メキシコシティの国立人類学博物館が面白すぎた!!!!!
古代の神秘が爆発する!メキシコシティの国立人類学博物館の見所を徹底解説
・ミズイロノタビのメキシコ国内の旅路
・地下鉄を使った国立人類学博物館への行き方
・国立人類学博物館のチケット売り場は平日なのに長蛇の列だった
・国立人類学博物館は見応えがありすぎて一日中いられる
・第1室:人類学入門、第2室:アメリカの人類、第3室:先古典期の中央高地
・第4室:テオティワカン
・第5室:トルテカと古典期終末期
・第6室:メシカ(アステカ)
・第7室:オアハカの諸文化(サポテコ、ミシュテカ)
・第8室:メキシコ湾岸の文化(オルメカ、ワステカ)
・第9室:マヤ
・第10室:メキシコ西部、第11室:メキシコ北部
・その他国立人類学博物館で興味深かったもの
目次
・ミズイロノタビのメキシコ国内の旅路
ミズイロノタビの中南米を巡る旅の第1ヶ国目は、中米のメキシコだった。メキシコではオアハカの死者の日を体験した後、首都のメキシコシティ、美しい街並みで有名な世界遺産のグアナファト、ピラミッド巡りの拠点となるメリダ、世界的に有名なリゾート地であるカンクンに滞在した。メキシコの旅路を表でまとめると以下の通りだった。
| 訪れた都市(時系列順) | 次の街への移動手段 | 経由地 |
| カンクン | 飛行機(LCCのVolaris) | |
| オアハカ | 長距離バス(AU) | |
| メキシコシティ | 長距離バス(ETN) | |
| グアナファト | 長距離バス(ETN)+飛行機(LCCのViva Aerobus)+長距離バス(ADO) | メキシコシティ、カンクン |
| メリダ | 長距離バス(ADO) | |
| カンクン |
・地下鉄を使った国立人類学博物館への行き方
オアハカの「死者の日」を満喫して次に訪れた首都のメキシコ・シティでは、3泊4日で国立人類学博物館とテオティワカンを訪れる計画を立てた。
まず最初に行ったのは国立人類学博物館。地下鉄のCthapultepecという駅で降りて、徒歩20分くらいだった。十分注意はしていたがメキシコシティは地下鉄も街中も特に危険は感じなかった。来る前はメキシコの首都なんて魔境だと思っていたので拍子抜けした。
Cthapultepecから歩いていくと道路沿いにめちゃくちゃ巨大な像を発見!これが国立人類学博物館の目印で、不思議で神秘的すぎて自然と博物館への期待が高まっていく。国立人類学博物館の入口はこの像の右側の方向にあるが、道路を渡って公園に入って橋を渡るという複雑なルートを通らないと入口に辿り着けないので注意。
・国立人類学博物館のチケット売り場は平日なのに長蛇の列だった
この日は平日のお昼だったのに、チケット売り場には長蛇の列が!こんなに人気の博物館だったのか!1時間くらい並んでようやくチケットを購入、もはやこの時点で疲労してしまった。こんなことなら朝イチに来ればよかった…料金は100ペソ(800円くらい)だった。
・国立人類学博物館は見応えがありすぎて一日中いられる
ぼくが朝イチに来ればよかったと後悔した理由はもうひとつあって、この国立人類学博物館はものすごく敷地が広くて、さらにめちゃくちゃ中身が充実していてめちゃくちゃ見応えがあった。こんなの1日あっても全然時間足りないわと感じるほどで、言葉にはできないほど感動的な博物館だった。
国立人類学博物館は1階と2階に大きく分かれているが、メキシコの考古学博物館になっている1階がメイン。2階は現代のメキシコの先住民族の文化が展示されていたりするが、マジで1階だけでも見るべきものが多すぎるので、ぼくは最大限の集中力と時間を1階に費やして、残った体力で2階を見学するという感じだった。おそらくほとんど全ての人はそんな感じになるだろう。
この記事では国立人類学博物館の1階部分の見所を写真と共に徹底解説しようと思う。なお国立人類学博物館の解説はほぼ全てスペイン語なので理解不能、気になった解説だけスマホの写真で撮って翻訳するのがいいだろう。館内は無料Wi-Fiあり。
・第1室:人類学入門、第2室:アメリカの人類、第3室:先古典期の中央高地
eztetl(血の石)
eztetl=血の石と名付けられた謎の石。めちゃくちゃ不思議な形をしていて、広大な国立人類学博物館の中でも他に類例を見なかった。唯一無二の神秘的な雰囲気があるので、神事に使われていた?16世紀メソアメリカにおける民族誌的研究書である「フィレンツェ写本」には、この石には赤白緑青黄金黒など様々な色の静脈や斑点があり、さらに美しいだけではなく薬用としても利用され、遠い場所から運んで来て削って飲んでいたという。
アクロバットな像
アクロバットな像は、メキシコ盆地の先古典期集落におけるオルメカの影響を示している。メキシコ州トラティルコの埋葬地154から出土した、紀元前15世紀~6世紀の作品。
・第4室:テオティワカン
ミクトランテクートリの円盤
ミクトランテクートリとはアステカ(1428年頃〜1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明国家)神話において、死者を支配する死神。
羽根のある蛇の神殿の複製
羽根のある蛇は、ケツァルコアトルとも呼ばれるメソアメリカ文化で最古且つ最も重要な神のひとつ。明日訪れるメキシコシティ近郊の古代遺跡テオティワカンではケツァルコアトルのピラミッドが隠れた見所となっている。ケツァルコアトルの原型は水や農耕の蛇神だったが、テオティワカン文明期(紀元前2世紀〜6,7世紀)には羽が生えた龍のような架空の姿となり生命、光、豊穣、文明、知識の神など様々な役割が付け加えられた。この写真ではわからないけれどめちゃくちゃ巨大で迫力ある展示。蛇神や龍が水を支配するという感性が日本を含むアジア的であり、アメリカ大陸原住民とアジア人が精神的に繋がっているという感覚を覚えた。
チャルチウィトリクエの像
チャルチウィトリクエと呼ばれる水の女神の像。ティオティワカンの月のピラミッド近くで発見されたため、月のピラミッドの上に置かれていたと考えられている。もしそれが正しければ太陽のピラミッドがトラロック(メソアメリカの雨の神)に捧げられたと考えられているのと同様に、月のピラミッドは豊穣と結びついた女神に捧げられていたことを示唆する。テオティワカン文明は主に農業を営んでいたため、人々が水と密接な関連性を持っていたのかもしれない。この像も規格外に巨大で圧倒されるほどの迫力がある!
トラロックのマスク
そんなテオティワカンの太陽のピラミッドに祀られた水神トラロックのマスクはこちら。これもメソアメリカで最も古く最も崇拝されていた神々のひとつ。
・第5室:トルテカと古典期終末期
テオティワカンが陥落した後はメキシコ中央高地に権力の空白が生じ、様々な集団がこれを利用して新たな都市を築いた。次の第5室では、10世紀頃に中央高地に入ったメキシコ北部の人々である非常に芸術的なトルテカ人のトルテカ文明について展示されている。
トゥーラ遺跡の戦士像
第5室のメインは、何と言ってもトゥーラ遺跡の戦士像。その高さは4.6mもあり像というよりむしろ柱で、圧倒的な存在感を解き放っていた。左右の手に謎の武器を持っているし、背中にまで顔があって何だか不思議で神秘的な雰囲気。トルテカ人についてはまだまだわかっていないことも多いらしく、謎めいた魅力に満ち溢れていた。
カカシュトラ遺跡の鳥人間の壁画の複製
カカシュトラ遺跡は壁画の保存状態がいいことで知られているという。
・第6室:メシカ(アステカ)
次の第6室では、後古典期後期(1250~1521年)におけるメシカ文化について展示されている。「メキシコ」という名前もこのメシカから来ており、この国立人類学博物館のメインとなる部屋だ。メシカ人は14世紀半ばに伝説上の北の都市アストランからやって来て、メキシコ渓谷にたどり着いた征服民族。
アステカ・カレンダー
この太陽石はアステカ・カレンダーとも呼ばれ、メシカ人の宇宙論と太陽崇拝を暗示する碑文が刻まれた一枚岩の円盤(後の時代の研究者はメシカのことをアステカと呼んだ、アステカ≒メシカ)。直径3.60m、厚さ122cm、重さ24トン以上とかなり巨大で、第6室の中央上方に堂々と展示されている。円盤の中央の太陽神のの周りにある4つの四角形に囲まれた文様は、宇宙が今まで経てきた4つの時代を示している。各時代ごとに新しい太陽が生まれ、滅び、そして現在は中央にある5番目の「太陽トナティウ」の時代。暦はさらに細かいモチーフの組み合わせにより、20日を1ヶ月月とする1年18ヵ月に分けられ、それにプラス「空の5日間」があり、ちょうど1年365日となる。アステカ人はこのカレンダーをもとに正確な農耕暦に従って労働し、その節目ごとに血の生贄を伴う祭事を行っていた。太陽の石は単に月日を刻むだけではなく、アステカ人の神秘的な宇宙観を表現している。
ジャガーのクアウシカリ
クアウシカリとは、アステカ人が儀式で生贄に捧げられた人間の心臓を入れるために用いた石の容器のこと。しばしば動物のモチーフ、特に鷲やジャガーで装飾されていたという。
ティソクの石
ティソクの石は1481年から1486年にかけて、おそらくはトラルテクトリ・ティソクの治世中に建造されたアステカ人の円形の一枚岩。上部には太陽神トナティウが描かれ、側面にはアステカ人もしくは神が他の人の髪をつかんで制圧する征服の場面が15場面描かれている。
シウコアトルの彫刻
シウコアトルは「火の蛇」、「太陽の蛇」を意味し、アステカ神話の中で最も強力な神。アステカ・カレンダー上にも描かれている。
コアトリクエの彫刻
コアトリクエはアステカ神話に登場する豊穣の女神。彼女は神々の母として崇められ、蛇のスカートをまとった女性の姿で描かれた。豊穣を象徴する垂れ下がった乳房、生命を象徴する人間の手とハートのネックレスなど、彼女の衣装は生と死を象徴していると言われる。
ショチピリの彫刻
ショチピリはアステカ文化において愛、ゲーム、美、花、トウモロコシ、快楽、神聖な陶酔の神とされる。名前は花の王子または花の貴族を意味し、実際に彼の体にも花が彫刻されている。
モクテスマの頭飾りの複製
モクテスマの頭飾りはケツァルという鳥の羽根を金であしらった頭飾りで、現在はオーストリアのウィーン民族学博物館に所蔵されている(これは複製)。伝説によればこの頭飾りはモクテスマ・ショコヨツィン(メシカ帝国の皇帝、1466-1520)の所有物だった可能性があるとされているが歴史的に確実な証拠はない。
ターコイズに覆われた頭蓋骨
ターコイズは古代メキシコにおいて非常に価値のある鉱石であり、神聖な意味合いを持っていたので、それを頭蓋骨に施すことは、権力、富、そして神々への捧げものを象徴していた。
・第7室:オアハカの諸文化(サポテコ、ミシュテカ)
コシーホの像

コシーホ(Cocijo)とはサポテコ族の雨の神様。コシーホの最も顕著な特徴の一つは、その描写にしばしばサポテク語の水を表す象形文字への言及が含まれていることであり、文字の早期発達はサポテコ文化の重要な要素だという。時には器を手に持った姿で描かれることもあり、トラロック(メソアメリカの雨の神)の像に似た、目を覆う仮面をかぶった姿で描かれることもある。仮面には牙と二股の舌が描かれている。
ターコイズの装飾品
ターコイズのモザイク円盤やターコイズで覆われたマスク。ターコイズ円盤は雨や水、季節の循環を表し、また珍しい石なので権力をも示すことができた。モンテ・アルバンの墓からはターコイズのマスクが出土し、冥界での再生や神との一体化を表すとされる。
踊る人々のレリーフ
オアハカのモンテ・アルバン近郊で見付かった「踊る人々のレリーフ」は、実は本当は楽しく踊る人々なんかではなく、戦争で捕えられた捕虜が全裸で拷問されたり男根を切り落とされたりして苦しんでいる様子を描いているという。股間に描かれている波のようなクネクネした模様は、去勢されて血を流している様子を表現しているらしい。
モンテ・アルバンで見た「踊る人々のレリーフ」は確かに全ての男性が去勢されていて恐ろしかったが、ここ国立人類学博物館では唯一男根が付いたままの壁画を発見することができた。なぜこの壁画だけは去勢されていないのか、もしかした本当にただ全裸の男性が踊るだけのレリーフなのか、謎は深まる。
太陽神の胸当て(右上)
儀式用の骨壷
サアチラから出土した食器
ジャガーの脚をした食器。古代オアハカでもジャガーが重要な動物だったことが伺える。
・第8室:メキシコ湾岸の文化(オルメカ、ワステカ)
サン・ロレンソの巨大頭部
サン・ロレンソは紀元前1500〜900年頃に発達したオルメカ文明の巨大都市中心であり後のマヤ、サポテコ、メシカ文明の原型(母なる文明)と呼ばれる存在。都市の重要地点に配置されたことや全て顔が異なることから、実在した支配者の肖像であると考えられている。かなり巨大な顔でインパクト抜群であり、ドラえもん映画「太陽王伝説」にも出てきた印象的な存在。
人間化したジャガーの像
オルメカ文明では人間とジャガーを融合した像が見られる。への字に曲がった口はジャガーの象徴。オルメカの人々がジャガーを信仰していたことを示し、また最強動物であるジャガーと融合することで王が権力を誇示させたのかもしれない。
レスラーの像
躍動感のあるレスラーの像。1933年に農夫によって発見された。なんだか子供の駄々っ子のようにも見え、威張っているジャイアンのようにも見える。古代アメリカのジャイアン?
メキシコ湾岸北部ワステカ地方のトラロック像
トラロックは雨の神でメソアメリカ全土で最も古く、最も崇拝されていた神々のひとつ。その信仰は中央アメリカの大部分に広まり、テスココ湖に定住したアステカ遊牧民に受け入れられ農耕の神として信仰された。
笑顔のマスク
見ているだけでこちらも笑顔になれる可愛い像たち。こういう心から笑っているニコニコの考古学展示物って世界中でも珍しいと感じる。考古学の展示を見て興味深いと思うことはあっても、心が癒されるとか楽しい気持ちになるのは初めてかも。何だか古代人と心が繋がれたような感覚。
・第9室:マヤ
チチェン・イッツァのチャクモール
チャクモールとは古典期終末から後古典期にかけてメソアメリカ全域において見られる、仰向けの状態で肘をつくような姿勢で上半身を起こして、顔を90度横へ向け、両手で腹部の上に皿や鉢のような容器を抱えて膝を折り曲げている人物像のこと。メキシコ北西部、ホンジュラス、エルサルバドルまで広い範囲の遺跡で確認されている。 チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神へ生贄などの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールの持つ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれたという。
ターコイズのモザイク円盤
ターコイズのモザイク円盤は戦士が腰の後ろにつけ、鏡として使われた。
プラセレス遺跡のレリーフ
プラセレス遺跡のレリーフは、元々マヤの寺院の赤い塗料で塗られた上部装飾の一部。マヤ文化の古典期にあたる西暦400年から600年の間に作られた。十字架、トウモロコシを暗示する象形文字、そして上部に鵜の頭で飾られた王家、頭飾りを身に着けた神格化された支配者の顔を持つマスクを表現した複雑な彫刻作品。側面にはセイバの木の花に似た耳飾りが着けられており、その頭にはシューク魚と大地の怪物イミックスとして知られる神話上の生き物の頭が付いている。下部には冥界と夜に関連するジャガーの顔がある。マスクの横には豊穣、水、知恵、そして多産の象徴を捧げ物として持っている2人の老人が描かれている。
キニチ・ハナーブ・パカルのマスク
キニチ・ハナーブ・パカル1世(603年 – 683年)は古典期後期のマヤの都市であるパレンケの王で、パレンケを大国に成長させ、また盛んに建築を行った。彼は12歳で王に即位し615年から683年まで統治し、歴史上最も長く統治した君主の一人となった。遺体は大量の翡翠製品で飾られ、翡翠の仮面を被っていた。
キニチ・ハナーブ・パカル1世の墓の複製

立派な王様だから遺体が翡翠の仮面で覆われ、首や手も翡翠で装飾されているのはわかるが、股間にもたったひとつ男根の形をしたような翡翠が置かれているのが興味深い、冥界での再生能力を象徴しているのだろうか。エジプトでも王のミイラは冥界での再生や復活を表すために勃起した男根が供えられていたというが、古代メキシコにも同じ感性を感じる。
笑顔の顔面像
もはや笑顔を通り越して、爆笑しているようにも見える顔の像。メキシコ沿岸部の笑顔の像よりも愉快な感じがして素晴らしい。
・第10室:メキシコ西部、第11室:メキシコ北部
マリナルテペックのマスク
このマスクは1921年10月15日に考古学者ポルフィリオ・アギーレによってゲレロ州マリナルテペックの古墳の中で発見された。発見後、2つの異なる時期に作られたことが判明した。もともとこの仮面は緑色岩で作られており、古典期のテオティワカン文化の特徴的な特徴と様式を備えていた。その後、後古典期にはアマゾナイト、トルコ石、貝殻のモザイクで装飾された。
タラスカ王国のチャクモール
タラスカ王国のチャクモール。チチェン・イッツァのものとは異なり全裸であり男性であることが強調されている。
・その他国立人類学博物館で興味深かったもの
古代メキシコの展示を見ていると、こういう人日本に実際にいそうという像がいっぱいあって楽しい気持ちになった。何か表情とか仕草とか文化とか、やっぱりアジアから歩いて旅して来た人々だから感性が似たところがあるのかなと感じた。
また古代メキシコの像は単独ではなく、2人で人間関係を表現しているのがとても面白かった。まるで古代から生活の様子が活き活きと伝わってくるようだ。


そして古代メキシコ像は何と言ってもデザインが複雑で奇抜で格好いい!こんなの人生で見たことのない世界観だと驚嘆したデザインが沢山あってとても刺激的だった。本当にどんなに長く見ていても飽きないくらいに新鮮な世界がどこまでも広がっていた。
ぼくの中で最高だと思ったデザインはこれ!マジでかっこいい!

古代メキシコには骸骨像も多く、今現在メキシコで溢れているドクロのお土産は一時的で観光的な最近の流行ではなく、古代から続く伝統なのだと思い知ることができた。
古代メキシコでは蛇が重要だったらしく、蛇像も多く残っていた。蛇やそこから派生した龍が雨や水の神様だという感性は、遠く離れた日本を含むアジアと同じだった。
焼き物に魚が描かれているというモチーフはまさに沖縄のやちむんと同じで強い繋がりを感じた。タイでもギリシャでも焼き物には魚が描かれていたので、もはや世界的な感性なのだろうか。
日本に数多く残る男根崇拝も、古代メキシコで確認することができて衝撃的だった。これに関しては別の記事を書こうと思う。
他にも面白いものが沢山あったが、書き切れないほどなのでこの辺で。
・メキシコの旅の記事一覧はこちら!




































