聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラでぼくたちは大量消費の波に飲み込まれる

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まじでなんでも買いそうになってしまう!

聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラでぼくたちは大量消費の波に飲み込まれる

・経済的活気を感じさせるサンティアゴ・デ・コンポステーラ
・険しい旅の最後に人々は散財する
・サンティアゴ・デ・コンポステーラは美味しいものがいっぱい
・旅の終わりにぼくたちは大量消費の波に飲み込まれる

・経済的活気を感じさせるサンティアゴ・デ・コンポステーラ

 

もしも巡礼の道の街のひとつになれるとしたならば、間違いなく最終目的地の街がお得だろう。そんな風にぼくに感じさせるのは、スペイン巡礼の最終目的地にしてキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラだった。

なんて栄えている街なんだろう!ぼくはスペイン巡礼の道800kmを徒歩で歩き回った、その途中の小さな村々のことを思い出していた。スーパーマーケットがひとつもなくて、よろず屋のような商店が村にひとつだけというような場所もたくさんあった。そんな時ぼくは、沖縄の離島の島々のことを思い出さずにはいられなかった。800kmの街を歩いても、本当に大きな街というのは数個しかなかった。それほどに人間が群れを成し、栄えるということは稀有な現象なのだろう。その現象をぼくたちは都市と呼ぶ。

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラは活気で満ち溢れている。この巡礼の旅の中で、最もエネルギーを感じる街だった。美味しそうな海鮮レストランが所狭しと立ち並び、そして値段も結構高い。洗練されたおしゃれなお土産やさんや服飾店も立ち並び、歩いて見ているだけでも楽しい気分になってくる。サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の聖地として、霊的な力が集まっていることは当然のことながら、ぼくはそれよりも一層、経済的な力がみなぎっている街だと感じられた。

 

 

・険しい旅の最後に人々は散財する

しかし考えてみればそれは至極当然なことだった。ぼくたち巡礼者はスペイン巡礼において、800kmに渡る徒歩の旅をする。普通の足ならば合計で30日以上はかかる道のりだ。30日以上にも及ぶの旅の中で、考えることはお金の節約である。800kmを歩くという予想もできない未知の領域に入り込み、何が起こるのかわからない30日以上の徒歩の旅を続けるのだ。健康に旅を続けられるように体調には十分に配慮するし、いつどれくらいお金が必要な事態になるかもわからないので、なんとなく節約しようと心がけてしまう。800km30日以上の険しい道のりに耐えられるように、不思議と心が我慢強く保守的になっていく。

そのようにしてやっとの思いでたどり着いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ!800kmの道のりは長かった!30日間以上の時間も長かった!10kgの荷物も重かった!お金の節約も頑張った!

こんなに険しかった道のりの後で、最後にたどり着いた聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラにおいて、思いっきり散財し祝福したいと願ってしまうのは、人間にとって自然な心理作用ではないだろうか。

 

 

・サンティアゴ・デ・コンポステーラは美味しいものがいっぱい

 

ぼくたちも例外ではなく、サンティアゴ・デ・コンポステーラではいつもよりも高級な食事を食べた。やっとたどり着いたのだからと、街角で見つけたえびの寿司を食べた。一貫で3ユーロくらい!アホみたいに高い!けれどいいのだ!なぜならここはサンティアゴ・デ・コンポステーラ!800kmの先にやっとたどり着いた聖地で、これくらいの散財はゆるされるはずだ。

 

その後は小綺麗なバーに入り、値段も聞かずに海鮮料理を頼みまくった。今日くらいは贅沢をしてもゆるされるだろう。だってぼくたちはサンティアゴ・デ・コンポステーラにいるのだ!

サンティアゴ・デ・コンポステーラではたくさんの海鮮料理レストランが立ち並んでおり、どこもそれなりに美味しかったが、それ以上の値段を取られていると感じないこともなかった。けれどそんなことも全く気にならないのは、ここが巡礼の最終目的地であるからに他ならない。

 

 

・旅の終わりにぼくたちは大量消費の波に飲み込まれる

このようにしてスペイン巡礼という大きな徒歩の旅を成し遂げた後では、人々の心も財布も開かれ、当然のようにサンティアゴ・デ・コンポステーラは経済的にも活気のある街になっていくことだろう。ぼくたちもこれまでスペインで落としたことのないほどのお金をサンティアゴ・デ・コンポステーラに落とした。少し気を緩めると、とんでもなくしょうもないお土産品を買ってしまいそうになるので注意が必要だ。

旅の終わりには、旅の終わった満足感と安心感で、消費に対する欲望が心の中へと一気に解放される。ぼくたちは激流のように押し寄せてくる消費への欲望を自分自身で制御し、心を平穏に保つことが必要だ。平常心なら決して欲しいと思わない馬鹿らしいものでも、旅の終わりではなぜか欲しいと思ってしまったりする。絶対に今後使わないもの、重くて持ち運びにくいもの、人生の役に全く立ちそうにないものでも、平気で買ってしまいそうになるものだ。そしてそのような旅人の心理を狙って、商人たちは待ち構えている。自分の心を制御できる旅人だけが、彼らをすり抜けることができ、そして自分に本当に必要なことにお金を使うことができる。

ぼくは物質や食物が大量に消費されるサンティアゴ・デ・コンポステーラの様子を見て、はるか彼方のスペイン巡礼の途中の、静寂に満ちた貧しそうな村々のことを思い出していた。そしてあの素朴で貧しそうな村々があるからこそ、この大量消費社会のサンティアゴ・デ・コンポステーラの街が存続できているのだという事実について考えた。そしてもしもの時のことや自分の保身を考え節約するよりもむしろ、あの静寂に満ちた村々でもっとお金を使えばよかったのかもしれないと、悔いた。

 

 

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