根たちに呼ばれてここまでたどり着いたのだろうか…。しかし、このような男根神社を訪問したのは人生で初めてである。おそらく日本中に男根信仰はあるのだろうと思われるが、訪れたことはなかった。子孫繁栄の象徴だろうか。御神体として祀られている岩なども、男根の象徴である例が多いように感じる。それほど大きくたくましい男根には、生命力や神々しさを感じるということだろう。ぼくも男性的な祈りを込めて、神社を後にした。

 

 

遠野の町の中のカフェで、美味しい豚キムチ丼を食べた後、先ほど通り過ぎた遠野市立博物館へと足を運んだ。

 

 

この博物館は、なかなか侮れない充実した素晴らしい博物館だった。大したことないと思って訪れると驚くことになるだろう。まず、遠野の民話が無料で大スクリーンでいくつも見られるのだ!民話の物語は、もちろん遠野にまつわるものばかりであり、ゲゲゲの鬼太郎風のアニメから、日本昔ばなし風、人形劇風まで様々なスタイルの動画があった。この博物館内の展示物に関わるものも多くあり、予習にも復習にもなる充実した内容である。その展示物というのも、かなり展示の仕方が凝っており、デザイン性が感じられる。見ていて頭が活性化するし、センスがいいのでデザインの参考にもなる。古いものばかりが遠野の魅力ではない、新しいスタイルでも発信されている意気込みを感じられてとてもよい。昔の人々がどのような生活をしていたか、どのような精神の風景を持っていたかも学び取ることができ、非常に興味深い。ぼくが心に残っているのは、このオシラサマという人形である。

 

 

オシラサマという名前の音からして、もう忘れることのできない民俗性と呪術性を兼ね備えている。馬と人間がめおとになるという、人間と動物の境界を越えるという発想も、古代的、原始的でかつ哲学的だ。ぼくはもっとこのオシラサマを見たかった。調べると、遠野の街からやや遠い伝承園というところでは、もっとたくさんのオシラサマに出会えるようである。

 

ぼくは遠野の町が好きだった。あの光あふれる神社に出会ってから、あまりに当然のようにそう感じていた。今度来たときには、ぜひ伝承園にも立ち寄ろうと思う。

 

 

・“MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった”

 

盛岡といえば、松任谷由実さんの歌「緑の町に舞い降りて」を知っている。“MORIOKAというその響きが、ロシア語みたいだった”という少女的に情緒的な歌である。しかし、これまたその歌以外は何も知らない。一体どのようなところなのだろうか。ぼくは遠野から盛岡へ行く電車の中で、「緑の町に舞い降りて」を聞きながら、これから訪れる“緑の町”に思いを寄せていた。

 

 

盛岡を歩いていると、尋常の街並みの中に、随所にレトロな建築物や古めかしい神社などが見られて趣深い。長くいればいるほどに、様々な発見ができそうな、奥深そうな町である。

 

 

大きな岩を御神体としている神社。やはり、このように日本民族は根本的に、石や、木や、水など、自然そのものを神様と崇めてきた民族のようだ。もともとあったその自然崇拝や精霊信仰と、古事記などの神話とが絡め合わせられて、今のように神社ではまるで神様だけが祀られているように感じられるが、実は人間が作り出した物語の中の神様よりも、その裏側にある、もともとそこで信仰されていた、石や、木や、水が信仰されているという例が多いのではないか。今でもなお日本民族は、心の底で、自然の精霊を崇拝し続けているように思えてならない。

 

 

盛岡の最も目立つレトロな建築物といえば、有名な岩手銀行赤レンガ館というかつて銀行だった建物である。この建物は、あの東京駅をデザインした建築家と同じ辰野金吾という人が手がけたものらしい。確かにそう言われれば外観も類似している気がする。中には300円で入ることができ、入場した。この銀行は、2012年というつい最近まで使われていたというから驚きだ。それぞれの部屋の扉や窓の上には、別々の美しい模様が施されていて凝っている。レトロな雰囲気の建築物は、窓から注がれる光が綺麗に映えるので、写真も撮りがいがある。レトロな建物に使われている深い茶色の木材が、時代を遡っていくようで趣深く、心から落ち着ける。ぼくがもし家を建てるなら、このような深茶色の木材の柱や家具のあふれる家に住んでみたいものだ。

 

 

盛岡のレトロさは、この銀行だけにとどまらない。まずは見るからに歴史ある佇まいを感じさせるわんこそばの老舗。ぼくはこの中でわんこそばではなく、普通の天ぷらそばを食べた。わんこそばは高かったのだ。その割に、そんなに食べたいわけではなかった。

 

 

そして、盛岡がレトロな街であることというアイデンティティをぼくの中で決定的にしたものと言えば、なんと築100年の美しい古民家カフェの茶廊車門である。この古民家カフェはレトロすぎて、あまりに美しすぎて、ぼくは何枚も写真を撮ってしまった。どこを撮っても絵になるし、撮るたびにまた新しい顔を発見できるような気持ちになる、奥深いレトロ古民家カフェである。

 

また、注文したパフェも非常にぼく好みで素晴らしかった。果物が多く、くどい乳製品が少なく、ゴマ味のアイスなど懐かしい情緒ある味のものばかりであった。味わい深かった。盛岡のレトロさに感動しながら、名残惜しい気持ちを抱いて、次の街へと向かった。

 

 

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