デリーの街に全裸の男現る!インドのジャイナ教の修行僧は股間丸出しで人々の尊敬を集めていた

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インドの大都会のど真ん中に全裸の男が登場!!!!!

デリーの街に全裸の男現る!インドのジャイナ教の修行僧は股間丸出しで人々の尊敬を集めていた

・インド1日目にして数々の衝撃的な光景を目にした
・ムガル帝国時代の城塞として有名なデリーの「赤い城」を観光しよう!
・衝撃!首都デリーのど真ん中の寺院に全裸のおじさんが現れた
・ジャイナ教の修行僧は常に全裸で過ごし、人々の尊敬を集めていた
・ジャイナ教の修行僧が提示するのは男根ではなく、無所有という真理への道だ
・中島みゆき「瞬きもせず」
・聖書の知恵の実と関係が?なぜ人間だけが全裸で生きてはいけないのか

・インド1日目にして数々の衝撃的な光景を目にした

インドを本格的に観光する初日がやって来た!昨日は夕方の徐々に暗くなっていくような時間帯に空港から宿へと移動したが、鼓膜が破れそうなくらいにけたたましく鳴り響く車のクラクションや、街中に捨てられたゴミとその腐敗したような匂い、ヒンドゥー教で神聖とされている牛がその辺を堂々と練り歩く姿(目の前で急に放尿して泣きそう!)など、短時間デリーを歩いただけでも十分に”インド”を感じさせるような衝撃的な光景が次々と繰り広げられていった。

牛の大量放尿に鼓膜破れるクラクション!デリー1日目で既にインドの洗礼を受けて衝撃的だった

ほんの数十分間歩いただけでもこれほどまでにショッキングな印象を与えるインドに、果たして本当に40日間も滞在できるのだろうか。

 

 

・ムガル帝国時代の城塞として有名なデリーの「赤い城」を観光しよう!

 

朝が来て宿の周辺を散歩すると、昨日の夕方よりはまだ静かで穏やかなインドの風景がそこにはあって安心した。ぼくが訪れた4〜5月のインドは猛暑の季節であり気温は最高40度付近にまで至ると言われるが、午前中はさほど暑さを感じなかった。

 

 

宿のトーストと卵焼きとチャイといういかにもインドらしい朝食をいただいた後は、ムガル帝国時代の城塞として有名なデリーの観光地「赤い城」を目指して地下鉄に乗り込んだ。Yellow Lineに乗り「Qutab Minar」という駅から「Chandni Chowk」という赤い城の最寄駅へと向かう。

 

ぼくの宿があるQutab Minar駅はデリーの外れに位置していたが、Chandni Chowk駅周辺はかなり栄えており人も車も建物も何もかもがひしめき合っているという印象だった。さすが世界最多の人口を抱えるインドの首都!人混みに紛れて財布やスマホなどをスラれないように細心の注意を払いながら赤い城へと歩いていく。途中の道には人力車が多数待ち伏せ、スパイスマーケットなどこの辺の観光名所を一気に巡ってやるよと言っては観光客を勧誘してくる。人力車の中にはかなりしつこくていつまでも付いてくるしつこいドライバーもいたが、まぁアジアだしそんなものだろうという気持ちで適当に無視したり聞き流したりして先を急いだ。

 

・衝撃!首都デリーのど真ん中の寺院に全裸のおじさんが現れた

 

正午が迫ってくるに従って段々と直射日光が強くなり、インドの猛暑期の厳しさを痛感し始める。今まであまり見たこともないような不思議なインドの建築物が目の前に現れては消えていった。その中でも一際目立つ赤くて美しい建物が気になり、どうやら寺院らしいので思い切って入ってみることにした。インドの寺院は東南アジア地方と同じように靴を脱いで入らなければならないようだ。入口の下駄箱にサンダルを入れ、盗まれたりしないかなぁと心配しながら中へ入った。果たしてこの見たこともないような神秘的な建物は、何の宗教でどのような寺院なのだろうか。

 

 

すると入るや否や、信じられない光景が飛び込んで来た!目の前に、全裸のおじさんがいる!!!いっぱい人がいる大都会デリーの真ん中にある寺院で、股間さえ丸出しにしたスッポンポンのおじさんが堂々と突っ立っている!え!!こんなことってある?!?!?そんなことって許されるの?!頭の中が混乱する。ここはどこ…わたしは誰…あ、ここはインド!何が起こるかわからない、思いもよらない予想外な展開が次々に襲いかかる、まさにこれがインド?!!!!(さすがに全裸のおじさんは写真に撮れなかったので、上の写真は寺院内にあった看板)

 

まさかのインドの首都デリーのど真ん中に全裸のおじさんが登場し、さすがにこれにはインド人もびっくりだろう、ぎゃーと言って逃げ出すだろうと思いきや、予想とは全く真逆の反応をインド人たちは見せていた。彼らは股間丸出しのおじさんに手を合わせ、拝み、ひれ伏し、まさに全裸のおじさんを心の底から尊敬しているという態度を取っていたのだった。すごい!謎の全裸のおじさんがみんなに尊敬され崇め奉られる…これぞまさにインド!!!!!もはや日本で生まれ育った狭小な常識なんてインドでは歯が立たないということを、ぼくはインド観光初日で思い知ったのだった。

 

・ジャイナ教の修行僧は常に全裸で過ごし、人々の尊敬を集めていた

この寺院の名は「ディガンバラ・ジャイン・ラール寺院」。ジャイナ教という聞き慣れない宗教のための寺院だった。ジャイナ教の出家者には常に全裸で過ごして修行する派閥があり「裸行派」「空衣派」などと呼ばれる。彼らの全裸は無所有を示唆しており、衣服はおろか金銭すら持つことがないという。英語ではジャイニズムというらしいが、何となく「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」と主張するジャイアンの姿を思い浮かべてしまうのはぼくだけだろうか。

 

 

・ジャイナ教の修行僧が提示するのは男根ではなく、無所有という真理への道だ

確かにぼくたちは何も持たずに全裸でこの世に生まれつき、そして何も持たずに手ぶらでこの世を去っていく。どんなにこの人生で富を蓄えても、権力を持ち偉大だと他人に褒め称えられても、素晴らしい人間関係を築き上げても、どうせ死の瞬間には全てを手放すようにできている。無所有で孤独に生まれつき、無所有で孤独にこの世を去るのなら、究極のところこの人生で積み上げたものは全てなかったことになると言えるのかもしれない。

ぼくたちは生まれてから死ぬまで、非常に数多くのものを獲得しながら人生を歩んでいけるのだと思い込んでいるが、実際のところは無の世界(誕生)から来て無の世界(死去)へと帰り着くだけであり、この人生で獲得したと思い上がっていたものはすぐに返却しなければならない一瞬の借り物なのではないだろうか。今着ているお気に入りの服も、ブログを書くための優れたPCも、ワクチンバイトで蓄えた財産も、人生を豊かにしてくれる良好な人間関係も、この顔や身体という肉体でさえ、すぐに別れを告げなければならない幻に過ぎない。誕生から死まで、長くてもたかが100年間で自分のものではなくなってしまうものなんて、本当に自分のものだと言えるのだろうか。100年なんてほんの一瞬だ。それなのにぼくたちは自分の所有物に執着し、欲望の上に欲望を重ねては、本当に大切なものが何かを見失ったままで人生を終えてしまう。

そのような衆生に比べると、確かに全裸で生きるジャイナ教の信者は素晴らしく画期的な生き方を人間世界へと敢えて提案していると言えるだろう。彼らがその存在全体を通して本当に提示しているのは丸出しの男根ではなく、真理へと通じる無所有の生き様なのではないだろうか。

 

 

・中島みゆき「瞬きもせず」

瞬きひとつの間の一生
ぼくたちは皆 一瞬の星
瞬きもせずに息をすることさえ
惜しむかのように求め合う

 

(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)

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・聖書の知恵の実と関係が?なぜ人間だけが全裸で生きてはいけないのか

今回のように街中で全裸のおじさんがいきなり登場するとびっくりするのが人間として当然の反応だと思われるが、実際のところどうして人間は全裸で生きてはいけないのだろうか。その辺を見渡すと犬だって、猫だって、お猿だってみんな全裸で堂々と歩いている。全裸だと怒られたり逮捕されてしまうのは人間だけだ。なぜ犬でも猫でもお猿でも許されることが理不尽にも人間には許されず、自らの肉体を布で覆い隠しながらコソコソとせせこましく生きなければならないのだろうか。ましてやここは今気温が40度にもなる猛暑期のインド。全裸になって木陰で涼みながら生きた方が快適なのではないだろうか。

ぼくはモジャモジャになりたい!男が脱毛すべきだというのは本当か?

聖書によると、アダムとイブは本来は全裸で生きていたが、禁じられていた楽園の果実(知恵の実)を食べてしまってから善悪の分別がつくようになり、全裸が恥ずかしくなり、イチジクの葉で股間を隠すようになったという。ちなみに食べてはならないと言われていたその知恵の実を食べてしまったのは、アダム(男)はイブ(女)に誘われたから、そしてイブは蛇にそそのかされたからだと言われている。蛇はその誘惑の罰として永遠に地を這いながら生きざるを得なくなったという。

ぼくがこの聖書のストーリーを聞いて思うのは、聖書が作られた時代の古代の人々もなぜ人間だけが服を着るのだろうかとぼくのように疑問に思っていたのだろうということだ。しかしどんなに考えてもわからないので、このような一見関係なさそうな知恵の実の物語に結びつけることで、人間が全裸で生きてはならない理由を無理矢理に合理化させたのではないだろうか。どんなに考えてもどうせわからないことは、適当に理由付けをしておいて思考を停止させ、他のもっと重要なことを真剣に考える方が効率よく生きられるだろう。

ちなみに人間が死んでしまうのも、労働しなければならないのも、出産が苦しいのも、全てはこの知恵の実を食べたからだと言われている。「なぜ人間は死んでしまうのか」「なぜ人間は働かなければならないのか」「なぜ子供を産むのは痛みや苦しみを伴うのか」「なぜ動物の中で人間だけ裸で生きてはならないのか」そのような数々のどう考えてもわかりそうもないあまりに根本的な疑問を、知恵の実のストーリーに結びつけて合理化し、何とか無理矢理解決しようとした努力の跡が知恵の実によって起きた出来事の多様性から見てとれる。まぁ知恵の実の物語は合理化ではなく真実だという説も勿論あるだろうが、それは信仰心の問題であり、人間が作り出した物語だと捉える人が世界では大半かもしれない。

ぼくが重要だと強く思うのは、聖書のものすごく大切な知恵の実の物語の部分に、人間が全裸で生きてはならないことの理由がきちんと明記されていることだ。それほどまでに古代の人々にとっては、犬や猫やお猿は全裸で生きられるのになぜ自分達は全裸で生きてはならないのかということが大きな疑問や問題だったのではないだろうか。もしかしたら聖書が作られた太古の昔にはまだ人間が服を着るか着ないかの瀬戸際の時代であり、服を着ている人と全裸で生きている人がまだ半々ほどに分かれており、全ての人間を着衣する生活形態へと移行させるために、当時の権力者が聖書の中に服を着なければならない理由を挿し込んだのかもしれない。

しかし聖書の物語は砂漠世界や西洋世界の思想を支配できたのかもしれないが全世界を支配するには至らず、東アジアの末端の島国である日本にその物語を詳しく知る人は少ない。ぼくも聖書のことなんてほとんど知らないが、面白いと感じたのは、聖書を知らない日本人のぼくが抱いた「なぜ人間だけが全裸で生きてはいけないのか」という疑問に対するあるひとつの答えが、実際に聖書の中に書かれていたことである。それはすなわち聖書が作られた時代でも、人々が「なぜ人間だけが全裸で生きてはいけないのか」とぼくと同じように疑問を持っていたことを示している。どんなに時代や国が移り変わっても、人間というものは同じようなことを不思議に思い、思考を巡らせているのかもしれない。そしてその答えは、どんなに考えてもわからないからこそ奥深く面白い。

 

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