鮮やかな花々とさくらんぼ香るスペイン巡礼5日目!エステーリャとすべての重き荷を背負う者

 

野生のさくらんぼ食べました。

鮮やかな花々とさくらんぼ香るスペイン巡礼5日目!エステーリャとすべての重き荷を背負う者

・鮮やかな花々とさくらんぼ香るエステーリャまでの道のり
・エステーリャと星の伝説
・すべての重き荷を背負う者
・スペイン巡礼5日目記録

・鮮やかな花々とさくらんぼ香るエステーリャまでの道のり

 

プエンテ・ラ・レイナで朝の6時半くらいに出ると、宿のベッドを余裕で取ることができることに気づいたぼくたちは、今後早朝6時半に歩き始めることにした。次の町の宿のベッドの確保がおおよそ保証されているということは、巡礼を歩いている際の精神衛生上にもかなりよい効果をもたらすものだった。

プエンテ・ラ・レイナの次は、エステーリャという町。距離は22kmなのでこれまで1日歩いた距離と同じくらいだ。これまで巡礼の道を歩いていると、人間というものは大体時速4kmだということがわかった。ぼくは人間というか自分が10kmの重き荷を負って歩いた場合に時速何kmなのか見当もつかなかったが、これまでの巡礼の道を省みてみると大体時速4kmほどのようだ。

 

 

プエンテ・ラ・レイナからエステーリャまでの道のりは、鮮やかな花が印象的だった。眩しいくらいに黄色い花々や、美しいコクリコの花が咲きみだれ、巡礼の道に疲れた肉体と心を癒してくれる。麦畑の中にひとつだけちょこんと真っ赤なコクリコの花が咲いていたりすると、なんとなく孤独で可憐で美しい。

 

途中の道にはさくらんぼが咲いていたりして、巡礼者は熟れた赤色の実を選んで摘み取り、野生のさくらんぼを食べることを楽しんでいた。日本で売っているのよりは甘くはなかったが、それでも野生の木の実を食べる機会なんて全然ないのでとても思い出に残るものになった。

 

 

・エステーリャと星の伝説

 

エステーリャの町に到着して、Cirauquiという6ユーロのアルベルゲのベッドを押さえることができた。安いがWi-Fiは遅め。キッチンあり。宿に重い荷物を置いて町を散策すると、エステーリャは思ったよりもずっと大きい町のようだった。便利なスーパーマーケットが数件立ち並んでいるし、大きくて歴史の深そうな教会や、美しい噴水の流れる広場、それに中華レストランだってあった。

 

 

ぼくたちは宿で出会った台湾人女性と日本人女性と一緒に、その中華料理屋さんでランチを食べた。8ユーロで前菜、メイン、デザート、飲み物までついてきて、それでいて懐かしいアジアの味が大変美味しく大満足だった。

 

エステーリャはスペイン語で「星」という意味であり「星の雨が降り注ぎ、埋もれていた聖母像を照らしだした」という伝説の残る、まさにカミーノの巡礼路にふさわしい物語を残している美しい街だった。あの「アルケミスト」を書いたパウロ・コエーリョのデビュー作も「星の巡礼」という、カミーノにまつわる物語である。ここでもやはり星。カミーノと星は、切っても切れない密接な関わり合いのもとで存在しているのだ。この街には有名なワインの出てくる蛇口もあるという。明日たずねてみよう。

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スペイン巡礼の前後に!パウロ・コエーリョ「星の巡礼」の心に響く名言たち

 

・すべての重き荷を背負う者

巡礼のための重き荷を宿に置いて町を歩いていると、まだ宿を取っていない、これから先の道を急ぐ巡礼者たちの姿を見かけることがある。重き荷を背負いながら巡礼していると、彼らの大きな荷物の重みを推量することができるが、しかし決して彼らの荷物の重さを代わりに引き受けることはできない。彼らの荷物を背負う苦しみは、巡礼の道を行く者同士、痛いほどわかっているはずなのに、だからと自分の荷物に加えて彼らの荷物を担おうとは思わない。人は誰でも、重き荷を背負いながら、それを他人の誰にも渡すことなく、自分自身で担っていくものだ。

重き荷を負いて坂道をのぼりゆく者ひとつ
重き荷も坂も他人には他人には見えはしない

まだ空は見えないか まだ星は見えないか
這い上がれ這い上がれと自分を呼びながら 呼びながら”

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その重き荷が、生まれながらの運命であるときもある。育ってゆく流れの中での、迂回路のような定めの時もある。無慈悲で不条理な大きな力によって植えつけられた、悲しい傷の時もある。いずれにしても重き荷の苦しみを、世界に向かって嘆いて叫んでも意味がない。嘆いたところで重き荷はあなたから解き放たれることはなく、より一層あなたの痛みの中へと沈んでいくことだろう。人間は生きていく寂しさのあまりに、つがいになって一生を誰かと共に生きようとするけれど、結局人はひとりで生まれひとりで死んでいくことにやがては気付くだろう。

天から担わされた重き荷は、自分だけの秘密。誰に打ち明けてみても、それが軽くならないことを知っているから。誰にも担わせない重き荷は、自分を自分へと帰す道。誰にも見えない重き荷は、いつしか自分だけの宝物になる。自分を語ることのできる自分を、心の中に育ててゆく。

巡礼の道の途上ならば、重き荷を目で見て確かめることができる。あの人の荷物はどんなにか重いだろうと、慮って心配されることができる。しかしこの世に生きる人々のほとんどにおいて、重き荷は誰の目にも見えない幻影だ。背負っているのだと語ってみたところで、不審がられて疑われる蜃気楼だ。誰よりもはるかに重き荷を背負いながら、なにひとつ背負っていないくせにと語られる人もある。なにひとつ背負っていないと明るく振る舞い笑いながら、重き荷の重圧に押しつぶされそうになって生きる人もある。誰も他人の重き荷を、決して見ることはできない。

誰もが重き荷を背負っていることを知りながら、自らの重き荷を背負うのに精一杯になってしまう。他人に軽々と語り、手渡せるものならば、それは重き荷とは呼ばれない。誰にも見えず、誰にも手渡せない根源的な重き荷を、傷ついた者たちの魂の底で感じながら、世の中の苦海は波打っていく。この重き荷がなくなればどんなに生きることは楽だろうと、重き荷を宝物のように抱きしめながら…。

巡礼の道で擦れ違う人々の重き荷さえも背負えずに、どんな顔をして生きればいいのだろうか。他人の痛みをわかるふりをして、他人に慈しみを与えるふりをして、結局は自分が傷つかないように守っていくだけの愚かな日々を、どのように生きていけばいいのだろうか。

どうすれば他人の重き荷を背負えるのだろうか。重き荷のほんの片隅の破片でも、与えられたのならばどんなに幸福だろうか。すべての人の重き荷を背負えることは幸福だろうか。カミーノの道の途上のすべての町に祀られた、十字架の上の彼は幸福だろうか。

 

 

・スペイン巡礼5日目記録

出発6時半 到着13時30分
消費カロリー918kcal 歩数41493歩
移動距離26km

健康状態:両足小指のマメはティッシュを巻くことにより安定

 

 

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