紀伊半島一周の最終目的地!伊勢神宮と橿原神宮に行ってきた

 

紀伊半島一周の旅もいよいよ終了!

紀伊半島一周の最終目的地!伊勢神宮と橿原神宮に行ってきた

・紀伊山脈一周の最終目的地は伊勢神宮
・伊勢神宮の内宮と外宮の違い
・内宮の駐車場を無料にする対策
・山脈の民族、平野の民族
・大和の始まりの地、橿原神宮

・紀伊山脈一周の最終目的地は伊勢神宮

紀伊山脈一周の最終目的地は、伊勢神宮にしようとぼくは心の中で決めていた。世界遺産熊野古道は、大きく5つの道に分かれており、それらの道は全て熊野本宮大社へと通じている。その5つとは、大辺路、中辺路、小辺路、紀伊路、伊勢路がある。

紀伊半島を車中泊で一周するのだから、最後は東の端っこの伊勢神宮まで訪れて熊野古道の伊勢路を辿り、それからお家へと帰ろうと計画していた。三重県の熊野市がとても面白く興味深かったので長居してしまったが、意を決して海岸沿いに伊勢まで車を走らせ始めた。

 

 

・伊勢神宮の内宮と外宮の違い

伊勢神宮は内宮と外宮に分かれている。内宮には天皇のご先祖様の天照大御神がお祀りされ、外宮には天照大神の食事を司る豊受大御神がお祀りされている。内宮は2000年、外宮は1500年の歴史があるという。外宮から先にお参りするのが習わしのようだ。

内宮と外宮の間の距離はかなり遠く、徒歩で移動するのは困難だろう。ぼくは車で移動した。

 

・内宮の駐車場を無料にする対策

 

ぼくが気になったのは、外宮は駐車場代が無料なのに対し、内宮は1時間は無料だがそれ以降はお金を取られるということだった。しかし、外宮の周囲にも内宮の周りにもたくさんのお土産やさんの通りがあり、お参りに加えてお土産やさんをゆっくりと見ていると、とても1時間などで足りるものではない。しかし、はっきり言って神社のお祈りをするための駐車にお金を払うなんてお金が勿体ないので嫌だった。どうすればすべての駐車場を無料にすることが可能なのだろうか。

 

外宮の駐車場は無料なので、外宮に駐車して外宮から内宮まで頑張って歩こうかとも考えたが、往復2時間ほどかかるという。おそらく徒歩は厳しいだろうと考えた。それならば内宮の際には内宮の駐車場にまずは駐車して、内宮のお参りを1時間以内で終えて1時間以内に一旦外に出た後、再度駐車場に入場し、お土産やさんのいっぱい並んでいる「おかげ横丁」を1時間以内で見て回ったらどうだろうか。これならば内宮の駐車場も無料になる。おそらくこのように考えている他の人々もいるのではないだろうか。

しかし大まかに言って、外宮の駐車場は比較的空いているのに対し、内宮の駐車場は平日でもとても混雑しており駐車場の外まで車がかなり長い列を作って並んでいた。あの列に1日に2回も並ぶくらいなら、大人しく駐車料金を支払った方がいいだろうか。

考えた結果、1日目の夕方にまずは内宮の神殿を1時間以内でお参りし、次の日の朝にまた内宮に来て今度はおかげ横丁を1時間見て回ろうという計画にした。これならば駐車場代も取られずに、そんなに混雑に遭うこともないだろう。

 

 

・山脈の民族、平野の民族

紀伊山脈や熊野古道の神々を回ってきて、最後に伊勢神宮にたどり着いて思うことは、内宮も外宮もなんて平らな土地に広がっているのだろうという驚きだった。これまでは紀伊山脈の中の高低差のある地形の中を冒険していたので、そのあまりの平坦さに不思議な違和感を覚えたのだった。

地形に高低差があると、水が雄大な滝を生み出したり清流が激しい流れを呈したりするもので、それが紀伊半島の特徴なのだと思っていたけれど、伊勢神宮のそばを流れる川の流れは本当に流れているのか疑ってしまうほどに緩やかだった。なんて平坦なのだろう。なんて平穏なのだろう。なんて静かなのだろう。空気の流れさえも、ここでは止まっているように感じられる。

紀伊山脈が、高低差という位置エネルギーの落差が生み出す壮大な大自然の激動を脱ぎ捨てて、伊勢という平野に人々のために都合のよい穏やかな住処を与えているみたいだ。山脈とは神々の住処で、平野とは人間の住処なのだとぼくは強く思い知らされていた。

そしてぼくは、自分自身の中に山脈の民族の源流があることを確かに感じていた。静的なものよりも、激しく絶え間なく動く動的なものを。平和なものよりも、常に移り変わり翻る立体的なものを。自らの根源が求めずにはいられないような思いがした。ぼくはたった今日紀伊山脈からこの平野へやってきたのに、不意に紀伊山脈が恋しくなった。これはもしかして、弥生的なものに逆らう縄文的な感性の発露だろうか。

人間は山脈へは住み着かない。山脈というのは生きにくい空間だ。紀伊半島を巡ってみても、多くの人々は山脈を避けて海沿いに住処を持っている。そして紀伊半島の内部へと進めば、平野の部分に人々は住処を集合させ、群れ、都会としてその生活を過ごしている。人間の群れである都会は、いずれも必ず平野に出現するようだ。人間たちは高低差のある土地を嫌い、そこを退き、住みやすい平野へと集合するという傾向を持っているのだろう。

そのような平野に都会を作ることにより、日本の主流の文化は発展した。奈良盆地に都会を作り、京都の盆地に都会を作り、関東平野に都会を作るなどして日本の歴史を紡ぎ出してきた。しかしそれにどうしても馴染めず、見捨てられながらでも激動の山の中に住み続けた孤独な民族たちもいたのではないだろうか。この国の文化の主流にはならなくても、あるいはこの国の表面としては活躍しなくても、古来よりこの国の源流の魂を担い、都会の人々がすっかり忘れ去ってしまったこの国の根源の姿を、いつまでもいつまでも留め続けているのではないだろうか。

 

 

・大和の始まりの地、橿原神宮

 

伊勢神宮から和歌山県の実家へと帰る際、途中にどうしても寄っておかなければならないと感じる場所があった。毎年家族の初詣にお参りしている奈良県の橿原神宮である。ぼくはこの紀伊半島一周の旅において、第一代神武天皇の旅路を感受せずにはいられなかった。神武天皇は九州の宮崎県から船で出発し、福岡、広島、岡山、大阪などを経て紀伊半島南部の熊野灘に漂着し、そこから紀伊山脈を超えて、その旅の最終目的地として奈良県の橿原を選ばれたようである。そこから大和の政治は始められ、橿原神宮はいわば日本という国の原点なのだ。

 

ぼくはそんな歴史も知らずに毎年家族と橿原神宮にお参りしていたから、橿原神宮がそんなに深くて重要な歴史を持っているのだとたまたまyoutubeを見ていて知った時本当に驚愕した。この旅の最後の最後には、橿原神宮がふさわしい。

ぼくは常々橿原神宮は平坦な神社だなぁと思っていた。そして今回も、やはり平坦な地形だなぁと感じた。平坦だからこそ人々は栄えるためにそこを選ぶ。平坦で平穏な場所を中心に選び、人々は集まり、集合体は形成され、都会が生み出される。古代の大和の中心となる日本一の大都会も、この平野に存在していたのだろう。

ぼくはまた、神武天皇の旅路に思いを馳せていた。そして訪れたこともない宮崎県の高千穂、神武天皇の旅の出発点、歴史的に日本の原点とも言える場所に、呼ばれているような気がした。この紀伊山脈の巡礼の旅は、同じく「道」の世界遺産であるスペイン巡礼へと、すぐさま引き継がれていく。

 

 

 

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