第二次世界大戦中の日本統治時代はマレーシア国立博物館でどのように解説されているのか

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日本のマレーシア支配ってどんな感じだったの?????

第二次世界大戦中の日本統治時代はマレーシア国立博物館でどのように解説されているのか

・ぼくのマレー半島を南下する旅
・クアラルンプールにあるマレーシア国立博物館へ行ってきた
・The Japanese Occupation(1941-1945)
・The Japanese Occupation(1941-1945)翻訳
・日本統治時代はマレーシア国立博物館でどのように解説されていたか
・日本統治時代はマレーシア人からよく思われていないのか?

・ぼくのマレー半島を南下する旅

ぼくはマレー半島を南下する旅の中で、ピンクガネーシャを参拝したタイの首都バンコク、バイクで秘境寺院や秘湯を巡った北部の街チェンマイ、ホワイトテンプルやブルーテンプル、ブラックハウスとカラフルな旅ができた北部の街チェンライ、大自然あふれる秘島・ヤオヤイ島のリゾートを楽しんだ南部のプーケットを経て、次なる国マレーシアに入国した。

まずは世界遺産のペナン島を観光し、次に首都のクアラルンプールに移動。クアラルンプールでは一緒に旅をしている哲ちゃんの友達の中華系マレーシア人のお家に泊めてもらうことができ、ご飯に連れていってくれたり、クアラルンプールの街を案内してくれたりと、何から何までお世話になった。

 

 

・クアラルンプールにあるマレーシア国立博物館へ行ってきた

ある日ぼくがマレーシアについて詳しく知ることができる博物館へ行きたいと言うと、中華系マレーシア人のキャリーとリミが車でクアラルンプールにあるマレーシア国立博物館へ連れて行ってくれた。

その名の通りアジアでは珍しい多民族国家であるマレーシアの歴史や文化を包括的に学べる博物館となっていたが、ぼくが最も印象に残ったのは、マレーシア国立博物館が祖国である日本についてどのように言及していたのかということだ。具体的にはマレーシアの歴史の中で日本について解説されていたのは、第二次世界大戦中の日本統治時代についてのみだった。一体マレーシアでは日本統治時代について、どのように教えられているのだろうか。その解説文を翻訳してみたので、以下に記載する。

 

・The Japanese Occupation(1941-1945)

The Japanese attack on Malaya began on the 8th December 1941

when their forces landed in Kota Bharu, Kelantan. A major attack had been launched on all the British defences in Malaya. This effective strategy enabled the Japanese to advance southwards with great speed and finally capture Singapore on the 15th February 1942.

Japan also attacked Borneo and succeeded in capturing Miri on the 16th December 1941 and Kuching on the 18th December 1941. Kota Kinabalu and Sandakan were captured in January 1942.

During the entire Japanese occupation, the people experienced misery because of the shortage of food supplies, medicines and daily necessities. Numerous infectious diseases such as malaria spread.

The economy weakened as a result of the ‘scorched earth operations’ carried out by the British before their withdrawal from Malaya. To make matters worse, the uncontrolled distribution of Japanese paper money caused very high inflation.

During those times, the people lived in fear of the ‘Kempetai’ (Japanese Secret Police), who arrested, interrogated and killed anyone suspected of being opponents to them. Houses were raided and food supplies seized. There are those who were caught and forced into labour and sent to build the railway on the Burma-Siam border. Japanese policy differences affected all people and damaged the relationship between the races in this country. Compared to the Malays and the Indians, the Chinese were treated very badly because of the war between Japan and China

The bombing of Hiroshima on the 6th August 1945 and Nagasaki on the 9th August 1945 with the atomic bomb, finally ended the Japanese occupation in South East Asia. The Japanese officially withdrew from Malaya, Sabah and Sarawak in September 1945.

Though the Japanese occupation was shorter compared to other foreign powers, the four years experience under Japanese rule was enough to give extraordinary strength and spirit to the local people to continue the fight to free the country from colonisation.

 

・The Japanese Occupation(1941-1945)翻訳

日本軍のマラヤ攻撃は1941年12月8日に始まった。

イギリス軍がクランタン州コタバルに上陸したとき、マラヤにあるイギリス軍の防衛全体に大規模な攻撃が開始され、この効果的な戦略により日本軍は猛スピードで南下し、1942年2月15日ついにシンガポールを占領した。

日本はボルネオ島も攻撃し、1941年12月16日にミリを、1941年12月18日にクチンを占領することに成功した。コタキナバルとサンダカンは1942 年1月に占領された。

日本占領期間中、食糧、医薬品、日用品の不足により、マラリアなどの多くの感染症が蔓延し、人々は悲惨な状況に陥った。

イギリス軍がマラヤから撤退する前に実施した「焦土作戦」の結果、経済は弱まり、さらに悪いことに、日本の紙幣の無秩序な流通が非常に高いインフレを引き起こした。

当時、人々は「憲兵隊」(日本の秘密警察)に怯えて暮らしており、敵対者と思われる者は誰であろうと逮捕され、尋問され、殺害され、家を襲撃され、食糧を押収された人もいた。捕まって強制労働させられ、ビルマ・シャム国境の鉄道建設に送られた人たちもいる。日本の政策の違いは全ての人々に影響を与え、この国の人種間の関係を傷つけた。マレー人やインド人に比べて、中国人は日中戦争のせいで非常にひどい扱いを受けていた。

1945年8月6日に広島、1945年8月9日に長崎に原爆が投下され、東南アジアにおける日本の占領は遂に終わりを告げた。日本軍は1945年9月にマラヤ、サバ、サラワクから正式に撤退した。

日本の占領期間は他の外国勢力に比べて短かったが、日本統治下での4年間の経験は、現地の人々に植民地化から国を解放する戦いを続ける並外れた力と精神を与えるのに十分だった。

 

 

・日本統治時代はマレーシア国立博物館でどのように解説されていたか

日本は敗戦国なので、マレーシアの日本統治時代が悪く書かれているかもしれないということは予想できたが、その通り悪い面が強調されて書かれているような印象を受けた。以前スイスで一緒に夜ご飯を食べた中華系マレーシア人に、彼のおじいさんが日本軍は残酷だったと言っていたということを食事中にいきなり言われて驚いたが、それも当時の日中戦争の影響があったのだろうか。シンガポール国立博物館でも日本統治時代は歴史上最も暗黒の時代だったと解説されていたが、シンガポールは中華系の民族が大多数を占める国なのでこれも日中戦争中の意識によるものだろうか。

旅のさなかでアジア人に日本軍の戦争の罪を責められたが、最終的には日本人を尊敬してもらえた話

しかし悪いことが書かれている中で、ぼくは最後の一文が気になった。すなわち

日本の占領期間は他の外国勢力に比べて短かったが、日本統治下での4年間の経験は、現地の人々に植民地化から国を解放する戦いを続ける並外れた力と精神を与えるのに十分だった。

という部分だ。この文章が具体的に何を言おうとしているのか掴み取りにくいが、解釈によっては日本がマレーシアからイギリスを追い出したことが、マレーシア独立のきっかけになったとも捉えることができる。もしくは同じアジア人である日本人が現地でイギリス人に勝利する姿を見て、アジア人であってもこれまで植民地支配してきた白人に打ち勝つことができるのだという意識がマレーシア人の中に芽生えたことが示唆されているようにも読み取れる。

敗戦国が悪く書かれてしまうのは仕方のないことだ。しかしそんな中でも日本統治時代がマレーシアの独立の契機となったことを意味する最後の文章に、同じアジア人からの隠された本音が見えているような気がした。これまでずっと白人国家に植民地支配され続けていたか弱き人々が、日本が白人を追い出すことなしに、果たして自力のみで独立を達成できたのだろうか。もしかしたらできたのかもしれないが、日本が来なかった場合に比べてはるかに時間がかかったことは想像に難くないだろう。

 

・日本統治時代はマレーシア人からよく思われていないのか?

このマレーシア国立博物館のように日本統治時代は酷い有様だったという内容が教科書などでも書かれているとすると、スイスで話した中華系マレーシア人のように、やはりマレーシア人は歴史的に日本に対していい印象を持っていないのだろうか。しかしそうばかりとも言い切れないのかもしれないと、ぼくはインドで知ることになった。インドのブッダガヤでマレーシアの大学院に留学している日本人と友達になる機会があったのだが、彼がマレーシア人などの東南アジアの若者たちと話していたところによると、日本が来てくれて白人を除去してくれてよかった、日本が来なければ東南アジアは独立していないだろと語っていたということだった。それは単なる一例に過ぎないがいずれにせよ、どのような歴史認識が教科書や博物館に書かれていようとも、若者は自分自身で様々な側面から情報を手に入れ、自分の中で納得できる歴史認識を構築できる時代が来ているのかもしれない。

 

・興味深かったマレーシア国立博物館の展示

 

・戦争に関する記事はこちら!

オランダ「アムステルダム国立美術館」で日清戦争はどのように解説されているのか、英語から翻訳してみた

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