最後まで残った空海の道!お遍路最後の寺・第12番「摩盧山 正寿院 焼山寺」は第11番から歩いて巡礼する

 

お遍路、最後の最後は歩いて巡礼するぞー!!!!!

最後まで残った空海の道!お遍路最後の寺・第12番「摩盧山 正寿院 焼山寺」は第11番から歩いて巡礼する

・第11番藤井寺から第12番焼山寺まで歩きで行きたい!
・歩き遍路で出会った素敵な地元の人々
・中継ポイント「長戸庵」
・中継ポイント「柳水庵」
・中継ポイント「一本杉庵」
・ついに第12番焼山寺まで到着!!!
・第12番焼山寺と弘法大師の物語
・第12番焼山寺本堂
・第12番焼山寺大師堂
・第12番焼山寺お納経(御朱印)
・感動的だった第12番焼山寺御影、御姿
・その日のうちに第11番藤井寺まで帰れた

・第11番藤井寺から第12番焼山寺まで歩きで行きたい!

四国車中泊お遍路第11番!「金剛山 一乗院 藤井寺」は本堂の龍の絵が大迫力だった

さて、徳島県第11番藤井寺から開始したぼくの車中泊お遍路巡礼の旅も、いよいよ最後のお寺となった。最後のお寺は第12番「摩盧山 正寿院 焼山寺(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)」だった。普通ならば今まで通り、普通に車で行って終了となるところだが、最後だから思い切ってこの旅の趣向を変えてみようと試みた。そう思った理由は、ぼくがお遍路をしていてずっと感じてきたこともきっかけとなった。それは「お遍路は歩くものだ」ということだ。

初めてのお遍路だったのでお遍路がどういうものかも全く知らず、とりあえず車で来て、節約のための車中泊の旅を敢行してきた。しかし途中では駐車場料金がもったいないからと、遠くに車を止めて果てしなく歩いたこともあった。その先に見た歩き遍路の風景は雰囲気に魅了され、ぼくはお遍路とは本来歩くべきものなのだと心から実感した。よく考えてお遍路の歴史を考えてみれば、昔は車などなかったのだから、お遍路とは歩くためのものだったのだ。

「同行二人」。お遍路の最も重要なキーワードであるこの言葉は、たとえお遍路をひとりで歩いていたとしても、そばにはずっと弘法大師がついていてくれているという意味だ。また本来修行とは自分と向き合うためのもので他人は関係ないのであり、たとえ他人と歩いていても複数人で歩いていても、あなたは弘法大師とふたりきりで歩いているようなものなのだということも意味する。

やはりお遍路とは歩かなければならないものだという思い込みがぼくの中で燃え上がってきた。年寄りで足が悪いとか、病気があるとかなら車で仕方ないものの、ぼくは若くて健康的な人間なので、歩かない理由などないと徐々に思いが決まって来た。

ぼくはお遍路の最初からずっと心に残っている風景があった。それはいちばん最初のお寺、第11番藤井寺の風景である。お寺の奥に神聖な雰囲気のある山道があり、その山道を辿っていけば、なんと第12番焼山寺へと行き着くのだという。納経所のおじさんに尋ねてみると、全長12km、歩きで6時間くらいかかるということだった。お遍路逆打ち車の旅を見事に成し遂げたならば、最後の最後のお寺は第12番焼山寺だ。ぼくはお遍路の最後の最後に、絶対に第11番から第12番まで歩いて登り、お遍路を歩いて終了したかったのだ。

しかし問題はその間に車をどうするかだ。第12番焼山寺は山寺であり、第11番に駐車して出発したとして、6時間かけて第12番焼山寺へと到着し、そのまま往復して帰って来たとして、めちゃくちゃ短く見積もっても12時間はかかるだろう。1日で戻って来られるだろうか。またお遍路のパートナーである台湾人の哲ちゃんの意見も気にかかる。彼もぼくと同じく健康な男子なので無理だということはないだろうが、彼は常々「I’m lasy(ぼくは怠け者だ)」と言っていたので心配だ。

哲ちゃんに相談してみると、12時間で往復のトレッキングなんてそんなことできる?!と最初は消極的な雰囲気だったが、ぼくのやる気に満ち溢れている様子を見て、一緒に言ってくれると最後には賛成していくれた。インターネットで調べてみると、健脚なら5時間、普通の速さなら6時間と書かれていた。自分が健脚がどうか、歩くのが速いのかどうかもわからなかったので、とりあえず6時間はかかるだろうということで計画を立てることにした。

 

 

・歩き遍路で出会った素敵な地元の人々

 

第11番藤井寺に朝7時に到着!今日中に帰って来られるように早朝から歩き始める。何だかんだで第11番藤井寺を出発したのは7時半だった。この第11番藤井寺から第12番焼山寺までは「最後まで残った空海の道」と名付けられ、古えのお遍路の空気や雰囲気がそのまま残されているという。まさにそのように神聖な道の空気を存分に感じながら、ぼくたちは先を急いだ。

 

速く歩こう、速く歩こうとしているところに、地元のおじいちゃんが声をかけてくれたので、歩くスピードは格段に弱まったが、貴重な体験だった。おじいちゃんは普段からこのお遍路の道を手入れしてくれているようで、水路を作ったり椅子を作ったりしているのだと教えてくれた。このおじいちゃんのような人々の心、見返りを求めなくても人の役に立ちたいという慈悲の心で、清らかなお遍路の道は成り立っているのだということを実感し、感動した。このような人々と心が四国に根付いている限り、これからも美しいお遍路の道は残されていくことだろう。

おじいちゃんと別れて、今度はおばあちゃんに出会うと、おばあちゃんもこれまた話し好きでいろいろな情報を教えてくれた。お遍路で出会う地元の人々は、みんな親切で話し好きだ。

 

・中継ポイント「長戸庵」

最初の中継ポイントの長戸庵に到着したのは8時半だった。

 

・中継ポイント「柳水庵」

次なる中継ポイント柳水庵に着いたのは9時半。

 

・中継ポイント「一本杉庵」

次の中継ポイント一本杉庵へ着いたのは、10時半。ここは本当に本当に神秘的!!!ここを訪れるために第11番から第12番まで歩いてもいいと思えるほど、本当に感動的な場所!!!!!

 

・ついに第12番焼山寺まで到着!!!

そしてついに第12番焼山寺へと到着したのは、11時半だった。つまり7時半に第11番藤井寺を出発して、第12番焼山寺まで4時間で行けたということになる。意外と速く来られるのだなという感想だった。第11番藤井寺から第12番焼山寺までの道のりは、登ったり下ったりを繰り返す「遍路転がし」の厳しい道のりだったが、登り7割、下り3割という感じだった。最後の最後に下りが多くなるといった印象だ。ぼくたちは珍しくこの道を往復するので、帰りの道の方が下りが多くて楽になるということになる。4時間で来られたので、何とか今日中に往復できそうだ。

 

・第12番焼山寺と弘法大師の物語

お遍路最後のお寺第12番焼山寺に、歩いて来ることできて感動的だった。お遍路の真髄というものに、わずかながら触れられた思いがした。

縁起によると飛鳥時代に役行者が山を開いて、蔵王権現を祀ったのが第12番焼山寺の始まりだとされている。この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。弘仁6年ころ、弘法大師がこの地を巡られた際に一本杉で休んでいたところ、阿弥陀様があらわれた夢を見た。目を覚ますと目の前が火の海になっている。そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして妨害した。大師は「摩廬(水輪の意)の印」を結び真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの岩窟で姿をあらわした。大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の御加護のもと岩窟に封じ込めた。そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。また山は「焼山」となってしまったので大師が「焼山寺」と名付けたという。

 

 

・第12番焼山寺本堂

 

・第12番焼山寺大師堂

 

・第12番焼山寺境内の様子

 

・第12番焼山寺お納経(御朱印)

 

・感動的だった第12番焼山寺御影、御姿

のちの世を 思えば恭敬 焼山寺 死出や三途の 難所ありとも

お遍路88箇所のうち、最後のお納経と御姿をもらい受けるとき、何とも感動的なことが起こった!何と御姿がカラーだったのだ!こんなカラーの御姿なんて、全てのお遍路のお寺を回って来たけれど見たことがなかった。聞くとこの第12番焼山寺だけ最近カラーになったということだった!お遍路の最後の最後に、弘法大師から素敵なプレゼントをもらったような気がして感動した!

この第12番焼山寺の納経所には休憩所があり、そこではご飯も食べてもいいということだったので、ぼくたちは四国で繁栄していたマルナカで夜に買った半額のお弁当を食べて、参拝を終了し第11番藤井寺まで戻ることにした。

 

 

・その日のうちに第11番藤井寺まで帰れた

帰りは13時に第12番焼山寺を出発して、第11番藤井寺に到着したのは17時だった。まとめると、行きに4時間、帰りに4時間かかり、普通に健康な男子だと往復8時間かかるということがわかった。

 

 

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