谷口吉生の禅的な建築が見どころ!金沢市の「鈴木大拙館」で数々の名言に触れた

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ぼくの大好きな鈴木大拙さんの博物館!!!!!

谷口吉生の禅的な建築が見どころ!金沢市の「鈴木大拙館」で数々の名言に触れた

・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅
・ぼくの中の2つに分裂された世界の思想
・鈴木大拙さんの本の中にぼくは自らの思想を発見した
・石川県金沢市の「鈴木大拙館」の入場料、駐車場情報
・「鈴木大拙館」の図面と鈴木大拙年表
・「鈴木大拙館」は谷口吉生さんの建築として人気だった
・鈴木大拙名言集

・ぼくの「日本海沿いを北上する旅」+「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅

こんにちは!世界一周+日本一周の旅を続けている水色です。

ぼくは今までの人生で日本海沿いの地域をほとんど旅したことがなかったので、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外国にも行けず旅人としてはこのまま日本を深めるしかないという絶好の機会に、日本海沿いを北上する車中泊の旅を決行した!

岡山県、広島県、山口県、佐賀県、長崎県、福岡県、大分県、熊本県、島根県、鳥取県、兵庫県、京都府、福井県、石川県、富山県、新潟県、山形県、秋田県、青森県、フェリーに車ごと乗り込んで北海道函館まで渡り、そのまま北海道の最北の離島、礼文島の澄海岬を「日本海沿いを北上する旅」の最終目的地とした。

そのまま北海道をぐるっと一周し、再びフェリーに乗って青森県へ!青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、山梨県、静岡県と「太平洋沿いを南下する旅」を完遂した。

結果的にぼくは7月〜11月までの間ほぼ4ヶ月かけて「日本海沿いを北上する旅」「太平洋沿いを南下する旅」=日本一周の旅を達成したことになる。この旅ブログ「ミズイロノタビ」では、あまりに感動的で素晴らしすぎた日本一周の旅の一部始終を公開しようと思う。

 

 

・ぼくの中の2つに分裂された世界の思想

ぼくはいつの頃からか、世界は2つに分裂していると感じていた。「男」と「女」、「大人」と「子供」、「人間」と「動物」、「正義」と「悪」、「暑い」と「寒い」、「祖国」と「異国」、「あなた」と「私」、「あの世」と「この世」、「生」と「死」など、人間は極端な2つに分類することで世界を認識していることに気づいた。しかしこの2つの分裂により人間には生きる深い苦しみが生じているのだと信じられた。本当は1つの純粋で透明な世界を、無理矢理にナイフで切り裂くことによって境界線を設け、世界を2つに分裂させることによって様々な概念を認識することに成功したものの、それによって憎しみや対立や比較や相対や相剋が生まれ、人間は見下し合ったり争い合い、心を乱されているように感じられた。

「悟り」とはおそらく、この2つに分裂された世界を本当は1つだと見抜くことにより、心の中の迷妄や憎しみや戸惑いを取り除くことだろうとぼくは考えていた。ここにあると洗脳された境界線が、本当はどこにもないのだと見定めることにより、真理の世界は開拓されるはずだった。それはすなわち、この世界を2つに分裂させることを中止することなのだから、正常でまともな人間として生きられなくなことを意味するかもしれなかった。けれど「正常でまともな人間」ということが、変わらずに同じ過ちを犯し、憎しみ合い見下し合い殺し合うことを意味しているというのなら、ぼくはそこから解脱すべきだと感じられた。

このような思想はぼくが幼い頃から持っていたもので、誰から教えられたものでもなかった。自分の根源から美しい湧き水のように現れてきた、とても自然な思想だった。それゆえにこのような思想をぼく以外の誰かが持っているとは見当もつかなかった。周囲の友達も家族も、このような思想の中で生きているとは思えなかった。この思想はもしかしたらぼくだけのものであり、誰とも共有できない産物ではないかと常々感じられた。ぼくは特殊な思想を持ったことにより、世界でひとりきりであるような孤独感に苛まれた。

ぼくが旅に出る理由6:この世のあらゆる境界線の融解

 

・鈴木大拙さんの本の中にぼくは自らの思想を発見した

このような思想が決してぼくだけのものではなく、日本に古来から伝えられている「禅」の思想であり、もっといえばそれは「日本的霊性」に基づいたものであると教えてくれたのは鈴木大拙という思想家の本だった。彼は1870年〜1966年を生きた日本の仏教学者であり、禅についての著作を英語で発表し日本の禅文化を海外に広く知らしめた人物として知られている。たまたまアマゾンで購入した彼の著書「禅」を読んでいると、ぼくが上記のようにこれまで生きてきて自然と培ってきた思想がそのまま書かれていたので感動した。ぼくが本に感動するというのはこのような瞬間だ。新しい知識を得ることができて感動するということはなく、自分の心の中だけに隠して誰にも話していないような思想と同じような思いや激しく共鳴する文章と巡り会った時に、まさにその邂逅の奇跡に感動してしまうのだった。逆にいえばぼくはなぜか「禅」の思想を誰に教えられることもなく自然と自らの中に育んでいたことは非常に不思議な現象だった。

それからというものぼくはもっと彼の著書を読みたくなり「禅」の他に「日本的霊性」や「東方的な見方」「無心ということ」などを読み、その全ての内容に感動し共感した。油断していればすぐに「西洋に憧れろ」と洗脳されそうになるこの世の中において、東洋がこれまでに培ってきた深い思想や文化、特に日本という国の独特で素晴らしい仏教思想が連綿と今に至るまで受け継がれてきたことに感銘を受け、愚かしく異国に憧れるばかりではなく祖国を深く見つめなおし誇らしく追求することの重要性を、ぼくは彼の著書から学び取った思いがする。

 

・石川県金沢市の「鈴木大拙館」の入場料、駐車場情報

 

鈴木大拙さんは、石川県金沢市出身らしい。ぼくが「日本海沿いを北上する旅」の途中で金沢市に立ち寄った時に「鈴木大拙館」を発見し、他はどうでもいいが絶対にここだけは見学したいと思い立ち、早速訪問した。

 

「鈴木大拙館」は金沢市内の静かな住宅地にひっそりと立っていた。近くには「鈴木大拙生誕の地」の石碑や銅像もある。入場料は大人310円だった。駐車場はなかった。

 

・「鈴木大拙館」の図面と鈴木大拙年表

 

・「鈴木大拙館」は谷口吉生さんの建築として人気だった

 

ぼくは今まで生きてきて鈴木大拙さんの本を読んだという人に出会ったことがなかったので、あんまり有名な人じゃなさそうだしあんまりお客さんもいないだろうと勝手に思い込んでいたが、意外にも「鈴木大拙館」を訪れる人の数は多く、それも老人だけではなく若い人までもたくさん訪れていたので驚いた!しかし見た目で判断するわけでもないがどう見ても鈴木大拙さんの本なんか読んでいなさそうな人が多かったのでとても不思議に思っていたが、実はここ「鈴木大拙館」は興味深い建築として有名らしい。谷口吉生さんという有名な建築家が手がけた博物館だそうだ。みんな鈴木大拙さんの著書を熱心に読んだ結果としてその思想の真髄に触れようとここを訪れたというよりも、建築を楽しみに来ている人が多かったという印象だ。

 

 

「鈴木大拙館」は規模の小さなこじんまりとした博物館であり、展示が充実しているというよりも敢えて余白を持たせて見る人が自由に鈴木大拙という人を感じ取れるような空間になっているように感じられた。小難しくて細かい仏教思想を学習するというわけではなく、もっと抽象的で簡潔で自由な発想を許される種類の展示であふれていた。展示はほとんど撮影禁止だった。

 

建築的なハイライトは何と言っても「水鏡の庭」だろう。浅い水がはりめぐらされた無機質で神秘的な空間だった。どことなく静かな禅の「悟り」の心を表現しているようでもある。ただの浅い水の泉かと思いきや、定期的に泉の真ん中から波紋が生じる仕組みになっていた。もちろん水の中に魚などを飼っているわけではなく、わざと静かな波紋が生じるように設計されているらしかった。静寂に満たされた揺れる水の波紋が、まさに悟りの境地の心模様を表しているのかもしれなかった。

 

 

・鈴木大拙名言集

「鈴木大拙館」には紙のカードが設置され、そこには鈴木大拙さんの言葉が記されていた。

単なる論路は決して我々を動かさない。
そこには知性を越えた何かがなければならぬ。

我々は自然の恵みによって、
人間たる以上誰でも芸術家たることを許されている。
芸術家といっても、画家とか彫刻家、音楽家、詩人という特殊な芸術家を言うのではない。
「生きることの芸術家」なのである。

己れは己れだけで知れるものではない。己れならざるものがあるので己れもまたよく認知せられる。

東洋だけに立籠もっていては東洋はわからぬ。まして地域的に文化的に限定せられている自分等の「過去」なるものにのみ執着していては、自分等のことだけでもわかる理屈はないのである。

存在の理由に徹して信仰の確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。蜘蛛が自分を真ん中において、それから四方へ網を張ると同じことである。中心を持っている人の世界は、彼はいつもその中心に至って追って、前後左右、自由にその糸を操る。なぜのそう出来るかというに、自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないとその事実は死んだ事実となってしまう。これが妙である。

仕事をするときは、自分を忘れ、専心で仕事に当たれ。
ただ、その瞬間にしている仕事の他は、何も思うな。
魔に憑かれたように、いや、阿弥陀仏に憑かれたようにの方がよい、そんなふうに、いわば、仕事をして自ずから働かせるのだ。
仕事をしていない時は、休め。
仕事の思いに付きまとわれてはいけない。
仕事に取り付かれてはいけない。
自分の仕事の、そして、自分自身の主人であれ。

数字はいくら重ねても、機械はいくら精巧になっても、いずれはこの目で見、この耳で聞くことの外に出ないのである。無限の数といっても、それはいずれも一単位から始まるのである。驚くべきはむしろその始めの一にあるのだ。

「一」という時、既に無限がその中に在るのだから、何億年の時間を経て、何億光年の空間を通って、二大星団の衝突が、今、此処にきかれるということは、別に不思議でも驚異でもないのである。

不思議は「今・此処」というところに在るのである。

指がなければ月を指すわけには行かぬが、
指と月を間違えては大変である。

旅行が容易で快適に過ぎれば、その精神的意味は失われる。これはセンチメンタリズムと言われるかも知れぬが、旅によって生ずるある孤独感は人生の意味を反省させる。人生は畢竟、一つの道から他の道への旅であるからだ。

 

 

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