人が労働する理由と、そこからの脱出方法とは?
人はなぜ働くのか?ワクチンバイトでFIREして労働から解脱した世界一周フリーランス医師の一例
・人間は労働しなければ生きられないというのは本当か?
・原始労働に立ち返ることにより現代労働の特徴を見出す
・お金の発明
・世界一周医師が労働から解脱した一例
・天職に出会えれば労働も苦痛ではない
・魂の使命
目次
・人間は労働しなければ生きられないというのは本当か?
ぼくたちは幼い頃から、人間は労働しなければ生きられない生物だと認識する。自分の親が労働するために毎日家から出かけていく姿を見れば、自分も大人になったらこのように労働することになるのだろうと子供たちが気付くのも当然だ。また子供時代にはしばしば大人たちから「大きくなったら何になりたい?」と将来の夢を尋ねられることもあり、子供たちは大人になったら社会的に何かしらの役割を担いながら働かなければならないのだろうということを知らず知らずのうちに予感することになる。特に誰かから教えられる必要もなく、人間というものは社会の中で労働しながら生活する生き物なのだということを、子供たちは自然と認識していくような環境にぼくたちは生きている。
もう少し大きくなれば国民の三代義務は「教育を受けさせる義務」「勤労の義務」「納税の義務」でそこには労働が含まれているのだと学校で学ぶことにより、人間はどうやら労働から逃れられない運命にある生き物なのだということを確信し始めるだろう。では果たして労働とは一体何なのだろうか。
様々な定義や考え方があるとは思うが突き詰めて考えていけば、労働とは他人の役に立つことによってお金を稼ぐ行為に他ならない。そして人間はその労働によって稼いだお金で、食べ物を買ったり家賃を払ったりして日々生活していくことになる。人間が人間として最低限の質を維持しながら生きていく以上食費や家賃を支払うことは避けられないので、ぼくたちは人間らしく生きるために人生の中で労働しては消費し、お金を稼いでは使うという無限ループを形成し、その輪廻転生の中に巻き込まれながら生きていかざるを得ない状況に陥っていく。
人間社会は20代から60代まで労働すれば許されるという特徴を持っており、60代以降は労働しなくても国家から年金をもらえたり今まで蓄えてきたお金を使うことによって生きていくことが可能となる。しかし逆に言えばほとんどの人間が、20代から60代という人生の中で最も若くて健康で素晴らしい時代のほとんどの時間を、労働に捧げることになる。労働に捧げるということは他人の役に立つということであり、自分というよりもむしろ他人のために人生の貴重な時間を費やしながら生きていくことを意味する。
給料がもらえるのだから自分のためにもなっているじゃないかという意見もあるかもしれないが、20代から60代という人生の中で最も若くて健康で美しく、何でもできる素晴らしい時間を換金したら1ヶ月30万円ほどというのは、果たして正式な取引が行われていると言えるのだろうか。本当はぼくたちの若い時間なんて、1億円とか1兆円とかむしろそれ以上の価値や値打ちがあるのではないだろうか。ぼくには”人間らしい生活”を人質に取られて、本当は叶えたい自分自身の情熱や直感や使命を置き去りに、他人の役に立つという労働を強制されているようにしか見えない。
その証拠に労働を好きという人をほとんど見かけることがない。みんな生活のために、人間らしく生きるために、見栄やプライドのために、嫌々労働へ出かけていくに過ぎない。しかし冷静に考えてみればそれってこの世で最上級におかしなことではないだろうか。せっかく数億個の精子競争を勝ち抜いてこの世に爆誕したのに、そんな貴重な生命の最も輝かしく美しい何でもできる若い時間を、やりたくもない労働に捧げながら日々を消耗していくなんて正気の沙汰とは思えない。ぼくたちが人間として生きられる時間なんてほんの100年くらいしかないのだから、その中の知能や体力の最も成熟した若い黄金の時間は、自らの魂の情熱や直感や使命へと100%注ぎ込んで燃え盛るように生き抜くべきだというのがぼくの主張だ。
しかし果たしてどうすればそんなことが実現可能なのだろうか。そのためには人間が労働しなければならない、人間は自分のためではなく自分を犠牲にして見ず知らずの他人のために生きなければならない(=労働と同義)という呪いを、自らの精神から解き放つ必要がある。
・原始労働に立ち返ることにより現代労働の特徴を見出す
現代の労働は複雑多岐なシステムが繰り広げられており、その正体を確かめることは難解だ。人間にとっての労働の根本原理を確かめるためには、人間生活の基礎となるシンプルな原始時代について考察するのが適切だろう。最も基本的な生活を営む人間の原始時代の労働と言えば、狩りや魚釣りや木の実の採集などが挙げられるだろう。それは自分で自分の食料を獲得する行為であり、自分や家族の生活を成り立たせるために必要な行為であるように見える。
現代の労働と異なるのは、そこに他人の役に立つという行為を媒介しないということだ。原始時代の労働は自分が肉を食べたいから動物を狩り、自分がキノコを食べたいから森へ出かけてキノコを集めていそうだ。この場合肉を食べて生き延びたいという欲求が動物を追いかけて、殺して、食べるという行為に繋がり、狩りが自分のためになることが明確でわかりやすいのでかなり必死に、情熱的になり、本能的でやりがいのある行為となるのではないだろうか。
一方で現代の労働では会社のデスクでカタカタとパソコンを打つという他人のためになる行為が、お給料という自分のためのお金という結果になる。しかし他人の役に立つ行為を媒介している分まどろっこしく、人間の動物的な本能の部分ではパソコンをカタカタしている行為がなぜ自分の生存へと繋がっていくのか直感的に理解できず、だからこそ労働に情熱を感じられなかったり、嫌々働くようになる一因になっているのではないだろうか。
注目すべきなのは原始社会での労働が直接的に自分のためになる単純明確な行為であるのに対し、現代社会では労働=他人の役に立つ行為・自分の時間を売る行為→自分のためになる給料という複雑なプロセスが組み込まれているということだ。かつて人間は自分の生命維持のために、自分や家族のためになる行為(狩りや採集=原始労働)をしていれば生きられたのに、時代を経るとほとんどの人が他人のためになる行為(=現代労働)をしなければ自分のために生きられなくなっている模様だ。それはつまり現代の人間たちが、自分の情熱の実現ではなく他人の役に立つことに人生の若い時間のほとんどを費やすことを意味している。
現代は人間が自分の人生を犠牲にして、過剰に他人の役に立つことを強制されている奇妙な時代だ。しかし原始時代の労働を考察してみれば、労働とは本来他人の役に立つこととは無関係の、自分の自分による自分のための行為だったはずだ。自分のためになる原始労働から他人の役に立つ現代労働へと移り変わっていった経緯やその変遷のプロセスは定かではないが、全ての人が他人の役に立つ行為を強制させられることにより経済が激しく循環し、国家が豊かになっているのは間違いないだろう。お金を稼ぐことが人生の目的だと教え込まれるような資本主義の社会システムの中で、ぼくたちは自分の魂の使命を実現させるという情熱を抑圧され、個人的幸福を生贄として捧げながらも人間集団全体だけが豊かになれるように仕組まれた環境で育ってきたのかもしれない。
・お金の発明
原始社会においてもやがて分業が進み、狩りの得意な人々や魚釣りが得意な人々が出てきて、肉を沢山持つ人と魚を沢山持つ人に分かれたに違いない。しかし肉ばかり食べていたり魚ばかり食べていても栄養バランスが悪いし飽きるので、やがて彼らは肉と魚を交換するだろう。しかしいちいち重い肉や腐りやすい魚を持ち運びするのは面倒だということで、価値が保存され軽量の「お金」が発明されたのかもしれない。お金の主な役割は価値の保存、価値の測定、価値の交換であると言われる。このお金の誕生が人間に及ぼした影響は大きいだろうと予想され、原始労働と現代労働もお金を媒介しているかしていないかという違いがある。
お金が発明される前の原始社会では、肉や魚は長期間放置して腐ってしまえば食べられなくなるので価値がなくなり、価値の保存は困難だっただろう。その観点から言えば労働→消費→労働→消費…の輪廻を忙しく繰り返さなければならず、現代社会の人間と同じ運命を背負っているようだ。しかし一方でお金が発明された後の現代社会では価値の保存が容易にできるので、稼ぐ力を高めたり節約術を駆使することでコツコツと貯金し、獲得した価値を現在すぐに使い切るわけではなく未来の自分のために価値を温存しておくことが可能だ。
さらに最近になるとインターネットやネット証券も発明され、お金の価値を温存するばかりではなく時間の流れを味方につけて効率よく価値を増殖させることまで可能となった。そしてお金に関する適切な知識と、このお金を増殖させることができるという文明の利器を巧みに操れば、人間が現代労働から脱出し、自分を犠牲にしながら見知らぬ他人のために強制労働させられるという運命から解脱し、自らの魂の使命のために永遠に燃え盛るように生きることが可能になる。ここからはぼくの一例を見ていこう。
・世界一周医師が労働から解脱した一例
ぼくが医学生の時代から「労働で人生のほとんどが終わるのってヤバくない?」「せっかくこの世に生まれてきたのに自分のために生きることをせずに、見知らぬ他人の役に立つこと(=労働)で若い時代が過ぎ去るのっておかしくない?」と労働というシステムに対して違和感しか覚えていなかった。
さらにぼくは自らの魂の使命は世界中を旅することだと直感し、永遠に世界を巡礼しながら生きていたいと感じていたが、大学で医学しか学んでいないぼくにとってはどのようにすればそのような生き方が実現できるのか全く不明だった。しかし方法は分からなくてもとりあえず自分自身の直感に従って行動してみるより他はないと信じ、3年間医師として病院で労働して貯金した600万円で世界一周の旅に出ることにした。
現実的に世界を旅するためにはお金が必要だったし、そのお金を労働なしで獲得することは不可能だったので労働する他はなかった。そして600万円では永遠に世界を旅することなんてできないので、お金が尽きたら帰国してまた病院で労働するしかないのだろうと考えていたが、特に未来のことについて具体的に考えていなかった。過去に囚われることなく、未来を思い煩うことなく、今という瞬間だけに焦点を当てて当てて恐れることなく燃え盛るように生きることが重要だと考えていたからだ。
世界一周の旅は2年ほど続けたが新型コロナウイルスが世界中に猛威をふるい、世界一周は中断となった。当時は日本にいることしかできなかったので1年間ほど日本一周をし、その後にコロナワクチンが開発された。コロナワクチン接種には医師のチェックが必要不可欠だったので、ぼくは旅人からコロナワクチンバイト医に転身し、3年ほどフリーランス医師として労働した。コロナワクチンバイトは医師免許を持ったぼくがお金を稼ぐ力を効率よく最大限に発揮することができた機会であり、その他お金を貯める力、増やす力、守る力も駆使することによって一生旅ができるほどの資産形成をすることができた。
もちろんコロナワクチンバイトの給料をそのまま使い切ってしまうだけでは何十年後かに枯渇してしまうのかもしれないが、ネット証券などを使ってお金が増殖するという現代の仕組みを利用すれば、永遠に旅ができそうな気配がする。実際にぼくはコロナワクチンバイトを3年で辞めて再び世界一周の旅に出て2年になるが、資産は減るどころか増え続けている。今は偶然相場がいいだけなのかもしれないが、労働を一切することなく世界を旅することで資産が右肩上がりになるということは、奇妙な労働システムから完全に解脱し自らの魂の使命のために一生生きられる運命が与えられたことを予感させる。
解脱のために重要だと思われた要素はまず日々を真剣に生き抜くことによって常識に対して違和感を抱くこと(ブログ「みずいろてすと」のテーマそのものが、世の中で言われている常識は本当なのかという深い追究)、さらに考察の末自分の感性からすればその常識は異常だと感じられたならそこから抜け出すために何ができるのかを必死に考え問い続けること、結果としてその答えに辿り着けなかったとしても自らの直感の指し示す方角へと向かって行動を起こしてみることだった。
その違和感を保持したまま燃え盛るように行動を引き起こしていれば、やがては運命が解決へと通じる軌道をもたらし、かつては導き出すことのできなかった難問への回答さえ与えられるものなのだと、ぼくは世界一周の旅とコロナワクチンバイトから学んだ。この”学び”とは本や動画からの空虚な情報ではなく、自分自身が人生を賭けて勝ち得た、実際にこの肉体と精神に刻み込まれている結論だからこそ意味深いものだったと確信している。
また現実問題としてお金を稼ぐ力をバグらせることを筆頭に、お金に関する総合的な力(稼ぐ力、貯める力、増やす力、守る力、使う力)を高めること、自分の得意分野を最大限に伸ばして、さらにそれを活用できるような運命的な世界の潮流を即座に掴み取る瞬発力も必要となってくる。ぼくの場合で言えば学問が得意だったことを活かして医師免許を取得し、さらに前代未聞のコロナ禍という天災の中で医師という資格を活用しながら日本中で旅するように労働するという高時給コロナワクチンバイトのスタイルを見出した。
・天職に出会えれば労働も苦痛ではない
ぼくがコロナワクチンバイトで得た知識はそれだけではない。ぼくは労働とは誰もが嫌々やっているものだと思い込んでいたが、実際には労働が楽しくて楽しくて仕方がない場合もあるのだということを知るに至った。それはまさに自分自身がそのような状態に陥ったからで、日本中をまるで旅するかのように労働してお金を稼げるコロナワクチンバイトは旅人のぼくの魂と強い親和性で共鳴し、コロナワクチンバイトがやりたくてやりたくて仕方がない体になってしまった。こういうのを天職と呼ぶのだろうと、ぼくは自分の経験から実際に学んだ。
しかし天職に巡り会える人などほんの一握りであり、ほとんどの人々はやはり生活や人生を人質に取られているから仕方なく嫌々労働しているだけで、もしも莫大な資産があったら別に働かないのだろうというような人が大半であるという意見は変わらないかもしれない。それでもコロナワクチンバイトで働く人々は楽しそうに労働している人が多かったように感じる。やはりお給料が高いと幸福感を伴って働けるものであり、ほとんどの人々が嫌々働くことになってしまうのは低賃金であることが理由なのだろうか。
・魂の使命
またぼくのように自分自身の魂の使命や情熱、好きなことややりたいことが分からないという人も多かった。というかほとんどの人間がそうなのだろうか。それが分からないから資産形成は十分に進んでいるのだけれど、特にやることもないから暇つぶしや未来への保険のように惰性で労働している医師も多いように見受けられる。医師という知能が高い人々でさえも自分がやりたいことや自分のやるべきことが分からないというのだから、それを見出すためには頭がいいこととは別の何か異形の妙技が必要なのだろう。
しかしそれは短時間で身に付くようなものではなく、幼い頃からあらゆる物事を考えたり常識を疑ったりしながら必死に自分自身と対峙して、自らの魂を見つめ続けるように生き抜いた場合にのみ発現される特殊能力なのかもしれない。それは他人と同じように生きたいと願う者や普通の人生を望むような種類の人間を好まず、たとえ普通の軌道から外れて地図のない荒野の中に立ちすくむという運命を仕組まれていても、天を見て歩き始める傷だらけの魂にのみ訪れる啓示なのかもしれない。
けれどぼくは最後に問いたい。自らの魂の使命すら見出さずに、本当に自分自身の人生を生きていると言えるのか、と。


















