この世にワインが出てくる蛇口があったなんて!
エステーリャでワインが出てくる蛇口に遭遇!スペイン巡礼6日目
・エステーリャのワインが出てくる蛇口
・ロス・アルコスの宿Albergue Isaac Santiago
・初のイカスミパエリヤ
・キリスト教のミサの経験〜不思議は不思議のままで〜
・エステーリャのワインが出てくる蛇口
エステーリャをいつも通り早朝の6時半に出発したぼくたちは、ロス・アルコスに向けて足を進めていた。まだ明けたばかりの空の下で、朝の冷たい空気を感じながら、エステーリャから出ようかというところで衝撃的なものを発見した!なんとワインの出る蛇口!これは巡礼者にとっては有名なようだが、この日に出現するとは知らなかった。
スペイン巡礼では毎日サングリアを飲んでいたり、アルベルゲの夕食にワインが付いていたりと、スペイン巡礼とワインのつながりは深いように感じる。日本だと、お寺にいる時や宗教的な修行をする時などは、お酒を飲んでいたらなんとなく不真面目な印象になってしまうような気がするが、ここカミーノでは教会に附属しているアルベルゲでもワインが出てきたりと寛容な雰囲気に包まれている。おそらくパンはキリストの肉体であり、ワインはキリストの血であるということが影響しているのだろうか。
蛇口をひねると、まさにワインが水のように出てくるのでびっくりする!しかも普通に閑散とした場所にあり見張りもいないので飲みたい放題!ぼくたちはさすがに今飲んだらこれから5時間くらい歩くのに支障を来すだろうと考えて、てらちゃんが大きいペットボトルの半分くらいにワインを注いで次の街まで携えてくれた。
エステーリャからロス・アルコスまでの道での新パターンは、途中で道が2つに分かれたことである。どちらに行ってもロス・アルゴスまでたどり着けるのだが、距離が違う。16.8kmと17.9km。どちらが大変な道かなど詳細は書かれていないが、普通に考えて16.8kmの方が距離は短いけれど険しい道のりであることが予想される。この究極の選択において、ぼくたちは険しくて短いであろう16.8kmの道の方を選んだ。しかしこちらもそんなに険しい上り坂があるというわけではなかったので問題はなかった。この日は早く、13時ごろにはロス・アルコスに到着した。
・ロス・アルコスの宿Albergue Isaac Santiago
ロス・アルコスでは6ユーロのアルベルゲAlbergue Isaac Santiagoに宿泊した。トイレは2つ、シャワーは3つ。宿泊人数も少ないので居心地はよかった。ただ、Wi-Fiは遅く使いものにならない。
・初のイカスミパエリヤ
ロス・アルコスでは生まれて初めてのイカスミパエリヤを食べた。これが本当に美味しかった!きちんと鍋で出てきて本格的な感じがするし、海鮮の出汁が効いていて量も多いし大満足だった。またイカスミパエリヤ食べたい!
ロス・アルコスは小さくて居心地のよい静かな村のような雰囲気だった。スペイン巡礼でしか行かないような村々を毎日訪れられていることを、幸福に思う。
・キリスト教のミサの経験〜不思議は不思議のままで〜
ぼくはロス・アルコスで、スペイン巡礼2回目のミサを経験するために教会を訪れた。キリスト教徒ではないので、ミサがどのようなものかまったくわからなかったが、実際に訪れると不思議なことばかりだった。みんなが神父さんから神聖な食べ物としてのクッキーをもらったり、近隣の人々と握手し合ったり、どのような意味でこれらの行為が執り行われているのか興味深かった。そんなことインターネットで調べればすぐにでも解決してしまうような疑問なのだけれど、ぼくはまだインターネットで調べずに自分の中で深め、凝縮し、自分なりの解釈を持とうという思いに至った。
なんでもかんでも好奇心の赴くままに、検索すれば答えが出てしまうこの時代。そしてその解答を脳の中に蓄えては誇らしげに語り合う人々の顔面が街を彩ってゆく。しかし本当に、素早く調べられることが偉大なのだろうか。答えを早急に手に入れることは誇りになるのだろうか。そこには記憶という無機質な扉しか介さず、自分というこの世に生まれて生きてきた今までの尊い感性を彩る場面はあるのだろうか。
疑問に思えば検索することは簡単だ。しかし検索する前に、自らの中へと咀嚼し、吸収し、自分なりの思いをまとった答えを持ち歩くことも生きていく上で大切ではないだろうか。たとえそれが大きな間違いであったとしても、自分の感性により生み出された解答は、どんな正しさよりも輝いているのではないだろうか。ぼくたちはいつのまに、こんなにも間違うことを恐れてしまったのだろうか。どうしてこんなにも正しいものばかり掴み取らされるのだろうか。美しく間違いながら、感性の深みを生きてみないか。