ぼくがラオスを大好きなたったひとつの理由

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ラオス大好きだー!

ぼくがラオスを大好きなたったひとつの理由

・「布」のくに、ラオス
・ベトナムからラオスへ
・ラオスの人々
・ぼくがラオスを大好きなたったひとつの理由
・くにを愛するのは人柄のよさゆえ

・「布」のくに、ラオス

ラオスはぼくにとっては「布」の国だった。異国で見つけた布で、あ、これいいなと思うのがいつもラオスの布だったのだ。ぼくの中の美意識の感性とラオスの布の美しさは親密に呼応し、求めあっているように感じられた。ぼくは人生でラオスを訪れることがあったら絶対に布を買って帰ろうと決めていた。

そしてその機会はついにこの東南アジアをめぐる旅の中で訪れた。

 

 

・ベトナムからラオスへ

と言ってもぼくのラオスの事前の予備知識は「布」くらいで、あとはどのような場所なのか見当もつかないという有様だった。しかしベトナムからラオスまで28時間の長距離バスを経てルアンパバーンへと入ったとき、ぼくはそこがまるで天国のように感じた。

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ベトナムとのギャップをひしひしと感じたのだ。街が静かでのんびりとしている。穏やかな空気にあふれて豊かな時間が流れていることを肌で感じ取った。ベトナムのハノイとは何もかもが大違いだった。バイクに轢かれそうになりながら怯えて道路を渡らなければならないことも、けたたましい喧騒の中に身を置いてストレスを感じることももはやなかった。静寂というだけで、ベトナムからやってきたぼくの身には十分すぎるくらいの価値が宿っていた。

 

・ラオスの人々

ラオスの穏やかな気配は街並みだけにとどまらなかった。なんと素朴で優しくて穏やかな人々なのだろう。ぼくはラオスの人々が一瞬で好きになってしまった。

ベトナムの人々とは何もかもが違う。ベトナムではいつお金を巻き上げられるか、騙されるかと心配しながら生きていかなければならなかったが、ラオスではそのような不安は皆無だ。むしろこのように素朴で優しい笑顔のラオス人たちがぼったくりをするなんてありえないと思ってしまい、商人にでさえ強気で値下げ交渉ができないのが悩みととなるほどだった。

ベトナムでは我が我がと自分を貫いて人々が突っ走っていくので、それにぶつからないように細心の注意を払わなければならないが、ラオスでは人々が日本人のように控えめでのんびりとしており、張り巡らされた自我に疲弊する機会が微塵もなかった。

ぼくがバイクをゆっくりと走らせていると、後ろの車が轢かないように注意深く後をついてきてくれて機会が訪れるまで決して危なげに抜かそうとしないことがぼくには感動的だった。このような心遣いは、ベトナムでは決して見られないものだったからだ。ベトナムでは危なかろうが何だろうが、クラクションを盛大にならせて瞬時に追い抜いていったに違いない。

 

 

・ぼくがラオスを大好きなたったひとつの理由

ぼくがラオスを大好きになった理由は、その人々のよさにあった。ぼくは彼らの素朴さに心惹かれたのだった。

ラオスでは不満なこともたくさんあった。麺はふやけていて伊勢うどんのようであまり好みではなかったし、道なんて舗装されていなくて酷いものだった。たくさんの不満な点がありながらも、それらを打ち消すほどに魅力的なことは、ラオスの人々の笑顔と素朴さだったのだ。

 

 

・くにを愛するのは人柄のよさゆえ

ぼくたちは異国を旅するとき、様々な視点、尺度から異国を判断し、裁く。満足なこと、不満なこと、どのような国にももちろんそれぞれあるだろうが、結局最後にその国を心の中で裁く尺度とは人々の民度ではないだろうか。どのような不満点が噴出しても、その土地に住む人々が善良である限り、あらゆる事項は許されるのではないか。

今までぼくが大好きだと感じた国、美しいと感じた国は、例外なく「人々」の質が良かったのだ。台湾やイラン、インドネシアやロシア、そしてラオス…。心に残っていつまでも消えない国は、それぞれに魅力的な部分があるものの、結局はその大地に住む人々がぼくを感動させていたのだった。

この世界は美しいという言葉も、人々の美しい心に触れて初めて成り立つのだろう。これからぼくたち旅人はどのような美しい心に出会えるだろう。未知なるその心たちに、期待をしてやまない。

 

 

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