日本人にとって龍とは何か?日本昔ばなし「姉川と妹川」「おとみーさん」「小太郎と母龍」から龍の正体を解き明かしてみた

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龍の正体って一体何なのだろうか。

日本人にとって龍とは何か?日本昔ばなし「姉川と妹川」「おとみーさん」「小太郎と母龍」から龍の正体を解き明かしてみた

マレー半島を南下する旅の中で、龍とは何かを考えた
・日本昔ばなし「姉川と妹川」のあらすじ
・日本昔ばなし「おとみーさん」のあらすじ
・日本昔ばなし「小太郎と母龍」のあらすじ
・龍は水、雨、雲、川と密接に関係している
・龍とは性的な魅力を持った女性である
・ぼくの日本一周の旅は中島みゆき「銀の龍の背に乗って」から始まった

マレー半島を南下する旅の中で、龍とは何かを考えた

ぼくはマレー半島を南下する旅の中でタイ、マレーシア、シンガポールと東南アジア諸国を次々に巡った。その中でぼくは沢山の龍に出会い、果たして龍とは何かということに非常に興味を抱いた。

 

龍と言えば日本でも物語の中や神社仏閣などでよく見かける生き物なのでとても馴染み深いような気がしていたが、よくよく考えてみると人生の中で本物の生きた龍を見たこともなければ実在したという話を聞いたこともない。十二支はネズミや牛やウサギなどそのほとんどがそこら辺にいる本物の動物なのに、辰(=龍)だけは架空の生き物であることもかなり不思議だ。また実際に存在するわけでもない伝説上の生き物なのに、日本のみならず世界中で龍がその土地土地の信仰に根深く入り込んでいる様子は興味深いという他ない。

 

 

タイの仏教寺院ではナーガという蛇神が守り神の役割を果たしていたが、ナーガもかなり龍に近い存在ではないだろうか。ナーガは東南アジアの仏教圏の寺院で必ずと言っていいほどよく見かけるが、その発症はインド神話であるという。

 

 

またマレーシアやシンガポールなど華僑の影響が色濃い地域へ行けば、今度はナーガとはまた違った中華風の龍を度々目撃した。日本の龍もどちらかと言うとこの中華風の龍に近いものがあるだろう。

 

龍とは何かを調べるにおいて、インターネット上で気軽に検索して龍のWikipediaを見るだけでもよかったが、それでは誰にでもできるあまりに馬鹿馬鹿しい単純作業となってしまうので、ぼくは兼ねてから大好きだったアニメ「日本昔ばなし」で龍を題材にした物語を探し集め、その上で日本人にとって果たして龍とは何か、日本人はその精神構造において龍をどのように信仰してきた民族なのかを考察していこうと思う。その上で自分の旅の経験談も踏まえてさらに龍の考察を深められれば幸いである。

 

 

・日本昔ばなし「姉川と妹川」のあらすじ

「姉川と妹川」はぼくが最も好きな日本昔ばなしの物語のひとつだ。

 

昔、琵琶湖の近く伊吹山のふもとに、それはそれは元気のいい2人の姉と妹の姫が住んでいた。2人の正体は何なのか、どこから来てどこへ行くのか、誰が産んだ子なのか誰も知らなかった。それでも谷筋の村人たちは姫を大事にしていた。姫が村人の家まで来ると村人は姫にご飯をお供えし、そのお返しに姫は山で作った芳しい花輪を子供たちに贈るなど、村人と2人の姫は良好な関係性を築いていた。

 

 

その年は冬から梅雨の季節まで大雨が続いた。伊吹山から琵琶湖へと走るこの2つの谷筋には川がなく、降った雨は谷筋の合わさった高い池に溜まり、布団のように厚い苔に吸われ、そのまま地をくぐって遠く遠く琵琶湖へと吐き出されるのだった。たとえ大雨になっても山が崩れないのは太古の昔から生い茂った森のおかげだった。長く深い根が地の底で互いに絡み合い、地面を抑えてくれていた。しかしそれにも限りがある。

この谷筋にある村には川がなかったので田んぼを作ることができなかった。わずかな畑で稗や蕎麦を作るばかりだった。村人たちはいつまでも降り続く雨を見て心配し「土が水を吸いすぎている」「いつ山が弾けるかわかったものではない」「川があれば水が捌けるのに」「川があれば田んぼだってできるのに」と噂し合った。

 

あまりにひどい大雨に山が崩れることを予感した2人の姉妹は、人々の住む村を守るため覚悟を決めて池に飛び込む。そして別々に池の底を抜いて、池からは大量の水が琵琶湖へと流れ込んだ。濁流は一の谷と二の谷で二手に分かれて、凄まじい勢いで谷を駆け下った。姉妹は当然その水の流れに巻き込まれたが、やがて本来の姿である龍に姿を変え、川水と共に琵琶湖へと突き進んだ。人々はこの2匹の龍の姿を目撃し、その龍から花のいい香りがしたことから、あの美しい龍は姉妹の姫に違いないと理解した。

それ以来、伊吹山から琵琶湖に向かって2本の川が並んで流れるようになった。そのおかげで山の膨張は収まり、さらにたくさんの田んぼが川の水をいただいて作られるようになった。村人はその2本の川に2人の姫にちなんで「姉川」と「妹川」と名付けた。

この「姉川と妹川」は2人の姉妹が森で遊ぶ表現描写も素晴らしく、ぜひ映像で見てほしい一作。全然有名じゃないかもしれないけれど、あまり知られていない名作中の名作だと思う。この壮大な大自然における川の誕生の物語をたった10分でまとめ上げているのも実に素晴らしい!まるで見応えのある映画を一気に見てるみたい!

この作品の初版は2人の姉妹が木に吊り下げたブランコに乗って遊んでいたり、池の水を飲んで自由に楽しんでいたり、正体が不明であるところを見ると”森の精霊”の話なのかなと思ったが、まさか最後の最後に龍の化身だっという結末がやって来るなんて思いもよらなかった!今も滋賀県にある姉川と妹川の蛇行する姿を眺めて、古代の人々はまるで龍のようだと想像を膨らませたのだろうか。龍は川、そして水と深い関係がることを示唆する物語だ。そんな龍の信仰と、森の精霊というアニミズムが混ざり合ったまさに多神教的・日本的な奥深い物語だと感じずにはいられない。

 

・日本昔ばなし「おとみーさん」のあらすじ

次に紹介する「おとみーさん」も、まさか龍が出て来るとは思わなかった一作。

昔むかし、島根の頓原(とんばら)を流れている才谷川と神戸川が合流する辺りに吉兵衛というおじいさんが1人で住んでいた。最近になって雨が降る晩には地鳴りがして、その後は決まって女の泣き声が聞こえて来るので「千歯淵に妖怪でも住み着いたんだろうか」と吉兵衛じいさんは薄気味悪く感じていた。

 

その日は女の泣き声がいつまでも収まらないので、吉兵衛じいさんは思い切って千歯淵へその正体を確かめに行くことにした。すると淵へ下りたところに、若い女が裸でうずくまって泣いていた。驚いた吉兵衛じいさんは「何があったか知らんが雨の中こんなところにいちゃあ凍えちまう」と、家へ連れて帰ることにした。「誰にだって辛いことのひとつやふたつはあるもんじゃ」と吉兵衛じいさんは女を慰めたが、女は泣いていたその理由をついに言わないまま、朝になると姿が消えていた。

 

 

次の雨の日の夜にもまた地鳴りがし、また女の泣き声が聞こえてきた。吉兵衛じいさんはまた女が雨の中で泣いているんじゃないかと気になって千歯淵へ下りていくと、やっぱり女がこの前のように岩を抱いて裸で泣いていた。再度家に連れて帰り親切にすると、女はついに事情を始めた。

「私は千歯淵に住む龍の娘でございます。年頃になりましたので天の母のところに上ろうと、雨の晩を待っては雲に乗ろうと思っているのですが、体が弱くてうまく雲に乗れなかったのです。しかしおじいさんの優しさに力が湧きました。今度こそ必ず雲に乗って天に上ります。」

 

そう言い残すと龍の娘は帰って行った。そして次の雨の日の夜には、今までにはない激しい地鳴りがし、龍の娘はやっとの思いで天に上ることができた。心の中で応援していた吉兵衛じいさんもそれを見て龍の娘を祝福した。

「ドーッと1つ鳴れば雨、ドドーッ2つ鳴れば風、3つは雷、4つ鳴れば大水、5つは悪い病気、6つは大騒動、7つ鳴れば地震に山津波、このように天から太鼓の音が聞こえたならば私からの合図だと思ってください。これが私にできるせめてものお礼の印です。」と龍の娘は吉兵衛じいさんに伝えた。そのおかげでここ頓原では大きな災害に遭うこともなく、人々は安心して暮らすことができた。そして今でも頓原には龍を祀った祠が立っていてそれは「おとみーさん」と呼ばれている。

ぼくはこの物語を初めて見た時「最後のおとみーさんってどこから出てきたねん!唐突やな!」と思ったが、もしかしたら”音巳さん”ということなのかもしれない。龍と蛇はその姿や性質も似通っており、古代においてどこかで繋がっていたような印象を持つ。この物語の結末が太鼓の音で災いを知らせるということなので、音によって知らせる龍という存在が蛇(=巳)と混合し「おとみーさん」になったのだろうか。そしてやはり雨の夜に淵から天に上るということで、龍と水、雨、雲、川、淵との関係性は切っても切れないようだ。

 

・日本昔ばなし「小太郎と母龍」のあらすじ

 

まだこの地に人々が住み着き始めたばかりの太古の昔、信濃の国は山また山に覆われ人々は何とか住み着く場所を求めて日夜開拓に汗を流していた。その中でとりわけ力のある若くて逞しい長(おさ)がいた。その若い長のもとに、夜な夜な通うひとりの美しい女がいた。女の素性は明らかではなく人か神かもわからなかったが、長は気にもせず女との逢瀬を楽しんでいた。そんなある日長は戯れに女との別れ際、着物の裾に針のついた糸を付けておくと、糸はどこまでも伸び山中の窟にまで達した。女は龍の化身だとわかったが、その日以来女が長の元へ来ることはなかった。それから間もなくして長は死んだ。

ある日川の上流からひとりの赤ん坊が流れてきた。それは長と龍の子に違いなかったが、それを拾ったおばあさんは水神様の子に違いないと信じ、家に帰って「小太郎」と名付け大切に育てた。小太郎は龍の子だけあって少し変わり者で、食べては眠り食べては眠る「ものぐさ太郎」だった。しかしいざ働くとその能力はずば抜けていて、おばあさんが薪を拾って来るようにお願いすると山中の薪を持ち帰っておばあさんを驚かせた。しかしおばあさんはしばらくして病で死に、小太郎はひとりぼっちになってしまった。

 

 

7日7晩泣き続けた小太郎は、おばあさんが「お前はある日産川を流れてきたので水神様の子に違いない。本当の親は筑摩の湖に住んでいるに違いない」と言っていたことを思い出し、生まれ育った村に別れを告げ、産川沿いにどんどん山道を登っていった。筑摩の湖のそばの村で百姓達が「この辺りはやたら湖があって生きにくい、この湖が畑だったらなぁ」と言うのを聞き、狭い土地にしがみつき苦労して生活せざるを得ない信濃の人々の苦労を思い知った。「湖が畑だったら」という人々の思いは、また小太郎の見知らぬ父親である長の願いでもあった。そして小太郎の胸に若き長の血が蘇ってきた。それは若くて逞しい開拓への情熱だった。

 

そして小太郎は筑摩の湖に到着すると、声の限りにお母さんを読んだ。すると湖からひとりの女が現れた。小太郎は「おっかーお願いがある!オラ広い田んぼが欲しい!この湖の水をぶった切ってここを田んぼにしたい!オラ百姓の役に立ちたいだ!」と言うと、女は「お前のそういうところはお父さんにそっくりだ。お前のお父さんもやっぱりこの地方を開拓しようと熱い血に燃えていたのだよ。」と言い、本来の姿である龍に姿を変えた。そして小太郎に「お乗り、岩にぶつかって山を崩すんだ!」と言いながら、2人は山々に向かって体当たりを始めた。山を崩して湖の水を下界へ放流しようとしたのだった。

こうして何日も何日も母龍と小太郎は山々を崩し続けた。龍の体は傷だらけになりあちこち血を流しながらも、2人は決して止めようとはしなかった。そしてとうとうついに山は完全に切り崩され、筑摩の湖の水が大量に流れ出し、そこには青々とした水田ができた。命懸けで山を切り崩した小太郎と母龍は北の海へと消えて、その後誰も2人の姿を見た者はなかった。ただ村人達の間でいつまでもいつまでも小太郎と母龍の物語は語り継がれた。

この物語でも「姉川と妹川」のように龍は川を生み出し、人々に田んぼという水の富をもたらすことで信仰されていることがわかる。またアニメ日本昔ばなしのオープニング映像で龍の上に太鼓を持った不思議な少年が乗っているが、これこそまさに「小太郎と母龍」の姿であるという。この壮大な大自然の変動とそこに住む人々の営みを伝える「小太郎と母龍」は、まさに日本昔ばなしを象徴する物語であると言うことができる。

 

・龍は水、雨、雲、川と密接に関係している

日本昔ばなしには龍に関する話が本当にいっぱいあるが、今回はぼくが特に大好きで感動した物語を取り上げてみた。この3つの龍の物語から、ぼくたちは何を見出すことができるだろうか。

まず何と言っても龍は水に関係しているということだ。「姉川と妹川」「小太郎と母龍」では龍が川を作って村に水をもたらし米作りという富をもたらしたし、「おとみーさん」では龍は淵に住み雨の夜に雲に乗らなければならないと決まっている。大自然の中をうねりながら蛇行する川はまさに龍の姿のように見え、まさに川は龍の化身であると古代の人々は信じたのかもしれない。もしくは想像力豊かな古代人が、川の姿を見て龍という伝説上の生き物を思い付いたのだろうか。

いずれにして川と龍が人々の意識の中で深く繋がり、そこから川→水、川→雨、水→雲、雨→雲などと次々に観念が派生していった可能性は高い。

 

 

・龍とは性的な魅力を持った女性である

また上記3つの物語を見ていくと、龍というのは女性なのだろうかと疑ってしまう。龍といえば強く逞しい印象があったのでぼくの中ではどちらかというと男性っぽい存在だと思っていたが、意外なことに「姉川と妹川」「おとみーさん」「小太郎と母龍」ではいずれも龍の性別は女性だ。男は大地のように力強く、女は水のように柔軟であるという感性が、龍→水→女という観念の派生をもたらしたのだろうか。

温泉=女陰だから温泉には男根を祀る日本の風習があると「藤七温泉 彩雲荘」の巨大木造男根から学んだ

そういえば日本一周の旅の中で、日本人には温泉に男根像を祀るという風習があるということを発見した。その理由は温泉とは女性を意味しているので、そこに男根を祀ることで和合をひいては子孫繁栄や豊穣を表現することができるというものだった。なぜ温泉が女性を表すのか明確な理由はわからなかったが、大地の溝から温泉という水が溢れ出る様子がまさに女性的だという意見を唱える人もいた。女性は水的な存在であるという感性が連鎖を呼び、ついに龍は女性だという性質を獲得するに至った可能性は低くはない。

また単なる女性ではなく、龍は美しい女性として描かれているのも注目に値する。龍って何だか怖そうな恐ろしい外見をしているので、どうしても龍と美しい女性というものが繋がらないような気がするが、実際には上記の物語の中では龍は例外なく美しく描かれている。しかもただ単に美しいだけではなく、どこか性的であることも見逃せない。「おとみーさん」の龍なんて、美しい女が裸で泣いていたという。一体なぜこの物語の演出で裸である必要があったのだろうか。やはり何か深い意味が込められていると思わざるを得ない。吉兵衛じいさんは美しい裸の女を家に連れて帰って本当に慰めるだけで済んだのだろうか、吉兵衛じいさんが助兵衛じいさんになりはしなかったのだろうか、非常に気になる。

「小太郎と母龍」の物語では美女が毎晩若い男の家を訪れて、こちらの物語の方は明らかに男女の交わりを楽しんでいる。美女が夜になると毎晩家にやって来るなんて、男にとっては典型的な憧れのシチュエーションではないだろうか。ぼくは「おとみーさん」や「小太郎と母龍」の伝説を見ていると、ただの単純な子供向けの清らかな龍の物語ではなく、性的に成熟した男性の濃厚な欲望のようなものが裏側にドロドロと流れているのを感じる。そしてその欲望は女というものを媒介として勢いよく龍へと向かっていく。

 

 

・ぼくの日本一周の旅は中島みゆき「銀の龍の背に乗って」から始まった

ぼくの日本一周・車中泊の旅の最終目的地は北海道礼文島の澄海岬だった。なぜならここは、中島みゆきの名曲「銀の龍の背に乗って」のミュージックビデオが撮影された場所だからだ。つまりぼくの日本一周の旅は、龍によって導かれたものであると言っても過言ではない。

銀の龍の背に乗ってのMV撮影地!礼文島の澄海岬まで自転車で行って3000円の生ウニ丼を食べた

また「銀の龍の背に乗って」はドラマ「Dr.コトー診療所」のために作られた楽曲であり、ぼくはDr.コトー診療所の撮影地である沖縄の日本最西端の離島・与那国島で研修医として働いた経験も持っている。

Dr.コトーの撮影地!沖縄県与那国島が研修医のぼくに本当の幸福の意味を教えてくれた

日本の北の端から西の端まで、ぼくの人生は「銀の龍の背に乗って」によって運命的に突き動かされているような気運すらある。

銀の龍の背に乗って
届けに行こう 命の砂漠へ
銀の龍の背に乗って
運んで行こう 雨雲の渦を

 

(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)

やはり中島みゆきの歌詞の中でも、龍は雨雲を運んでいる。中島みゆきは適当にではなく、龍は水に関わるという性質をきちんと研究して歌詞を書いていることがわかる一作である。そして”銀の龍”の正体とは、船が走った後にできる白波であると中島みゆき自身が語っている。「銀の龍の背に乗って」という歌を生み出すことで、中島みゆきは水の上にできる白波ですら龍になるという新たな時代の龍の物語を創作しているのかもしれない。

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