世界最北端の鉄道駅!北極圏のロシア・ムルマンスクの大冒険

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ロシア・シベリア鉄道の大冒険の最後の街は、なんと北極圏!!!!!

世界最北端の鉄道駅!北極圏のロシア・ムルマンスクの大冒険

・世界最北端の駅と軍人
・人はどんなところにも住める
・素敵なムルマンスクの宿Hostel Crab
・ロシア人チベット仏教徒との出会い
・中国人3人との夕食の楽しい思い出
・ムルマンスクでオーロラは見えなかった
・世界最初の原子力潜水艦レーニン号
・3本の煙突とムルマンスクの旅愁

・世界最北端の駅と軍人

サンクトペテルブルクから1泊2日の鉄道の旅を終えて、無事に世界最北端の鉄道駅・ムルマンスク駅へとたどり着いた。ウラジオストクからモスクワまで、シベリア鉄道の7泊8日の旅を経験したいたので、今回はなんて短い鉄道の旅だろうと思うほどになっていた。

鉄道内にはたくさんの若い軍人さんたちがいた。ムルマンスクは第二次世界大戦でフィンランドと戦った時に、銀狐作戦という軍事作戦の舞台となった町らしく、今でも何か軍と密接な関係があるのだろうか。到着したムルマンスク駅のホームにも大勢の軍人さんが並んでおり、ぼくの中にムルマンスクは軍事的な雰囲気の場所だという第一印象を与えた。

世界最北端の駅だから、どんなにか寒いことだろうと心配していたが、寒いことには寒いが別にモスクワやサンクトペテルブルクと変わりない。むしろシベリアのど真ん中の街、イルクーツクの方が凍てつくような極寒だった!聞けばムルマンスクは海の暖流の影響で、高い緯度の割には気温が下がらないというので助かった。

ホームは雪で真っ白に染められている。サンクトペテルブルクには見られなかった雪がさみしく大地を覆い隠している。こんな北極圏の果てにも鉄道駅があるあんて、純粋に驚きだ。本当にこんなところに人が住んでいるというのだろうか。

 

 

・人はどんなところにも住める

 

しかしそのような考えはすぐに吹き飛ばされた。駅を出てみれば、目の前は普通に大きな街が広がっていた!スーパーマーケットもあるし、レストランもあるし、もちろん普通に人だってたくさん歩いている。こんなところでも生きていけるなんて、人間という生物はなんて順応性の高い生き物なのだろう!北極圏の果ての大地でも、人々は大地に根をはり自分の生活を力強く生き抜いているのだ。

ぼくの宿は、駅から遠かった。それほど大きな都会ではないので宿代も高いところが多く、一番安くて良さそうなところは駅からだいぶ遠かったのだ。仕方なく雪を踏みしめながら宿へと歩みを進める。雪は凍りついた部分もあり、時々滑りそうになりかなり危ない!大きくて重いバックパックを背負っているので、滑ったら自分を支えることもできずにそのまま転ぶだろう。ぼくは慎重に注意深く歩いた。

 

転ばないようにゆっくり歩いていると、なんと鉄道駅から宿まで1時間もかかってしまったが、なんとか転倒せずに無事に宿に到着したときの達成感はひとしおだった。

 

・素敵なムルマンスクの宿Hostel Crab

ムルマンスクの宿「Hostel Crab」は、それはそれは親切なおばちゃんたちがいっぱいいて、とても思い出深い宿となった。ぼくがムルマンスクからフィンランドに入国したかったのだが、情報に乏しく、その移動方法がわからなかった時もとても親切に調べてくれたりした。彼女たちはロシア語しか話さなかったのでかなり困ったが、それでもGoogle翻訳などを使いながらなんとかコミュニケーションを取り合って、情報を与えてくれたことにとても感謝している。おかげでなんとかフィンランドに入国することができ、その後順調にEU内を旅することができた。

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このように辺境の宿というものは都会の宿とは違い、人間的で素朴なあたたかさで溢れており、それが宿泊客たちの心にもいい影響を与えるように感じる。不思議なことだがモスクワやサンクトペテルブルクなどの都会の宿では。宿泊客同士でも会話したりコミュニケーションをすることは少ないのに、ムルマンスクやウラジオストクなどの人のやや少ないような素朴な場所では、誰もが進んでコミュニケーションをとりたがる傾向があり、それがとてもいい思い出につながることがよくある。そのような理由からも、ぼくは都会ではない場所の方が断然好きだ。

この宿Hostel Crabでも、ロシア人仏教徒の青年と話したり、中国人の3人の旅行者たちと仲良く夕食をご馳走になったりしてとても大切な思い出になった。やっぱりこのようなじっくりと会話してみないと、彼らがどのような人々であるかはわからない。ぼくはロシア人の繊細さも、中国人のあたたかさも、この宿で学んだ気がした。

 

・ロシア人チベット仏教徒との出会い

ぼくはロシア北極圏の街・ムルマンスクの宿で不思議なチベット仏教徒に出会った。彼は見た目も生まれも完全なロシア人だった。彼は他のロシア人よりも少しだけ英語を話したので、ぼくたちは少ない英語で多くのコミュニケーションを交わした。

彼は高校の先生であると言い、protection(国の防衛?)を教えていると言っていた。彼はなんと仏教徒であると言い、完全なチベット仏教徒であるとぼくに告げた。それはぼくにとって驚くべきことだった。ロシアにもチベット仏教徒がいたとは!ロシアの中でもシベリアの方で、アジア系の人々ならばその可能性もありそうだが、彼はサンクトペテルブルクに住んでおり、顔立ちだって西洋風だ。どう頑張ってみてもあなたはチベット仏教徒でしょうと言い当てられるような風貌ではない。

そんな彼は、サンクトペテルブルクにあるチベット仏教徒の教会(そんなものがあるとは!)に通っていると言っていた。彼は3年前にチベット仏教徒になったと言い、そのきっかけは人生の問題がすべて仏教の教えによって解決されたことだったようだ。インドで生まれた仏教の教えも、今となってはロシアの果ての地において、誰かの心を救っているらしい。

そして彼は“彼の友人”を助けるために多くのものやお金を助けていると語っていた。彼からはまさに“与える”という精神が感じられ、ぼくはまたトルストイの「人生論」を思い出していた。

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・中国人3人との夕食の楽しい思い出

ムルマンスクの宿のキッチンでブログを書いていると、同じ宿に宿泊している3人の中国人が料理を作り始めた。2人の女性と、1人の男性の中国人。彼らはぼくに調味料の場所などを質問することを通して、ぼくらは親しく会話するようになり、彼らの夕食の食卓に招待された。

中国人というのは、男も女も料理をちゃっちゃと作れるというイメージだ。世界のどこでも食材を的確に買い集め、たくさんの種類の料理を一気に作ってしまうから感心してしまった。中国人は世界中に住んでおり、それは彼らが世界のどこでも生きていけるだけの順応力と適応力があるからなのだろうと、彼らを見ていて推測した。

彼らが作った肉料理や海鮮料理はとても美味しく、日本の中華料理屋さんではない、中国の中華料理の味がした。彼らと食事を共にしながら、ぼくたちはいろんなことについて会話した。

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・ムルマンスクでオーロラは見えなかった

 

ムルマンスクは不思議な街だった。このような北極圏の辺境にあるにも関わらず、大きな建物が普通にそびえ立っている。それでいて、何か活気のないような、静寂が街の中を大きく包み込んでいるような印象だった。ここが北極圏で、気温が低いことが影響しているのだろうか。気温が低いということは大気中の分子の動きが活発でないことを意味する。まさにそのようにして、流れや揺れが少ないような、凍りついたような印象を与えられた。

ムルマンスクの日照時間は少ない。朝10時くらいに日が出て、昼2時くらいに日が沈んで暗くなった。空は一日中薄赤い光を帯び、あの光が朝焼けなのか、夕焼けなのか、わからないような、そのふたつの区別をつけられないほどに、昼の時間が短いことを意味していた。朝焼けと夕焼けの境界線の消滅させられた、まるで不思議な異界のような街の中、寂しさをまとい歩き続けた。

 

夜になれば、ムルマンスクでは街中でもオーロラが見えるという。ぼくはアプリを見ながら、この街でオーロラが見えないかと期待していたが、4日間滞在してついに見ることはなかった。曇っている日が多く、そのような日にはオーロラが見られることはまずない。快晴の日もあったことはあったが、ぼくの滞在した日々は月が満月であり、月の光が強すぎてもオーロラを見ることはできないらしい。オーロラを見るためには様々な条件やコツがいるようだ。

ぼくは何度も夜中に宿を抜け出しては、夜の暗黒の中へと足を進め、いつまでも空を眺めていたが、空は星と月を映し出す暗黒のままだった。人生初のオーロラを見る場所が、ムルマンスクならば素敵だと思っていたがその願いは叶わなかった。しかしこの後フィンランドの北極圏の街に滞在するので、そこでオーロラを見られればそれでいい。まだ希望はあるので落胆することはなかった。ぼくは必ずオーロラが見られるように、フィンランドのロヴァニエミで6泊することに決めた。フィンランドの宿代が、ロシアに比べて高すぎて驚愕した。

 

 

・世界最初の原子力潜水艦レーニン号

ムルマンスクをつれづれなるままに散歩していると、巨大な船がたくさん並んでいる港にたどり着いた。ここは昔、第二次世界大戦の銀狐作戦という軍事作戦の舞台になったところらしい。第二次世界大戦といえば、なんとなく日本を中心に考えてしまうので、日本の動きしか知らなかったが、北極圏のこのような場所でフィンランドとロシアが戦ったらしい。当然だが、日本周辺だけではなく、このようなヨーロッパの地でも第二次世界大戦は繰り広げられていたのだ!

しかしそんなことを考えたこともなかったし、思いもよらないことだった。なんとなく日本以外の場所は、第二次世界大戦と無関係のように感じてしまっていたけれど、考えてみれば学校で学習したようにドイツも、イタリアも、第二次世界大戦においてヨーロッパで戦っていたのだ。しかしこれを実感する機会は人生の中で全くなかった。しかし、第二次世界大戦がヨーロッパでも確かに繰り広げられていたということを、このムルマンスクで初めて感じることができた。こんな北極圏の辺境の地で住むばかりではなく戦闘までする、人間という生物はやはりすごいものだとまた感心した。

港に並んでいる船たちの中に、一際存在感を示している巨大な潜水艦がある。これは世界で最初の原子力潜水艦の「レーニン号」というらしく、原子力の力で砕氷しながら海を進んでいるらしい。今は使われておらず、博物館のようになっているらしい。中にまでは入らなかったが、外から見るだけでも十分迫力があり、この港の不思議と情緒深く、それでいて殺伐とした風景は、ぼくのシベリア鉄道の旅の最後の地の風景として、深く心に刻み込まれている。

 

 

・3本の煙突とムルマンスクの旅愁

街中ではお気に入りのクレープ屋さんも発見した。「チャイヤナ・ロシュカ」というクレープ屋さんで、店員さんが英語を話さないのはもちろんのこと、メニューもロシア語しかないが、なんとか写真を指でさしながら注文を済ませた。安くて美味しいので滞在中2回も行ってしまった。グーグルマップでの評価が高いのも頷ける。

しかしなんせこの季節のムルマンスクは日照時間が短すぎるので、ほとんど外で行動できなかった。夜になると暗いし、道が滑るし、迷子になっても嫌なのですぐに宿に帰っていた。その分宿の人々とあたたかな思い出をたくさん作ることができたので満足している。

ムルマンスクの街を歩いていると、どこから見ても煙突が3本立って見えるのがなんとなく情緒深かった。世界中のどこにいても、煙突がさみしく立ちすくむ風景を見る度に、ぼくはムルマンスクのことを思い出すだろう。それこそが、ムルマンスクの旅情であると感じた。

 

 

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ムルマンスクの光

 

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