タコ!!!!!
スペイン巡礼30日目!麗しきタコ料理の都メリーデ(Melide)と終わらない巡礼の旅の行方
・Melideは麗しきタコ料理の都
・タコ料理は普通に日本の方が美味しい
・巡礼の旅はまだ終わらない
・スペイン巡礼30日目記録
・Melideは麗しきタコ料理の都
スペイン巡礼も本当に終わりの雰囲気!今日はPalas de ReiからArzuaまでの28kmの道のりを歩いた。今日はちょっと長めの距離だが、ガリシアの多様な大自然の中を心地よく歩くことができた。今日のガリシア地方の天気も移り変わりが激しかった。曇天かと思ったら、急に雲ひとつない青空になったり、それでも夕方からはまた雲ばかりの空に変わったりして落ち着きがない。
今日のPalas de ReiからArzuaまでの道のりの途中には、タコ料理で有名なMelideという街があったので、当然昼食にタコを食べるために立ち止まった。歩いていると、カウンターでタコを茹でているおじさんが話しかけてくれて、瞬く間にタコを試食させられ、気の小さいぼくたち日本人は中でタコを食べないわけにはいかずに、いそいそと入店した。しかしこのレストランはタコ専門料理店として有名らしく、タコ好きのぼくにとっては願ってもない店だった。
これまでのカミーノの道のりでも、タコ料理を食べまくり、その度にてらちゃんに呆れられてきた。昨日の夜もPalas de Reiでタコ料理専門店を示す「Pulperia(タコのことをスペイン語でpulpoという)」というレストランに入り、タコ料理を食べまくったところだった。
これまでの巡礼路で4回もタコ料理を食べ、それに付き合わされていたてらちゃんはもうタコに飽き飽きしたらしく、なんとこのタコ料理の都Melideのタコ料理専門店で、タコを食べずに目玉焼きを食べるという暴挙に出た。
ぼくは当然のように、タコ料理を頼んだ。10ユーロ以下で沢山のタコが入っている。さすがにこれまでの街のタコ料理に比べても、格段に安く量も多かった。そしてタコの美味しさがやっぱり違った!これまでの街のタコと比べても、歯ごたえがあり弾力がある。うどんでもラーメンでも固めが好きなぼくはこの街の茹でダコが最も気に入った。オリーブオイルと岩塩でシンプルに味付けされた、弾力性のあるタコはぼくの好みだった。
・タコ料理は普通に日本の方が美味しい
それにしても、タコ料理で有名なガリシアのタコ料理といえば、オリーブオイルとパプリカと岩塩で味付けされた、ジャガイモを添えたシンプルなものだが、いくらタコ料理が有名でぼくがタコ好きだと言っても、タコ料理に関してはスペイン日本の方がはるかに優れているように思われた。
日本には様々に工夫されたタコ料理がある。タコのお刺身もあれば、タコのお寿司や海鮮丼や酢の物もあるし、大阪には何と言ってもたこ焼きがあるし、お好み焼きにタコを入れても格段に美味しくなる。また宮古島に住んでいた時の「すむばり食堂」というタコ料理屋さんの、タコ丼やタコを入れた宮古そばもちょっと考えられないくらいに美味しかった。
タコの醤油やソースとのまたとなくマッチした親和性やタコ料理の様々な工夫を日本で知ってしまった後では、オリーブオイルとパプリカの味付けのスペイン風のタコ料理の味付けはやや物足りなく感じられた。
・巡礼の旅はまだ終わらない
スペイン巡礼も順調に行けばあと2日で終わることになる。自分自身の肉体と足だけで、重き荷を背負いながらも800kmを歩くことができるのだと知って、ぼくはその達成感の中でやっと終わるのだと喜びを噛み締めているのだが、どうやらてらちゃんはスペイン巡礼が終わるのが悲しいらしい。歩くのが大好きなてらちゃんは、もっともっと歩きたいらしいのだ。
ぼくたちはサンティアゴという聖地にたどり着くためにはるばる800km歩いてきたのに、いざたどり着こうとするとそれが悲しくなるなんて不思議で面白い感情だ。ぼくたちは旅の終わりを知っている。旅の終わる日にちもなんとなく推測することができる。旅に目的があり、それが達成されるという旅の終わりを知っているということは。幸福なことなのだろうか。
ぼくたちは、この生命の終わりを知らない。いつ、どのように、どんな場所で、死んでしまうのか見当もつかない。見当もつかないからこそ、今という時間を必死に、もがきながらでも浮世を渡っていくのかもしれない。なんのために生きているのか、なんのための人生なのか、なんのための生命なのか、はっきりと目的や理由がわかってしまったあとでは、それを達成する自分自身を思い描いてしまったあとでは、生きることは少しさみしくいたたまれなくなるのかもしれない。
目標や夢をはっきりと持たなければ生きている甲斐がないと主張する人々も世の中には多く見受けられるが、果たしてそれは本当だろうか。ぼくたちは本当に、未来においてなにかを達成するためだけという単純な次元において、この生命を授けられたのだろうか。目的や未来を見据えた生き方なんて、それにより合理的に現在を支配される生き方なんて、どこか虚しいだけではないだろうか。本当はぼくたちは、未来なんて見向きもせず、一瞬一瞬というΔtを燃やし尽くすためだけに生きているのではないだろうか。
見当もつかないからこそ、面白い。たとえこの肉体が滅びようとも、心や魂は別次元へと引き継がれ、引き続き存続していくものかもしれない。どのような終わりかがわからない、なんのための人生かわからない、だからこそどこまでもいつまでもそれをさがし当てるために、生きることに決して飽きないのかもしれない。
“語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は 忘れられても
ヘッドライト・テールライト
旅はまだ終わらない
ヘッドライト・テールライト
旅はまだ終わらない”
問い続けることだけが、人の生きる道だ。問わない者は人ではない。いつまでもわからないのだということだけを、胸の奥でわかりながら、生きるという巡礼の旅は永遠に続けられる。たとえカミーノが終わったあとでさえも。
・スペイン巡礼30日目記録
出発6時半 到着15時00分
消費カロリー1085kcal 歩数55625歩
移動距離34.8km